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非専門家・対人支援NPOの支援者倫理

■前回、「支援する側」というのが、「支援される側」との立場の非対象性のゆえに、ある種の「権力性」を帯びたものになってしまわざるを得ない、そういう立ち位置なのだと書いた。こうした支援者の「権力性」を、別の名前で呼ぶことで「なかったこと」にしたり、そもそもその存在を認めずに居場所の「民主性」や「対等性」を主張し続けたりすることは、結局のところ、非対称性を「権力」へと変換する無意識の操作であり、支援者倫理的に考えるなら、ありえない話だ。

■「支援者倫理」と書いた。最近のわたしは、この言葉の周りをぐるぐる回り続けている気がする。「ぷらっとほーむ」のようなの対人支援NPOの場合には、この問題は重要性を増す。制度的な対人援助専門職が組織する援助サービスの場合には、彼(女)の専門的な職能を保証してくれる制度があり、その内部に、援助者倫理を各援助者が内面化するのを促進するしくみが備わっている。一方、NPOにはそうした制度的保証がない。各支援者の恣意に任されている。

■だからといって、「だからNPOなどあてにできないのだ」とか「やはり対人支援は公的(制度的)な専門職でないとダメだ」とか言いたいわけではない。専門家の語彙体系がつくりだす雰囲気や強制力とは無関連な場所でこそ成立しうるような関係性というものは確かに存在するし、そうした場での「回復」や「成長」をこそ希望するような人びとが存在する限り、(専門家ならざる)素人NPOの、素人NPOによる、素人NPOのための対人支援の意義はなくならない。

■それでは、非専門家NPOの対人支援活動が手放しで肯定可能かというと、わたしはそうとも思わない。そこには「権力性」の点で問題があるためである。援助専門職と違って、非専門家NPOの場合には、この「権力性」をめぐってのやりとり(そこには批判や反省が含まれる)を日常的に保障してくれるような市場が、公的には存在していない。だからこそ、無自覚なまま、「自分の正しさ」というものを笠にきた「権力」の行使を、彼(女)は続けられるのである。

■不完全な人間であればこそ、間違いやトラブルは当然起こりうる。それ自体は問題ではないが、その繰り返しは問題だ。そうならないためには、その失敗を言語化し、反省の材料とする必要があるし、そうした言語交換が可能な環境を整える必要がある。支援者の「権力」にしてもそうだ。それを自覚し、利用者に対する「侵害」をなくすためにも、非専門家NPOなりの「支援者倫理」あるいはそれを機能させるしくみというものを自前で構築する必要がある。

※『ぷらっとほーむ通信』041号(2006年09月号) 所収

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