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2.じゃこうのセイ君
「じゃこう!」
突然のヨシ君の大声にセイ君はびっくりして戸惑ってしまいます。
ヨシ君の言った『じゃこう』とは何なのでしょう。セイ君、初めて聞いた言葉です。
何が起こったのかよく分からないセイ君でしたが、立ち去っていくヨシ君の動きを見て理解します。
ヨシ君はズボンの裾で手を拭いています。
さっきまでヨシ君はセイ君の手を握っていました。
ヨシ君はクラスのヤンチャな子。人を笑わせるのが大好きです。いつも騒いでクラスを盛り上げるような人です。
そのヨシ君にはマイブームがありました。
それは人の親指の付け根の関節をポキッと鳴らすことです。
どうしてそんな事にハマっていたのかは謎ですが、ヨシ君には楽しかったみたいで、一人だけでは飽き足らず、目に入った男子の指を掴んではポキポキッと鳴らしていきます。
そして、セイ君の番がやってきたのです。
セイ君の指を鳴らした後、ヨシ君は前述したこの言葉を言ったのです。
「じゃこう!」
ヨシ君はどちらかと言うと単細胞。思った事はすぐ口に出すタイプです。特に悪気はなく、咄嗟に出た言葉でした。
『じゃこう』
それはこの地方で言われる方言で、『手汗』の事です。
ズボンの裾で手をゴシゴシ拭くヨシ君を眺めながらセイ君はこう思います。
僕の手は『じゃこう』なんだと。
セイ君、手のひらを自分に向けます。目の前にある自分の手のひらは汗が滲み出てキラキラ光っていました。すぐに分かりました。じゃこうは手汗の事なんだと。
そしてセイ君は気づいちゃいます。
手汗は自分だけが掻いてて、他の皆は掻いてないんだと。手汗を掻くのは普通の事じゃないんだと。
手汗はセイ君にとって当然の事だと思っていました。暑かったら汗を掻く。手汗も同じものだと思っていました。
ですが、それは普通の事じゃありません。
『手に汗握る』という言葉があるように、本来、人は興奮した時や緊張した時などに手のひらに汗を感じてきます。
それがセイ君の場合だと違ってきます。
セイ君、常に手汗は掻いてます。手汗が引くことはありません。どんな時も必ず手のひらは汗で濡れていました。でもセイ君にとって、それは体に出てくる汗と同じで至極当然の事として認識していました。
それがヨシ君の言動と反応によってセイ君の認識は覆ったのです。
手を拭うヨシ君の様子を見てセイ君はこう思ってしまいます。
手汗は他人にとって気持ち悪いものなんだと。
そうしてセイ君、手汗の事で思い悩むようになりました。
ノートをとる時、いつも紙はふやけてしまいます。消しゴムで擦っているとふやけたページが破けたりもします。
パソコンを触っている時、キーボードにもマウスにも汗の水滴が残っています。
今までそうなっていた事には気づいてたんですが、さほどセイ君はそれを気にしていませんでした。それは誰もが経験する当たり前の事だと思っていたからです。
それが、どうやらそうなるのは自分だけだと認識してしまいました。
これにはセイ君、少なからずもショックを受けました。
さらにはセイ君、ヨシ君の標的にされちゃいます。
セイ君が手汗に気づく発端となったヨシ君のマイブーム。それのオチにセイ君の手汗が必ず使われたのです。
授業が始まる前、皆が席に座るとヨシ君はいきなり近くの男子に寄ります。
「おう、ヒロ。手貸して」
そう言ってヒロ君の手を掴むと親指の付け根をパキっと鳴らします。
「次、お前」
そう言ってすぐ後ろの男子の手を鳴らします。そうやってどんどん男子の指の骨を鳴らしていくと、ヨシ君はセイ君の席にまでやってきます。
「セイ、手貸して」
そう言ってきたヨシ君にセイ君は自分の手を差し出します。ヨシ君はセイ君の手を掴むと親指をパキっと鳴らします。
そして一言。
「じゃこう!」
叫ぶようにヨシ君が言うとちょっと笑いが起こります。
これでヨシ君は満足したように自席に戻っていきます。
この一連のくだりがネタ化されたのです。
ヨシ君は飽きもせずにこのネタをやり続けます。
セイ君からしたら面白くもありません。
だけどセイ君、毎回ヨシ君の相手をします。怒る事もなく、恥ずかしがる事もなく、ヨシ君のよく分からないネタの落とし込みに協力します。
セイ君、こう思っていました。
ヨシ君はそこまで手汗の事は嫌がってないんだと。
ヨシ君はこのネタを何度もしています。
本当に嫌だったら二度と触ってこないはずです。
それにセイ君、ヨシ君と仲が悪いわけではありません。
馬鹿にしてはいるかもしれないけど、これは仲が良いからこそのふざけ合いで、ヨシ君が手汗を本気で不快にしてないのも伝わってはいました。なので、セイ君は自分の手汗がネタにされるのもさほど嫌がってはいませんでした。
それとセイ君、どちらかと言うと能天気。気にはするけど、まあいいかってなっちゃってます。周りの反応が薄いのもありました。手汗は特に気にするものでもないだろうと、のほほんといつも通りの学校生活を過ごします。
そうして気がつくとヨシ君のマイブームは終わっていました。ヨシ君自身が飽きちゃったのです。これでセイ君の手汗がネタにされる事はなくなりました。
一難去りましたが、これでセイ君の手汗は治ったわけではありません。またすぐに一難はやってきます。
今度は秋です。
秋と言えば運動会。
セイ君は中学三年生。中学最後の運動会です。最上級生には青春真っ盛りのあの演目が用意してあります。
本来ならドキドキワクワクになるはずですが、セイ君にはその演目によって長い長いトラウマの世界に誘われてしまうのです。
その演目はフォークダンス。
女子と手を繋ぐ時がやってくるのです。手汗を掻くセイ君にとって、それはズタボロにしかならない地獄の時間です。
そうなるとは露知らず、セイ君、のほほんといつも通りに呑気に授業を受けちゃったりしています。
自分がこれから長い孤独な人生を送るとも知らずに。
つづき
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