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3.気持ち悪いセイ君

二学期になると学校は運動会の練習や準備に大忙しです。

セイ君が出る種目は四つありました。

まず一つ目は組体操。これは男子全員での演目になります。セイ君は体重がクラスで一番軽かったので演じる全ての演目で上の役になります。しかも大人数で組むピラミッドや,、クラス全員で組まれる四段タワーでもセイ君は最上段の役になります。最上段なので皆の注目を浴びる事になります。ウケを狙ったポーズでもしてみようかなとセイ君はそんな事をぼんやりと考えます。

二つ目は1500m走。長距離が得意なセイ君、クラスの代表に抜擢されます。1500m走は運動会の最初の種目です。注目されるのは間違いありません。意識しなくても気分は昂ります。無様な姿は見せられないと放課後は練習に勤しみます。

三つめはクラス対抗のリレーです。最後のトリとなる競技です。だけどセイ君、短距離はそんなに得意ではありません。順番も特に注目されるような順ではないので転んで目立つような失態がないように気をつけたい所です。

そして四つめがフォークダンスです。フォークダンスは三年生全員が参加の演目です。手汗を意識するセイ君、嫌がられないかなと練習する前から不安でいっぱいです。セイ君の頭に「じゃこう!」と言いながら手を拭いてたヨシ君の姿が浮かびます。明るい感じで馬鹿にしてきたからヨシ君はまだマシでした。しかし、今度の相手は女子です。セイ君にとって女子は得体の知れない生物です。本気で嫌がられるかもしれないとネガティブな考えしか浮かんできませんでした。

そしてフォークダンスの練習の日。練習は体育館で行われました。

まず事前に決められていたフォーメーションを確認します。二つの円を描いて男女が並びます。女子が円の内側で男子は外側です。

曲は二曲です。どれもフォークダンスの定番中の定番の、『オクラホマミクサー』と『マイムマイム』です。

最初はオクラホマミクサーです。男子は女子の後ろから両手を取って二人一緒に踊ります。振り付けは1パターンのみ。簡単です。曲も1フレーズが延々とリピートされる運動会仕様にされてあります。曲の1フレーズが終わると、次の人と交代。また1フレーズ踊って次の人と交代。曲が終わるまでそれの繰り返しです。舞台の上で先生が踊りの見本を見せると、実際に手を繋いでの練習になります。

いよいよです。

セイ君、踊る前から様子がおかしいです。頻りに腕で顔を拭いています。

セイ君、女子と手を繋ぐのはこれが初めてでした。緊張しかありません。

しかも最初の相手はユカさんです。ユカさんは身長の高い大人な雰囲気を醸し出すクラスのマドンナ的存在です。例えるならモデルの菜々緒さんのような人です。中味が小学生のセイ君、そんなユカさんがどう見ても同級生とは思えませんでした。どうしてこんな人がクラスにいるんだろうと不思議に思っていたぐらいです。そのユカさんが最初のパートナーですから嫌でも緊張します。

セイ君、いつまで経っても顔を上げられません。心臓はバクバク言ってます。

これはユカさんの手を触る事にドキドキしてるわけではありません。自分の手がユカさんに触れられてしまう事にドキドキしているのです。

セイ君の視線には汗で光る自分の手のひらがあります。

いつもより確実に汗が出ています。これから手を触れられるという現実が、セイ君の緊張を掻き立てて手汗はさらに増していきます。引いてくれと願っても手汗は引きません。それどころか手汗の事を考えれば考えるほど手汗はじわじわと手のひらに浮かんできます。

セイ君、何度もズボンの裾で手のひらを拭きます。しかし、拭っても手のひらには汗が滲み出てきます。何度も拭いても手のひらからはじわじわと浮かんでくる手汗を感じます。確認するとやっぱり手のひらは汗で光っています。こんなに汗を掻く自分の手が信じられません。まるで水を含んだスポンジです。触ったら汗が滲み出てくるような感覚です。拭いても拭いても手汗は絶えず滲み出てきます。これにはセイ君、焦るしかありません。顔面も汗がタラタラ出てきます。もみあげは汗でしっとりと濡れています。鼻頭からは汗の雫が落ちてきます。制服のシャツの袖口は額の汗を何度も拭いたせいで濡れて透けています。

そしてとうとう曲が流れます。

セイ君、構えて待つユカさんの後ろに回り込みます。躊躇していましたが意を決してユカさんの手を取ります。なるべく触れないように指先だけ抓むようにします。細い指だなとかそんな事を考える余裕はありません。指先にあるはずのユカさんの手は感じられません。自分の手がまるで燃えているかと思うぐらい熱く感じていたからです。セイ君、目線は上げられずにずっと地面を見ながら踊ります。

耳にはのんびりとした穏やかな音楽が流れています。その曲調で浮かぶのはのどかで自然豊かな村の光景です。例えるならアルプス山脈をバックとしたスイスの山奥にある小さな村。小さな少女が元気いっぱいに走り回っています。

しかし、そんな平和な村の光景はセイ君の頭の中に移ると一たび違う光景へと変わっていきます。

平和で長閑な村に突如として兵士がなだれ込んできます。兵士達は持った銃を構えて乱射しまくります。家は燃え、木も燃え、辺り一面は炎で燃えたぎる無茶苦茶な戦争の光景が広がっています。

そんな感じでセイ君の頭はパニックになっています。すぐ傍に感じるユカさんへの緊張や、そのユカさんに手汗を気持ち悪く思われてないかと心配し、一向に引いてくれない汗に焦り、早く終わってくれと願ったりで、セイ君の頭は様々な思考がしっちゃかめっちゃかに交錯し、もう頭の中は業火のように燃えあがっています。そして中からの熱でシューシューと蒸気する頭からは大量の汗が噴出してきます。そんな自分の様子に気づかれないようにセイ君はひたすら俯いて顔を隠し続けます。

やっと曲の1フレーズが終わります。次のチサさんに交代です。隙を見てズボンの裾で手のひらを拭って、顔をシャツの袖で拭います。しかし、千紗さんの手を取った時にはもうどちらも汗が噴き出しています。セイ君、俯いたまま踊り続けて音楽が止まるのを待ち続けます。

次のアイさんと踊り切った時、曲は止まりました。舞台から見ていた先生が指導の為に曲を止めたのです。

曲が止まったのとほとんど同時でした。

セイ君にとって恐れていた事が起こります。

セイ君と踊った三人の女子が一斉にスカートの裾で手のひらを拭き始めたのです。

ユカさんのしかめっ面が見えました。ギュッと裾を握りしめたまま眉間に皺を寄せて隣のチサさんやアイさんと苦笑しながら何やら話しています。これを目の当たりにしたセイ君、深い暗闇の穴に突き落とされた気分です。その穴に落ちたセイ君は頭を抱えて蹲ります。いっその事この穴を塞いで自分をいなくならせてほしいとセイ君は切に願います。

舞台では見ていた先生が皆に向かって声を大にして指導をしています。セイ君、先生の声なんか入ってくるわけありません。ズボンの裾で手を拭きながら床を見続けます。さっきの光景が目に入りそうな気がして顔を上げられません。気分はずっと暗い穴の中にいます。その穴の上にはさっき相手していたユカさんとチサさんとアイさんがいます。三人とも冷ややかな目で冷笑しながらセイ君を見下ろしています。そんな恐怖をセイ君は植え付けられていました。もう三人の顔なんて見れるわけありません。恐怖に胸が苦しくてしょうがありません。

しかし、無情にも練習は再開されてしまいます。

また元の形に戻ってからのスタートです。さっき不快そうな顔をしてたユカさんとまた組みます。セイ君、先生を呪ってやりたい気分です。

いっそのこと手を取らずに踊ろうかとも考えましたが、それは相手に失礼なんじゃないかとセイ君は思ってしまいます。さらには先生に注意されて注目を浴びるかもしれないと、そんな考えが頭に過ってきて、結局はまた遠慮がちにユカさんの手を取って踊り始めちゃいます。「手汗ごめん」と一言が言えたら良かったのですが、小心者のセイ君は怯えて何も言えません。もうユカさんの事が恐くて仕方ありません。突き放してくるような事を言われたらどうしようと思ってしまいます。

そんな風に怯えながらもセイ君はなんとか練習を続けました。あんなに嫌そうな顔をしていた女子達も一言も文句を言わずに何度もセイ君の相手をしてくれました。拒絶されなかったのが救いです。相手してくれた女子達には申し訳ない気持ちしかありませんでした。

練習が終わった時、とにかく安堵しました。体育館から出た時、何とも言えない解放感をセイ君は感じました。外の空気ってこんなにも新鮮で爽やかなんだと思ってしまう程でした。

辛苦な時間から解放されたセイ君ですが、それでも胸にはとっても深い傷が残っていました。セイ君にとって今までで一番辛かった出来事でした。あの時に見たユカさんのしかめっ面はいつまでも頭から離れてくれません。このユカさんの姿はセイ君の頭の中に深く刻まれる事になります。恐らく、セイ君が死ぬまでユカさんのあの顔は残り続けると思います。二十年経った今でもまだあの時のユカさんの顔は残っているのですから。

後日、今度は学年全員での全体練習がありましたが、セイ君は仮病で休みました。もうあんな辛い思いはしたくありません。

あとは本番だけでした。

振り付けが簡単なフォークダンス。幸いにも練習は少ししかありません。本番も仮病を使ってサボろうかなとセイ君は思っちゃいます。

しかし、嘘をついたからか、セイ君に罰が当たっちゃいます。

セイ君、組体操の練習中に落下して怪我を負ってしまいます。練習してた演目は四段タワーで、しかもよりによって練習場所は体育館です。セイ君は四段タワーの最上段から硬い床へ落下しちゃいます。セイ君を支える三段目の一人が体勢を崩したのです。足場の崩れたセイ君は空中に放り投げられ受け身も取れずに背中から床に叩きつけられます。あまりの衝撃に呼吸ができませんでした。強烈な痛みにしばらくセイ君は床の上で喘ぐしかありません。もちろん練習は中止です。セイ君は先生に連れられて病院に急行します。

検査の結果は打撲でした。幸いにも骨に異常はありませんでした。が、歩くたびに背中にピキッと電流が走ったような痛みがきます。セイ君はしばらくの安静を余儀なくされてしまいます。この時、運動会の本番は一週間もありませんでした。セイ君にとっての運動会はこれで終わりを迎えました。

運動会をサボろうかとも考えました。でもセイ君は律儀にも出席しちゃいます。セイ君には二つ下の妹がいました。二人の応援に祖父母や親戚が来る事になっていたのです。そんな中で休むとは言い出せませんでした。

さらにはセイ君、フォークダンスだけは出る事になります。口下手なセイ君、先生にうまい理由を言い出せませんでした。腕を上げると背中が痛くなるとか言えばいいのに、我が生徒に一つでも思い出を残してあげたい、と余計なおせっかいをする先生に半ば押された形で参加する事になります。

走るはずだった1500m。最下位で走る代わりの選手を空虚な気持ちで見ます。

一番上でポーズを決めるはずだった組体操。最上段のいないクラスの三段タワーを虚しい気持ちで眺めます。

出たくもないフォークダンス。もう自分の手汗は知られているので半ば開き直ってセイ君は踊ります。最初の時のような不安や緊張はありませんでしたが、やはり指先だけで控えめに抓むぐらいしかできません。早く終わってくれないかな、とぼんやり思いながら空虚な気持ちで空を見たりしています。

ダンスも終わりに近づいてる頃でした。

突然、セイ君の手にギュッと強い力が込められてきました。セイ君、びっくりして相手の女の子を見ます。

その女の子はヒロエさんでした。

ヒロエさんは明るい子でした。誰にでも気さくに話しかけるような天真爛漫な人です。イベントがあると率先して仕切り始める人です。それをヨシ君などが「デシャバリ女!」と囃してきますが、それも意に介さず笑って受け流すような子でした。

ヒロエさんとは練習で一度も相手した事がありませんでした。練習をサボったセイ君、二曲を通しで踊った事はありません。ヒロエさんと相手する時、曲は二曲目のマイムマイムで、もうフォークダンスの時間も終わりに近づいている時間帯でした。

ヒロエさんの力が緩む事はありません。絶対に手汗に気づいているはずです。それでもヒロエさんはセイ君の手を引っ張るぐらいの勢いで踊っていきます。嫌な顔一つもしてません。そのヒロエさんの行動にセイ君は驚いて踊るのも忘れてしまいます。半ばヒロエさんに操られるようにして踊っていました。

曲が終わってもヒロエさんは特に何事もなかったかのようにしていました。普段通り誰かと楽しそうに話しています。

これにはセイ君、救われた思いでした。

ここまでのセイ君、ずっと深い穴の底にいた気分でした。しかもそこから見える空はどっぷりとした曇天です。さらにはその穴を覗いてくる人達がいます。今までフォークダンスの相手をしてくれた女子達です。皆がセイ君を冷ややかに蔑んだ目で見下ろしています。そんな女子達から逃れたいセイ君、ずっと穴の底で蹲っています。しかし、そこへヒロエさんがやってきて皆を穴から離してくれます。やっと空を見上げる事ができたセイ君。そんなセイ君の視界には雲間から光が差してきたのでした。

本当にヒロエさんには救われました。

気後れするセイ君の手を引っ張ってくれたヒロエさん。あの時に感じたヒロエさんの手の力、先導するように手を引いて踊ってくれたあの姿は今でも忘れられません。

そんなヒロエさんに感謝を言いたかったセイ君ですが、手汗の事を話題にしたくなかったセイ君、結局ヒロエさんに感謝を言えずじまいになっちゃいます。そんな自分の意気地のなさには心底呆れます。

いつかヒロエさんに会えたら感謝の気持ちを伝えたいセイ君ですが、中学を卒業して以来、彼女に会った事はありません。

彼女は今どうしてるのでしょうか。天真爛漫な彼女の事ですからきっと素敵な家族を築いて幸せに楽しく暮らしている事だと思います。

いつか同窓会で会えるといいなと思っているセイ君。だけどセイ君は故郷を捨てた人間(汗が理由)です。その時は永遠に来ないだろうなとも思っています。

もし、その時が来たとします。多分ですけど、ヒロエさんは快活に笑ってこう言うと思います。「そんなの覚えてないよ」と。

そんな想像をしてしまう自分が、自分自身でも気持ち悪いなと思いました。


         つづき

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https://note.com/takigawasei/n/n8c005849169a


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