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「坂の上の雲」時代の台湾

 新しい1年が始まりましたが、コロナ禍もウクライナ侵攻も、まだ止みそうにありません。特にウクライナは、欧米が連合国軍みたいなのを組織して早期に戦いは終わると思っていましたが・・・そうなると欧州にとっては、第1次大戦の悪夢再びとなり、しかも相手がロシアとくればエネルギーや食糧にも関わるとあって、武力解決は想像以上に難しいようですね。
*お正月にちなんで、表紙写真は台湾の神様にしました。神像のお祀り方法はこんな感じが多いです。
 
 日本もロシアと戦争していた時代がありました。当時と今ではロシアの力が全然ちがうとはいえ、こんな小さなアジアの国がよく勝てたものですよね。トルコをはじめロシアと敵対していた国々が、今も日本を特別に見ている理由がわかります。
 その日露戦争を描いた作品といえば、やはり『坂の上の雲』が筆頭に上がるのではないでしょうか。東日本大震災の頃、NHKが3年越しでドラマを放映していました。ストーリー、配役、テーマ曲まで、私にとってはほぼ満点の大名作ドラマでした。200年余も鎖国していた外交ビギナー、そのうえ資源も産業も特にない小さな島国が、実質20年ほど(明治維新後数年は社会が混乱していたので、その後から日清戦争まで)で海外相手に勝負に出た気概に何度泣けたかわかりません。
 放映当時は未読だった原作を、コロナ禍でおうち時間が増えた機会に読み出しました。ドラマはかなり忠実に作ってあることを改めて感じました。阿部寛さんをはじめとした俳優さんたちも、雰囲気を壊さずによく演じてくれたと思います。10年以上経つので、今の若い人たちのために再放映してもいいのでは?

春節の初もうで客で混みあう高雄の関帝廟。
台湾でもお正月はどこのお寺や廟(神社)は賑います

 さて、日治台湾の研究を始めてから、近現代史の何事も当時の台湾に当てはめて考えるクセが付いてしまいました。そういうわけで今回は、ドラマと同時代の台湾を見てみることにします。
 
時代的には、1部=日清戦争=台湾の日本統治開始 2・3部=日露戦争=明治37・8年 となります。
 なお柄本明さん演じる乃木は第3代、高橋英樹さんの児玉は第4代、そして塚本晋也さんの明石元二郎は第7代と、あのドラマには歴代の台湾総督がゾロゾロ出てきます。旅順で乃木と児玉が一緒にいるシーンを見て、(おお、第3代と第4代が語り合っている!)などと思ってしまうのだから、私はほとんど重症ですねえ。
   
 日露戦争当時は、児玉総督+後藤新平長官という、歴史に残る黄金コンビによって台湾統治が劇的に進んだ時期でした。あれほどひどかった土匪(「土匪昔ばなし」土匪昔ばなし1~台湾や大陸にいた土匪(匪賊)とは~|滝上湧子(たきがみ わきこ)|noteご参照)は姿を消していました。児玉は「陸軍の至宝」と呼ばれるほど頭脳明晰で、一種の天才だったようです。日本での政治や軍事に忙しく、台湾にいる期間はほとんどありませんでしたが、彼が見込んだ後藤新平は台湾統治において多くの功績を残しています。台北に残る学校や病院などを見ると、後藤は本当に100年先まで見えていたのではないかと思えるほど設計が巧みで、先見の明があった様子がうかがえます。
 一方乃木は、潔癖・質素(若い時は遊郭通いがすごかったらしい)な生活ぶりは有名でしたが、これという功績は知られていません。
 統治開始して10年ぐらいなので台湾人の多くはまだ弁髪や纏足姿で、土壁の家に住み、外見上は清代の生活とあまり変わっていません。
 各地では、明治41年に全線開通した縦貫鉄道(基隆~高雄)をはじめ、インフラ工事が着々と進んでいます。台北にいる上流日本人女性は内地以上に贅沢な暮らしをしている一方、地方では台湾人や先住民の襲撃も珍しくなく、僻地に赴任した日本人は「夜中のささいな物音にも目を覚ます」ような暮らしが続いていました。
 
以前にも挙げた『植民地台湾の日本女性生活史 明治編』によると、開戦後は日本へ帰る者が続出=日本が劣勢・敗北した時に、台湾人に何をされるか恐れてのことだったそうです。そしてバルチック艦隊がアジアに近づいた時は、日本領内で真っ先に遭遇するのが台湾であったことから、全島に戒厳令がひかれました。台湾は相当緊張状態に陥ったようです。
 しかしながら日本が勝利します。明治38年(1905)といえば、台湾統治が始まって10周年。それと重なって、日本人の間では祝賀ムードに沸きかえったことでしょう。
 
 日本では戦費が国政を圧迫して庶民を苦しめましたが、児玉&後藤による産業振興が順調な台湾は、日本政府からの補助金が不要になります。国内の不景気もあって、「豊かなところ」という評価が定着した台湾に移り住む日本人が一層増えていきました。そして大正、昭和初期にかけて黄金時代を築いていくのです。
 
 北にロシア、南に台湾、国内では財政ひっぱくと難題を抱えたこの明治38年頃までが、維新後の日本が最も苦しかった時期かもしれません。「坂の上の雲」のテーマ曲『stand alone』を聞くと、あの時代の日本人がどれほどの困難を抱えながら「坂の上」を目指して歩んだかを思って、胸が熱くなってきます。
 そしてドラマの放映当時、12年前のやはりウサギ年だった日本は、放射能やら3連動地震やら今後どうなるか分からない不安が蔓延していたことが思い出されます。起きてしまった災害は仕方ない、しかしこれでおしまいではない。それが当時の私を含む多くの日本人には、何より辛かった覚えがあります。
 しかし原作を読み、ドラマを思い出しながら当時の日本人に思いをはせると、「バラ色の未来が待っている」という保証がないのに前に進むしかなかった明治の人々も苦しかったにちがいない、それなら海外からさまざまな支援が来る現代の方がまだマシではないか・・・と思えてきます。
 
お互い、楽しいことや今しかできないことを心がけながら、日々を大切に過ごしていきましょう。今年も、歴史ネタを中心に記事をあげていくので、よろしくお願います。

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