自分の人生を生きよう。

 物語には始まりと終わりがある。
 でも主観で見た人生には始まりも終わりもない。自分自身の人生は物語ではなく、その場その場の事象をパズルのように組み合わせて、いびつながらも壊れないように組み上げていくひとつの塔のようなものなのだと思う。
 パズルを組み始めるのは「物心がついたころ」で、パズルを組み終わるのは「死を悟ったころ」だと思う。人によってはとんでもなく湾曲した塔になるだろうし、とてつもなく真っすぐ伸びた塔になる人もいるだろう。その塔が可視化されたら、きっとその塔の持ち主が今までどういう人生を送ってきたのか、履歴書を見るより明確にわかるはずだ。
親ガチャ、配属先ガチャ、人生は運だという。運などという非科学的なものに形はない。「幽霊なんているわけない。」と鼻で笑う人でさえ、「今日は運がいい。」だとか吹聴しては気持ちよさげに街を闊歩している。
 別に運だとか幽霊だとか、そういうものを僕自身が信じていないわけではない。ただ、都合のいいように非科学的なものを嘲笑ったり信仰したり、その時々で自分の色を変える人が苦手なだけだ。いまの日本社会を煮詰めて濃縮したような人間が、僕は苦手なだけだ。

 先にひとつ自分のことを呈しておくが、僕は親も仕事も容姿も、平均より明らかに下である。でも僕は自分自身のことを常に探っているし、30歳を手前にしても自分が挑戦してみたいことがあれば挑んでいる。恵まれた環境で生きていないからこそ、僕は低い次元の中で最大限大きく生きようともがいているから今がある。

 もし突然、明日の朝目が覚めて、自分が歩んできた人生が塔となって目の前に現れるようになったらどうだろう。まっすぐ強く建っているだろうか。僕の塔はきっと、土台が細くてガタガタで、急に途中から太くなってさらに安定性を欠いているだろう。皆さんは自分の塔がどんな形だと思いますか?どちらかに偏って建っていたり、誰かの塔のあとを追うように建っていたりするだろうか。今からでもきっと、自分の塔のバランスを取り直すには遅くないと思う。運とか霊とか、目に見えないものに縋れるのであれば、今目に見えてない自分の生き様を正してみてはどうだろうか。

 新社会人の皆さん、就職おめでとうございます。
 社会人というのは、理想と現実の葛藤の毎日です。自分の考えと上司の考えが同じになることなどほぼありません。でも自分が正しいと思ったことを曲げるのではなく、正しいと思ったことの整合性を自分の中で反芻して考え、他者が正しいとすることに少しずつ色を付けて組み込むことが大切です。社会の歯車である僕たちは、自分でメンテナンスして勝手に最新型に変わる必要がある、そういう都合のいい歯車なのです。僕と一緒に大きい歯車になれるように頑張りましょう。

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