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【読む焚火7】焚火的世界

「はい、今から2年前に戻りますね!」
と、
今日、そんな風に言われたら、皆さんはどう感じますか?

こんにちは。仙台たき火ティーの大石です。

今朝TVで「旅行が出来るGWが来る!」のようなトピックスをやっていて、ふとそんな事を思った次第でして。

「はい、今日から2年前に戻りますよー。」と、言われたら、皆さんどんな事を思うんだろうなー、と。

経済活動が元に戻る、という意味で言うならば、当然ながら歓迎しかないです。僕も経済人ですから比較的切実にそれを希望しています。

一方で、僕は、この2年間の僕の職業的経験から、多くの人が「うっ。」と声にならない呻き声を上げるような気がしてならないんですが、どうでしょか?

ちょっと試しにやって欲しいんです。
自分に
「はい、今から、2年前に完全に戻りまーす」
と唱えてみるテスト。

どう思いましたか?というかむしろ、身体はどう反応しましたか?

「やったぜー!嬉しい!これで自由だ!!」とムクムク元気が湧いた人もいると思いますし、「ほっ」と安堵の気持ちを感じた人もいると思います。遠くにある見たい景色や、遠くにいる会いたい人達の顔が浮かんだりした人もいるかもしれないですね。

他方で、なんか「うっ。。」と呻くような感じ、胃から胸元にせりあがってくるような感覚があった人がいるんじゃないか、と思います。

実は、僕は、この「うっ。。」と呻くような感じを、地鳴りのように感じている気がしてならないんですよね、と言うお話です。

僕の職業は今のところハイキャリア層向けの転職(採用)支援のコンサルタントなんですけども、コロナ期間、それまでにも増して様々な求職者の方々から多くのご相談を受けて、色んな声を聴きました。当然ながら、それぞれに個別性の高い事情・状況がある訳ですが、あえてそれらの声を一言で言うなら、

「ちょっと待てよ。本当にこれで良いんだっけ?」

という声、のような気がしてならないんです。

つまりは、何というか、これまでの生活に対する無意識的な疑義、みたいな感じでしょうか。というか実のところ、より率直に言えば、世界の鈍感さとか無自覚さに対する怒り、みたいなものにすら感じる、と、ある面では言ってしまいます。

コロナは私達の社会を、インフラからテクノロジーから、はたまた慣習から、と、あらゆる物事を不可逆的に変化・加速させたと思っていますが、一番は「どうも、こうじゃないような気がする」という気持ちをブーストさせたんだろうなー、という風に思っています。

コロナ禍という事象は、なにしろ、あらゆる人に「深く考えるきっかけ」を与えています。よく言われるように、生きる意味や、家族との時間の大切さ、などへの気持ちとして顕著に表れているように思いますが、そのベースには、生き物としての環境との関わり方みたいなもののレイヤーレベルで自分を捉えることを含んだ、動物的内省(勝手に命名)のようなものに思えます。

そんでまたそんな想いの種火が、あちらこちらで、同時多発的に熾きているようにしか思えなくて。

メタファーとしては後付けなんですけど、自分が焚火し始めたのも、そんな種火、とその集合としての内省の地鳴りみたいなものに導かれてな気がしているんです。


ちなみに、焚火で大変なのは、種火を熾すことですが、種火が熾きれば、あとは一気に燃え上がり、薪のある限り燃え続けます。燃え続けられるように薪を組み、そして風を通してやることさえすれば。

「2年前に戻れ」に対するリアクション(と勝手に僕が思っているもの)って、その無理感を感じている身体的な反応かな、と思っています。

・・・

と、ここで少し話は変わるのですが、今週一つ(厳密には二つ、いや、三つ位(笑))気付きがありました。

実は3月に、懇意にさせて頂いているある企業の周年パーティーに参加したのですが、その時に、参加者の1分間スピーチがあったんです(「一分間で話せ。talk your will」ってやつです)。そん時に僕も1分間スピーチしたんですけど、それを聴いてた方の感想を上記の会社さんがまとめて下さったものを先日頂いて、その事が結構な気付きだったのです。

その時、僕は「焚火的世界」という多分僕以外には訳の分からない概念(笑)をお話ししたのですが、以下がその感想の一部です。

・大石さんがいらっしゃることで、焚火がそこにあるかのような、空気感の変化を感じました。在り方までもが焚火的な方には初めてお会いしたので強く印象に残っています。

・大石さんのお話からすごく体感が変わりました。

・たき火ティーに参加して大石さんの世界を感じたいです。

・心がグーっと来ました。ここにいて良い。感動です。

・焚火的世界。そのままそこにいて良い世界。最高ですね。ゆっくり静かに感じる。今、ここにいる事を感じる。

・今、ここ、ありのまま。私も創りたい世界です。

・そのままそこにいていい世界。すごく素敵です。とても穏やかな気持ちになりました。

・語り口からも焚火的世界を感じました。この世の中がそのままにいていい世界になったら良いなあ。

・焚火的世界。大石さんが心から信じている世界。求めている人多い。僕もそう。沁みました。

・そのままそこにいていい世界。そう感じる世界。ゆっくり静かに。大石さんが焚火のようです。ほっこりしました。

上記は多くが、その日初めて会う人達が伝えてくれた感想です。

感じた事は二つで。

一つは渇望。
「ゆっくり、静かに、そのまま、今ここに、じっくりと、じわーっと、生きる」、聞こえてくるのはそんなあり方への渇望、みたいなものに感じました。しかも、ほとんど皆さんの身体的反応としての、です。

その奥底には、「(本当は)自分でいたいみたいな、声のような気がするんですよね。

なんというか、僕は、皆が自分への帰り路を探しているような雰囲気を感じています。みなさん、一生懸命に日々を生きているのですが、その過程で置き去りにしてきた自分への帰り路、みたいな。そんな感じの。

そして、2年前までの世界とは別の在り様としての世界ってのがあるんじゃないかな?と、本能的に皆が気づいている、といったような雰囲気を感じます。なんというか、皆が家に帰りたがっている。そう思えて仕方がないんです。

そして気付き、二つ目。
どうやら僕自身が、焚火的になっているようだ、という事です。

前どこかに書きましたが、僕はある意味でまっとうに資本主義的在り方みたいな感じで仕事をしていて(笑)、会社では一つ間違えればパワハラ、ロジ(カル)ハラおじさんみたいな厄介な存在(笑)だと思っているので、上記感想を見た時にビックリしたんですよね。初めてお会いした方々が受け取った自分の在り様と、自分が思っている自分像とのギャップにです。もちろん、この「自分が思っている自分像」の居心地の悪さは自分で自覚していますから、上記のフィードバックは自分にとってポジティブなサプライズでした。

決して自分がスゴイ、とかそういう事ではなくて、つまり、単に僕は変化をしたんだな、という気付きで。自分が何をした、という訳ではないのですが、とにかく焚いていた(笑)、という中で、僕自身が変化しているようだ、という。

少なくとも、この冬を挟んだ寒い半年の期間、ほぼ毎週、一人で、あるいは「一緒に焚火どうですか?」と声をかけて、はたまた声をかけられては、火にあたり続けてきました。そんで、少なからぬ方達と対話をしてきました。

いや、対話をしてきた、というよりも、ただ共に時間を過ごした、と言う方が正確なんですが、それすらも火を見つめての対話であるとするならば、ずっと焚火と対話をしてきました。

その事が、どうやら自分の在り方(Beingなんて言ったりしますが)に影響を与えてきたらしいし、それは他の人にも影響を与えるらしい。その驚き。

そのフィードバックをもらった事は自分にとってパワフルなものでした。そして、それを感じ取ってくれる方々のいること、そういうセンサーが世界にある、という事、それが多からずどうやら好ましいものではありそうな事、はシンプルな喜びで。

「2年前に戻る」といった表現でこの文章を始めました。その事がどういう事かすら、僕には分かっていないのですが、よく言われるように、そのまま時が戻ることは無いように思われます。上述した動物的内省を経た人々がすでに違う世界を形作り始めているからです。

その世界がどういったものになるかもまた、僕には分からないのですが、少なくない方の身体的反応として、僕が勝手に言っている「焚火的世界」であるような気がする、というかあって欲しい、という勝手な気持ちから、この文章を書いていると思います。

また、「分からない」とは言いつつ、その世界は下記で書いたみたいに「桜がキレイだねー」とか「夜風が気持ちいいね」とか「今、犬が遠吠えたね」とかいった事を、徹底的に命がけで、全力で呑気に感じる世界であって欲しい、と割と真剣に思っています。

その焚火的世界、というのは、僕の中では、これまた最近の新たな気づきにより、世界同時多発的対話的世界、という別の新たな世界観に繋がり、(妄想が(笑))広がっていくのですが、それについてはまた別の機会に書いてみたいな、と思っています。
その帰結は、これを読んで頂いている皆さんとともに、そういった世界を創りたい、という事になると思います、多分。

予告的にこの書籍の写真をアップしておきつつ。うふふ。

では、また仙台たき火ティーでお会いしましょう。

大石

仙台たき火ティー(FBグループ)
https://www.facebook.com/groups/418620709996125




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