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福祉の道を志した理由②(福祉教育の話を添えて)いや、もうがっつりその話。〜境界線をぼやかす〜

前回自分の簡単な自己紹介と今に至る経緯の話を少ししてきた。
今日はなぜ私が障害者福祉の仕事をしているのかについて書き留めれたらと思う。
追記/結局、教育の話になってしまった。

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大学に進学して社会福祉士になる為の勉強を4年間していくのだけど、じゃあ社会福祉士になって何すんの?って話で。
当時私の中で『介護はしたくない』『障害者は苦手だから関わりたくない』という気持ちがモリモリにあったのよ。
おいおい、良くそれで福祉の大学に行ったな!ってツッコミが鳴り止まないのは承知で。
何故そう思ったのか。
『介護はしたくない』
今の世の中でも福祉の3K(汚い、きつい、危険、(給料安い))とは良く言われたもので僕もそう思ってましたよ!言葉を選ばずに言わしてもらいますが、普通に人のウ◯コの世話なんてしたくねーよ!と。  

『障害者は苦手だから関わりたくない』
話は幼少期に遡りますが、子供の頃、家の近くを良く歩いているおじさんがいたんだけど、そのおじさんが良く話しかけてくるの。『元気?』とか『何してんの?』『ちんこ見せて』とか。そりゃー、もう誰がどう見ても不審者ですよ。でも、多分この人は障害のある人だなって幼い自分でも何となく分かってた気がする。けど、ただ単に怖かったのよ。いや、近づかないで!話しかけないで!って感じ。会いたくないから避けてたのよ。
てか、でもそもそも障害って何?って感じで。
小学校にも『ニコニコクラス』みたいな学校に行きにくい人や障害のある人が通う教室があると思うんだけど、そこに同級生が何人か居たのよ。
あんま覚えてないけど、先生からはちょっと勉強が皆んなより苦手だったり、コミュニケーションが苦手だったりする的な事は言われてた様な気がする。。
けど、小学校の時ってあんまりそんなのどうでも良くてそこに居た友達とは仲も良くて一緒に遊んでたんだよね。
そりゃ同級生には何も思わないけど、街で話しかけられる叔父さんはビビったよ普通に笑
と、まぁ小学生時代はこの調子なんだけど、中学に上がると少しニコニコ学級とかの障害者の数も増えたんだよね。
そして、中学生だから色々お盛んな時期で。『調子に乗ってる』『しばく』とか当たり前の世界でそれに加えて皆んなと違う事はとことん差別される世界。それこそ『害児』(※障害児の略)なんて言葉が日常の中で当たり前の様に使われてるの。ちょっと変わった事したら『おい!害児!』みたいにね。その当時その言葉に対して何の差別感も持ってなかったのよ。怖いよね。
そして、障害者の同級生に対しての辺りも強かったのよ。いわゆる陽キャの人達がそういう障害者を見せ物にした様な事をやってたのよ。ちょっとここでは言えない位酷いことだったけど。。
勿論それは学校で問題になり然るべき対処は取られたんだけど。それを自分も笑って見てたのよね。まぁいじめてる奴だけが悪いのではなくて、見てる奴らも同罪って奴だよね。
今、思えばそんな事してた奴が良く福祉の仕事なんかしてるな!おい!って思われそうだけど。。
まぁこういった経験もあって障害者=自分達と違う何かみたいなカテゴリーにこの辺りからなっていったのよ。
思春期という時期もそうだけど、なぜそうらいった障害者の扱いが起こったかのか考えると、これは学校教育にも問題があると思ったのよ。
散々自分のいじめの事とか書いといて、学校のせいにすんな!それはないだろ!って思うよね。そうだよね。
今ではとんでもない事をしたなと思ってます。
学校教育の話をし始めると、もう今回のタイトル無視だよね。大丈夫。今、タイトルに(福祉教育の話を添えて)って付け足したから。
これで心置きなくこの話ができる!
今って障害者の数が昔に比べて増えてるのよね。
それは、幼少期で早いうちに検診を受けて、障害があると分かれば、早期療育を受けさせましょう!こういう流れが普通になってるからね。
いや、まぁ良い事も沢山あるさそりゃ。それで良い療育と出会って良い手立てをして貰う事でプラスに作用する人も沢山いると思う。
けどですよ。
何でもかんでも療育に繋げることがその人の幸せとは限らないというか。
療育の全てが正義とは限らないって話で。
療育ってそんな画一的はものじゃなくて、受けたら皆んなハッピー!とかそんなものじゃないのよ。結局人が人にするものだから。結局オーダーメイドで一人一人の事を分かった上でその人に合った支援を提供する事が療育なのね。(療育の話はまた詳しく何処かでする)
けど、自閉症=視覚的支援を!とか、皆んなと過ごすのが苦手だから分けて過ごそう!とか構造化しよう!とか。
障害と分かった途端に何やら大袈裟な支援がおっぱじまるわけですよ。
けどね、これは違うんだな。と思うわけです。
さっきも言った通り、その人に合った支援をするのが大前提(これも少ないスタッフでオーダーメイドな支援をする事はとても大変な事だし、これが現場のジレンマであり、ただでさえやる事いっぱいなのにイチイチ丁寧にやってられるか!となりがちで、結局支援が画一的になりやすい)という事、それから、早期に障害の診断が下る事でより障害と健常者を分けていく教育に繋がっていく事もあるわけ。
いや、ある意味凄いけどね。ここまで福祉の支援が手厚くなってきているとも取れるからね。
とは言えど、市町村によって差もあって、学校の通級と放課後等デイサービスの併用を認めないとかそういう事もあるんだな。なんじゃそりゃ!手厚いんか!手薄なんかどっちやねん!笑
はい、話がそれましたが、
でもね、今でもやっぱり、軽度の発達障害の子は健常者と同じ事を強いられて(皆んなと同じ事ができる事が良い事)それが出来る子が良い子みたいな気持ち悪い軍隊育成(学校教育)があるからね。先生が右を向けと言えば右を向ける子が良い子なのよね。そういうのが苦手という特性や発達の凸凹がある子を当たり前に受け入れられる土壌が大人にあるか、福祉現場や学校にどれだけあるのか。個性を潰す事が学校の教育になってしまっているのでは?と思うわけです。先生に良い子って思われるにはどうしたら良い?これじゃあ本末転倒じゃないですか。先生に気に入られる子の何が良いのよ?って話で。あー、気持ち悪い。
そりゃー、先生もさぞ大変でしょうよ。1人で何十人もの子供を相手するんだから。そりゃ言うことに従わない子がいたら、カチンとも来るでしょうよ。
けど、やっぱりそうなると学校=個性を潰す場(軍隊養成所)としかならないのよ。
学校現場の粗悪な労働環境の見直しも当然いるし、一概に学校現場の人を否定しているわけではなくて、今の学校の制度がナンセンスという事。
余談だけど、発達障がいのある子の中で環境の要因などで癇癪を起こしたり、落ち着かなくなる子も中にはいるのだけど、こういう子に対して最近はすぐ頓服を用いるパターンが増えてるみたい。要は薬飲ませて落ち着かせとけ!って話。いやいや、おいおい。待ってくださいよ。まずやる事があるやろ!と。何故、その子が暴れたのか理由があるはずなのよ。その理由を突き止めない限りまた同じ事は起こるだろうし、その子の居場所がなくなっちゃうよ?
怖いよね。本当。
話が逸れたけど、、
まぁ何が言いたいかと言うと、この子供時代に障害とか健常を分けすぎちゃう事で大袈裟に言うと差別が生まれたり、その後の人生において障害者との関わりがグーンと薄くなっていってしまうと思うのよ。
白黒つける事が良いこともあればそうじゃない事もある。境界線があるから差別が生まれるわけで。境界線をくっきり作るのではなくてもう少しぼやかしてみることで障害のイメージが変わると思うのよ。もちろん、訳のわからない行動をしている子がいるとして、何故そんな事をしているのか?発達障害があってそういう特性があるから!という事が分かることで納得できる事も沢山あると思う。
そして、子供時代に障害者の人と関わる事がなくなるから障害者のイメージが特別になっていく。
子供時代から隔てなく関わる事でもう少し障害のイメージも変わってくるのでは?
と思うわけであります。
書きながら思いついたこと書くから取り止めがないね。
とまぁ自己紹介の続きのつもりが結局話が教育の話へ笑
まぁ良いじゃないか。

あ、また障害ってじゃあ何よ?って話題にも触れてみよう。思いつきのメモ。

また、自己紹介は次の投稿で。(また話逸れるかもだけど笑)

#福祉
#障害者福祉
#社会福祉士

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