他国に感じるノスタルジー
コンテンツの環境適応と進化
最近Youtubeでたまたま見つけたチャンネルで公開されていたPlastic Loveのアレンジに心打たれた。
発音など、日本人からすると少し違和感を覚えるかもだが、それがまたいい。
コンテンツはviralといった言葉で形容されるように、ウイルスに似た性質を持っている。
文化の壁を越えたり、一度忘れられ、世代の壁を越えたりすると、その環境に適応するかのように、新たな進化を遂げる。
(Plastic Loveは文化も世代も越えて、選択圧に耐え、進化した珍しい例である)
それが起こらないものは、壁を越えられず、ある特定のニッチの安寧を享受し続ける。
恐らく、タイで立ち上がったプロジェクトのようだが、どの曲もアレンジにノスタルジーを感じさせる。
タイにはいったことがないのだが。。
上記がノスタルジーを生む重要ファクター(仮説)
他国、特にアジアに、どこかノスタルジーを感じることが多いのはなぜだろう?
tarakoの考察するファクターは以下2点である。
① コンテンツ/pop cultureなどがアジアのような環境に適応し、進化を遂げたとしても、「コア」として日本を残しているから
② 時代背景が、コンテンツのオリジナルが作られたころに似ているため、アレンジもそれを醸し出すように行われる。
少し前までは韓国にノスタルジーを感じることも多かった。今でも現地に行くと、タイムスリップしたような感覚になることはある。
それが、タイの経済成長により、文化的に「ちょっと昔の日本」に近づいたことも要因なのではないだろうか(GDP/capitaはまだまだだが、、)
MADについて少しだけ・・・
実は調べてみると相当な再生数を記録していたりする。
詳しい人には有名なのかも。実は、tarakoは、この手のジャンルにあまり詳しい方ではない。
(再生数5,000万回以上 [今日時点] のものも!)
現地語の歌もまたいいですね。。
以上、
今日は、クイックに、共有してみました。
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