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三菱重工 遅すぎた改革、最後の挑戦2014.10.20 2/3 2014-10-23 18:18:40





<このページでは、『日経ビジネス』の特集記事の概要紹介と、管理人のコメントを掲載しています>



三菱重工 遅すぎた改革、最後の挑戦2014.10.20 2/3 2014-10-23 18:18:40



CONTENTS

PROLOGUE 好業績が隠す停滞

PART 1 モノ作りが通用しない

PART 2 いつの間にか取り残された

PART 3 宮永社長 初めての「経営」

PART 4 常に負ける恐怖心 神に祈るような気持ち 三菱重工 宮永俊一社長 インタビュー

PART 5 “化石”にならないために



第2回は、

PART 2 いつの間にか取り残された


を取り上げます。


今週の特集記事のテーマは

国内市場に依存し、改革が遅れ、停滞を続けた三菱重工。
世界市場で取り残されまいと、硬直的な組織を変え始めた。
欧米勢との実力差に愕然とし、遅まきながら国際化を急ぐ。
だが、頼みのモノ作りは世界の壁に突き当たり、トラブルが目立つ。
経営陣の危機感が現場に浸透しているとは言い難い

(『日経ビジネス』 2014.10.20 号 p. 025)

です。



三菱重工 遅すぎた改革、最後の挑戦
(『日経ビジネス』 2014.10.20 号 表紙)


初回は、業績好調に見える三菱重工が、財閥解体という厳しい歴史を経て、全社統合したようでいて、実は縦割り組織を脱却できずにいる、という実態をお伝えしました。

今回は、海外の巨人たちとの戦いにおいて、大きく水を開けられている実態をお伝えしていきます。

国内企業とすれば、年間売上高3兆円超は素晴らしく見えますが、海外へ目を転じると、GEやシーメンスはその数倍の大きさです。容易に埋めることができない数字です。

社長の宮永さんは、危機感を募らせ、海外の巨人たちとの差を少しでも詰めようと、スピード感を意識して事業展開しています。

果たして、宮永さんの危機感は末端の従業員の心に届いているのでしょうか?


PART 2 いつの間にか取り残された


日本では、長年、英語化された「ケイレツ」の下にグループを形成し、共存共栄してきました。

ところが、「ケイレツ」が崩れてきている、と感じています。瀕死の状態だった日産自動車の立て直しのためにルノーから派遣されたカルロス・ゴーン
さんは、「ケイレツ」を断ち切りました。

「しがらみのない外部の人間だからできた」、と一言で片付ける人もいますが、それほど簡単なことではなかったはずです。

ゴーンさんは日産自動車には、片道切符で来たのです。帰りの切符は持っていませんでした。

さて、「ケイレツ」に関連して、商慣行にどっぷり浸かっていた三菱重工は異変に遭遇しました。

今春、三菱自動車が発売した軽自動車「eKスペース」。以前は当たり前のように組み付けられていた、筆頭株主である三菱重工業製の基幹部品が見当たらない。

エンジンに装着し、低燃費と高い走行性能を両立させるターボチャージャー(過給機)のことである。

代わって採用されたのがIHIだ。これまで「三菱自は三菱重工を使うという感覚があった」(IHI車両過給機セクターグローバル企画部長の武井伸郎)。

それだけに武井は「エポックメーキングなこと」と興奮を隠さない。三菱自の調達部門の担当者は「価格競争力で選んだ」と話す。軽は日本の新車販売の約4割を占める一大市場だけに、IHIは大きなビジネスチャンスを三菱重工から奪取したことになる。

三菱自に三菱重工以外の選択肢を与えたのは、日産自動車との提携という外部とのつながりだった。

三菱重工 遅すぎた改革、最後の挑戦 2014.10.20 
pp. 032-033 


IHIは、以前は石川島播磨重工業という社名でした。IHIは日産自動車と関連があります。

ゴーンさんが日産自動車を立て直すために、宇宙航空事業部をIHIへ売却しました。自動車事業に経営資源を集中するためでした。

三菱重工は、「井の中の蛙大海を知らず」であり、「茹でガエル」でもあったのです。

価格競争が激化してきているにもかかわらず、今までどおりのやり方に固執し、基幹部品を安く作ることに意識が向かなかったがために、しっぺ返しを喰らうという、「成功の復讐」にも遭ったのです。

問題は、今回の「敗戦」を現場の人たちが重く受け止めていないことです。
表面上だけかもしれませんが、意に介さないという態度を示しています。

三菱重工ターボSBU(戦略ビジネスユニット)長の梶野武はeKで採用されなかったことについて、「我々の売り上げは9割が海外。メーンターゲットは欧州の高級車だ」と影響の小ささを強調する。だが、「三菱重工離れ」は三菱自のターボチャージャー以外にも広がる可能性がある。

三菱重工 遅すぎた改革、最後の挑戦 2014.10.20 
p. 033
 

顧客の変化に気づくのが遅れたというのが実態でしょう。
「三菱重工離れ」はこの一件だけではありませんでした。

長く付き合ってきた顧客が変化し、取り残される三菱重工。この構図は、三菱グループとの関係にとどまらない。

三菱重工の中で電力会社向けのビジネスを中心とする「エネルギー・環境」ドメインの連結売上高は2013年度で1兆2539億円。同社の連結売上高の37.4%を稼ぐ。この屋台骨が大きく揺らぎ始めた。

三菱重工 遅すぎた改革、最後の挑戦 2014.10.20 
pp. 033-034 

その時期とは、2011年3月11日に発生した東日本大震災以降のことです。

三菱重工などの重電メーカーは、電力会社に高めの見積もりを提示。電力会社は値引きを求めはするが、重電メーカーに利益が十分残る水準にとどめるケースが多かった。

電力ビジネスは三菱重工にとって、利益の源泉であり続けたのだ。だからこそ、電力会社に提案を求められれば、無償で設計図を作成するなど、手厚い対応を欠かさなかった。

だが、この蜜月関係は2011年の東日本大震災によって消滅する。全国の原子力発電所が停止したことで、盤石だった電力会社の経営基盤は弱体化した。

三菱重工 遅すぎた改革、最後の挑戦 2014.10.20 
p. 034
 


慣れ合いの関係が、長く続いていたのです。その関係を断ち切る引き金となったのが、東日本大震災だったのです。

変わったのは、電力会社だけではありませんでした。

変わったのは、国や地方自治体という官需も同じだ。1990年代には年間35兆円あった公共事業などの政府建設費は、直近では半分以下の15兆円前後に減少。三菱重工が強かった橋梁や水門の売り上げは激減した。

三菱重工 遅すぎた改革、最後の挑戦 2014.10.20 
p. 034
 


公共事業の話がでましたので、関連したことをお伝えします。

大前研一さんは、日本の公共事業は「土建業だ」と指摘したことがあります。箱物ばかり建てて、中身が無いこと(ハコモノ行政)を指した言葉でした。

典型的な例は、地方自治体の各地に点在する美術館です。建物はたいそう立派なのに、館内の美術品に目を見張るようなものが、ほとんどないからです。


下の図表をご覧ください。
三菱重工の主な製品と顧客を「三菱」のマークのそれぞれの菱型の大きさで表しています。


(イラスト=3rdeye)
三菱重工 遅すぎた改革、最後の挑戦 2014.10.20


官需が最も大きく、次に大きいのは電力など規制業種で、民需は最も少くなっています。

官需: 宇宙ロケット 戦車 軍用ヘリ 橋 水門

電力など規制業種 : タービン 電車 原子力発電所  LNG船

民需: MRJ 風力発電 ターボチャージャー エアコン


余談になりますが、官需に宇宙ロケットとありますが、日産自動車の宇宙航空事業部からIHIへ転籍した、私の古くからの友人の話では、彼は自衛隊向けのミサイルの設計を日産時代からしてきたそうです。


今回のテーマである、海外の巨人たちとの格差を知るために、下記の数字をご覧ください。


注:各社業績は直近の通期決算を使用。
GEとシーメンスの業績は10月10日時点の
為替レートで円換算した
(イラスト=3rdeye)
三菱重工 遅すぎた改革、最後の挑戦 2014.10.20


一目瞭然です。

分かりやすく、上記4社の業績を並べて書き直しました。

米GE  売上高 15.3兆円  営業利益 2.53兆円
     (2013年12月期)

独シーメンス  売上高 10.7兆円 営業利益 7073億円
     (2013年9月期)

日立製作所  売上高 9.6兆円 営業利益 5328億円
     (2014年3月期)

三菱重工業  売上高 3.3兆円 営業利益 2061億円
      (2014年3月期)


三菱重工相談役の佃和夫は「僕たちも変わろうと必死だったけれど、それ以上に世の中は進んでいた」と認める。

そしてこう続けた。「GEやシーメンス、世界の競争相手が動くスピードはもっと速い」。

三菱重工が変わり切れずにもがいている間に、欧米大手の背中は遠のいていた。

三菱重工 遅すぎた改革、最後の挑戦 2014.10.20 
p. 034
 


上記の数字について、『日経ビジネス』編集部は次のように解説しています。

アベノミクスの恩恵を受けながら、海外の大手企業との差は開く一方です。

4.6倍。三菱重工とGEの2013年度の売上高格差だ。営業利益率は三菱重工の6.2%に対してGEは16.5%。

過去5年間の時価総額の推移を見ると、GEが約2倍になったのに対し、三菱重工はアベノミクスの追い風を受けたものの1.5倍にとどまった。今年6月に仏アルストムのエネルギー部門買収を巡る戦いに挑んだ相手は、事業規模でも収益力でも、三菱重工のはるか先を走る。

三菱重工 遅すぎた改革、最後の挑戦 2014.10.20 
pp. 034-035
 


こうした現状に、宮永さん他の経営陣はどんな対策を講じるのでしょうか?
そして、その勝算はあるのでしょうか?


次回は、

PART 3 宮永社長 初めての「経営」

PART 4 常に負ける恐怖心 神に祈るような気持ち 三菱重工 宮永俊一社長 インタビュー

PART 5 “化石”にならないために


をお伝えします。



🔷編集後記

この特集記事(元記事)が公開されたのは、9年前のことで、アメブロでも9年前(2014-10-23 18:18:40)のことでした。

大幅に加筆修正しました。

米GE、独シーメンス、日立製作所、三菱重工業の4社の売上高と営業利益の当時の比較が出ていましたが、世の中何が起こるかわかりません。

ダウ工業株30種平均(NYダウ)が設定された当時から、時代が変わっても一度も外されたことのなかった米GEの業績が急落し、NYダウから外されるという事態が起きました。

長年業績が良かったと思われていましたが、実体はモノづくりで稼いでいたのではなく、ファイナンスで稼いでいたのです。

そして、当時GEのCEO(最高経営責任者)だったジェフ・イメルト氏は金融部門を売却してしまいました。さらに株主の期待以上にGEの株価を上げることができませんでした。

インダストリアル・インターネットの
展示会で講演するジェフ・イメルト氏
日本経済新聞 電子版
2017年6月13日 11:15
 


2017年当時の日経電子版の記事には次のように記されています。

イメルト氏退任、もはや「主流」でない米GEの現実

イメルト氏は金融事業の大幅縮小や仏アルストム部門買収などGEのお家芸である「選択と集中」でも手腕を発揮。「産業のデジタル化にも道筋をつけ、GEが進むべき方向性を示せたのではないか」。側近の評価なので多少割り引く必要もあるが、米産業界でのイメルト評は「実力経営者」として定着していたのは事実だ。

しかし、12日の米株式市場はイメルト氏の退任をむしろ好感し、GE株は前週末比3.5%高と急伸した。

「イメルトGEは文字通り株主にとって災難だった」。英バークレイズのアナリスト、スコット・デービス氏は厳しい評価を下す。

市場の評価が厳しいのは株価が上がらないことに尽きる。ダウ工業株30種平均は過去1年間で19%高だが、GE株は約4%安と低迷。会社は株主のものとの考えが米では徹底されており、株価は経営者の評価そのもの。物言う株主(アクティビスト)の標的となり、イメルト氏退任観測が出るのもやむを得なかった。
(中略)

事業の選択と集中、グローバル経営、マーケティング、機動的な財務運営……。GEが産業の「主流」だった時代、その卓越した事業オペレーションは常に称賛の的となり、GEはビジネススクールの格好のケーススタディーとなった。

もっとも、世界シェア首位の製品を多く持ち、各業界でGEはリーダー的存在ではある。しかし、業種を超えてデジタル技術が経営革新の中核テーマになる時代、革新の主役の座はグーグルやアマゾンなどに奪われつつある。

イメルト時代の16年間は、米企業の革新の舞台がGEが拠点を構える米東海岸から、西海岸へと急速にシフトした時期でもあった。

イメルト氏退任、もはや「主流」でない米GEの現実 
2017年6月13日 11:15 


(5,371 文字)


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