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【回想録 由美子がいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い 第21回】

🔷「結納と結婚式」の中の「結婚式」の前半を掲載します。🔷

 タイトルは『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』
(ハードカバー 四六版 モノクロ264ページ)です。
2016年1月25日 発行
著者   藤巻 隆
発行所  ブイツーソリューション

 ✍『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』(第21回)✍

「結納と結婚式」の中の「結婚式」の前半を掲載します。

結納と結婚式(2)

結婚式(前半)

 結婚式当日(一九九一年四月二十九日)は、朝から大雨が降り続いていました。由美子と私は、雨女でも雨男でもありませんが、どうしたわけか大雨となってしまいました。それでも、私はあまり気にしていませんでした。ずっと雨が降り続けることはないし、晴れの日がずっと続くこともないからです。人生もまた同じ、と考えていました。少なくともその時点では・・・。

 結婚式には、私の勤務先から二代目の社長、二名の副社長、部長、次長、課長、同僚に出席していただきました。媒酌人には、中学時代の恩師、MK先生ご夫妻、司会は、高校時代のクラスメート、OH君にお願いしました。由美子は学生時代からの友人を中心に出席していただきました。

 式の進行に従って、土砂降りの雨が小止みになり、式の終わり頃には晴れたことは嬉しいことでした。誰かが「雨降って地固まる」と言ったとか、言わなかったとか。

 ウェディングソングは、当時人気のあった、杏里(あんり)の「SUMMER CANDLES(サマーキャンドル)」を由美子が選曲し、式場で流れました。当時、キャンドルサービスの際、よく使われた曲でした。式の開始当初は雨が降っていましたが、最後は晴れて良かったというのが、二人の偽らざる気持ちでした。たとえ、二人の人生に荒波が襲ってこようとも、二人で協力していけば難局を打開できると信じていました。


由美子と私


不治の病

 ところが、由美子を不治の病で亡くし、大きなショックを受け、トラウマになり、自分の無力さを痛感し、気力が失せています。この気持ちは体験者にしか分からないでしょう。

 ときどき、「あなたの気持ちがよく分かる」という人がいますが、私から言わせてもらえば、分かった気になっているだけで、実際には何も理解していないのです。本を読んで知ったことは二次情報であり、自ら体験した一次情報とは、大きな隔たりがあります。

 もっとも、深く理解していないのは無理もありません。同じ体験をしていないのですから。最愛の妻を亡くした者にしか、苦しくてやりきれない気持ちが分かるはずがありません。


死別の悲しみ

 『死別の悲しみに向き合う グリーフケアとは何か』(坂口幸弘 講談社現代新書 二〇一二年十二月二十日 第一刷発行)によれば、「実際、死別の経験がなくても、当事者を支援するすばらしい活動をしている方を、私はたくさん知っている。体験があるか、ないかではなく、当事者一人ひとりの体験を尊重し、その思いや気持ちに寄り添えるかが支援するうえで重要なのである」(一九ページ)ということです。

 しかし、私は懐疑的です。やはり、経験者にしか分からないことは存在します。言葉で説明することは難しいですが、物事を外側から見ることと、内側にいて実感していることとの違いかもしれません。

 伴侶の死に直面し、弱いのは女性より男性、と考えてしまうのは私だけでしょうか? 決してそんなことはないでしょう。いざとなると女性のほうが、度胸が据わるような気がします。


 いずれにせよ、由美子と結婚できたことは幸せなことでした。結婚式の主役は花嫁です。由美子が主役で、私は脇役でした。そのことに関して、全く不満はありませんでした。当然のことと考えていましたし、事実、由美子は和装も洋装も似合っていて、まぶしく感じられ、ついに私の妻になったのだと実感しましたからね。結婚式が終わるまで、全く緊張することはありませんでした。

 (PP.54-56)



➳ 編集後記

第21回は「結納と結婚式」の中の「結婚式」の前半を書きました。

「雨降って地固まる」ということわざを知っている人は少ないかもしれません。もう一般的ではありませんからね。

そうかもしれませんが、結婚式当日の私たちは朝から土砂降りの雨にあい、式の進行に従って晴れたという事実があります。

ただ、これはその後の過酷な運命を暗示した出来事であり、心の安寧には時間がかかるということだったのかもしれません。



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