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【大人の流儀 伊集院 静 心に響く言葉 Vol.16】

大人の流儀

 伊集院 静さんの『大人の流儀』から心に響く言葉をご紹介します。私は現在『大人の流儀』1~10巻を持っています。このうちの第1巻から心に響く言葉を毎回3件ずつご紹介していこうと考えています。全巻を同様に扱います。

 時には、厳しい言葉で私たちを叱咤激励することがあります。反発する気持ちをぐっと堪え、なぜ伊集院さんはこのように言ったのだろうか、と考えてみてください。しばらく考えたあとで、腑に落ちることが多いと感じるはずです。

 帯に自筆で「ちゃんとした大人になりたければこの本を読みなさい」と記しています。

 ご存知のように、伊集院さんは小説家ですが、『大人の流儀』のような辛口エッセーも書いています。


出典元

『大人の流儀 1』
2011年3月18日第1刷発行
2011年7月14日第11刷発行
講談社


「大人が葬儀で見せる顔」から

伊集院 静の言葉 1 (46)

 
 銀座の”寿司処 K納”が店を閉じた。
 主人のKさんは福井を出て、若い時から鮨の修業一筋でやってきて、銀座に店を構えて三十年が過ぎた。
 私はさしてつき合いは長くないが、前の店から顔を出していた。
 新店からは、銀座に出かければ寄った。
 これが銀座の鮨だ、という店であった。
------伊集院さん、これが銀座の鮨、とはどういう鮨なのでしょうか。
 う~ん、一言では言い難いが、”すべてのものが一流である”と言えばいいのかもしれない。
 銀座は日本で一等の街である。
 昼間も、日本で一等の品物を揃えた店が並ぶ。衣服から装飾品、文房具まで、一流の品物を出して店を構えている。品物も一流なら応対する人間も、それを要求される。昼食を出す店にしても、これが日本で一等というものをこしらえる。

大人の流儀 1 伊集院 静




「大人が葬儀で見せる顔」から

伊集院 静の言葉 2 (47)

 
 私はこの店*を知り、主人の鮨を知ったことを好運だと思っている。鮨の味はよくはわからない。自分の身体が主人の鮨に合って行ったのかもしれない。
 ミッシュランなるものが、すべったころんだとタイヤを転がすようなことを言っても、私は主人の鮨が銀座で一番だと思っている。味は人である。
 格も味もピカ一だった。
 先日、一人で出かけ、礼を言った。
 仙台に戻り、閉店の案内状を読み直すと、おや、ちいさな店をやってくれるかもしれないぞ、と文章の中に、そんな気配があった。いい予兆であればいいが……。 

大人の流儀 1 伊集院 静

(* 寿司処 K納)



「大人が葬儀で見せる顔」から

伊集院 静の言葉 3 (48)

 
 葬儀に出席したら大人の男はどんな顔をしておくのか。
 式の長い短いはあるが、その間中、故人との思い出をずっと思い起こしておけばいい。なげくもよし、笑うもよし。それが人を送ることだ。
 通夜は早く行って、早く引き揚げる。
 それでなくとも家族は疲れているのだから。残された者をいたわる。相手はもう死んでしまってるのだから……。

大人の流儀 1 伊集院 静




✒ 編集後記

『大人の流儀』は手元に1~10巻あります。今後も出版されることでしょう。出版されればまた入手します。

伊集院静氏は2020年1月にくも膜下出血で入院され大変心配されましたが、リハビリがうまくいき、その後退院し、執筆を再開しています。

伊集院氏は作家にして随筆家でもあるので、我々一般人とは異なり、物事を少し遠くから眺め、「物事の本質はここにあり」と見抜き、それに相応しい言葉を紡いでいます。

🔷 今回は葬儀において、大人の男はどんな顔をしているべきか、について具体例を挙げて語っています。

私は、7年前に妻を、5年前に母を、そして4年前には姉を亡くしました。
父は24年前に鬼籍に入りました。

父の葬儀の時は母が健在でしたので、母が喪主を務めました。
父の死の報せを聞き、取るものもとりあえず、当時東京に住んでいた私たち夫婦と娘は、横浜の実家に駆けつけました。
私たちが実家に着いた時には、父は仏間で横たわっていました。

葬儀当日、私は複雑な表情を浮かべていたに違いありません。
父とは、私がまだ独り者の時、よく喧嘩したものです。取っ組み合いの喧嘩ではありませんでした。口論です。
ただ、父は口数の少ない人でしたので、口論と言ってもすぐに終わりました。私は母の肩を持ってしまうことが多かったと思います。
父は淋しい思いをしたと思います。

しかし、父には陰に陽に大変世話になりました。それだけに父の葬儀の際に、私はどんな表情を浮かべてよいものか迷ったものです。

妻と母、姉の葬儀には、私がすべて喪主を務めました。何度やっても喪主に慣れることはありませんでした。
哀しみを押し殺して喪主を務めることは辛いことでした。
多くの思い出が走馬灯のように頭の中で駆け巡っていました。
私一人の感情で葬儀の進行を遅滞させてはいけない、ミスをしてはいけない、それだけを考えていました。

喪主がずっと暗い顔をし続けているのは、葬儀に参列してくださった人たちに個人的な感情を押し付けることになってしまうので、極力普段の表情をしようと意識していました。

しかし、葬儀が進行するにつれて感情が高まり、涙が溢れ出してきたことを思い出します。

妻が亡くなった後、今日に至るまで他の方の葬儀に参列したことはありません。



🔶 伊集院静氏の言葉は、軽妙にして本質を見抜いたものです。随筆家としても小説家としても一流であることを示していると私は考えています。


<著者略歴 『大人の流儀』から>

1950年山口県防府市生まれ。72年立教大学文学部卒業。

91年『乳房』で第12回吉川英治文学新人賞、92年『受け月』で第107回直木賞、94年『機関車先生』で第7回柴田錬三郎賞、2002年『ごろごろ』で第36回吉川英治文学賞をそれぞれ受賞。

作詞家として『ギンギラギンにさりげなく』『愚か者』などを手がけている。





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