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【マキアヴェッリ語録】 第15回

マキアヴェッリ語録


🔷 塩野七生しおのななみさんの『マキアヴェッリ語録』からマキアヴェッリの言葉をご紹介します。マキアヴェッリに対する先入観が覆されることでしょう 🔷

7年前にブログで投稿した記事を再構成し、時には加筆修正して、お届けします。(2015-07-12 19:26:43 初出)


目的は手段を正当化する

 マキアヴェッリ(日本ではマキャベリと表現されることが多い)は『君主論』の著者として知られ、「マキャベリズム」が人口に膾炙しています。


 その思想を端的に表現する言葉は、「目的は手段を正当化する」です。


 目的のためならどんな手段を講じてもかまわない、と解することが多いですね。


 実は、私もこの書を読むまではそのように解釈していました。
 言葉を文脈の中で解釈せず、言葉が独り歩きすることの怖さは、風説の流布でも経験することです。


 福島第一原発事故以後、周辺にお住まいの方々は風説の流布に悩まされ続けています。拡散した誤情報はさらに誤情報を加え、拡大していきます。
 容易に訂正されることはありません。


 話しを戻しますと、マキアヴェッリの実像はどのようなものであったのか、そして「目的は手段を正当化する」と言っていることの真意は何だったのか、を知りたいと思いました。


 先入観を取り払い、大前研一さんが言う、「オールクリア(電卓のAC)」にしてマキアヴェッリの説くことに耳を傾けることにしました。


 マキアヴェッリは、1469年5月3日にイタリアのフィレンツェで生まれ、1527年6月21日に没しています。15世紀から16世紀にかけて活躍した思想家です。500年位前の人です。

 


 塩野七生しおのななみさんは、「まえがき」に代えて「読者に」で次のように記しています。塩野さんが解説ではなく、また要約でもなく、「抜粋」にした理由を説明しています。


 尚、10ページ以上にわたる説明からポイントとなる言葉を「抜粋」しました。

塩野さんが解説ではなく、また要約でもなく、「抜粋」にした理由


この『マキアヴェッリ語録』は、マキアヴェッリの思想の要約ではありません。抜粋です。
なぜ、私が、完訳ではなく、かといって要約でもなく、ましてや解説でもない、抜粋という手段を選んだのかを御説明したいと思います。

第一の理由は、次のことです。
彼が、作品を遺したということです。
マキアヴェッリにとって、書くということは、生の証あかし、であったのです。

マキアヴェッリは、単なる素材ではない。作品を遺した思想家です。つまり、彼にとっての「生の証し」は、今日まで残り、しかもただ残っただけではなく、古典という、現代でも価値をもちつづけているとされる作品の作者でもあるのです。生涯を追うだけで済まされては、当の彼自身からして、釈然としないにちがいありません。

抜粋という方法を選んだのには、「紆曲」どころではないマキアヴェッリの文体が与えてくれる快感も、味わってほしいという私の願いもあるのです。そして、エッセンスの抜粋ならば、「証例冗漫」とだけは、絶対に言われないでしょう。

しかし、彼の「生の声」をお聴かせすることに成功したとしても、それだけでは、私の目的は完全に達成されたとはいえないのです。マキアヴェッリ自身、実際に役に立つものを書くのが自分の目的だ、と言っています。
 

『マキアヴェッリ語録』 「読者に」から PP.3-6、15        

  


 お待たせしました。マキアヴェッリの名言を紹介していきます。


マキアヴェッリの名言


第1部 君主篇



今までにも幾度も述べてきたように、人の運の善ししは、時代に合わせて行動できるかいなかにかかっているのである。


誰でも知っているように、ある者は激情のほとばしるままに行動し、他の者は慎重に慎重を重ねたうえで行動を起す。

それなのに、両人とも限界をふみはずし、失敗に終わってしまうことがある。

反対に、誤りが少なく、幸運に恵まれた人々は、時代の流れを感じとり、それに合わせて行動して成功する。激情派か慎重派のちがいには関係なくだ。
                       
   

『マキアヴェッリ語録』 「政略論」から PP.134-135          




人心を把握するには、厳格主義と温情主義のどちらが有効か、だが、
いかに並程度の器量の持ち主への提言であろうと、いやそれだからこそ当り前の話だが、答えはは一つに決まるものではない。

なぜなら、厳格主義でも温情主義でも、それがその人の性格を反映したやり方ならば、同じ効果を生むものだからである。

また、効果の多少は、相手方の状態にもよる。

相手が、断固とした処置を必要とした場合は、厳格主義が効果を発揮する。

それが反対に、従来の行き方をそのまま踏襲していってもよい状態ならば、温情主義で充分だ。


『マキアヴェッリ語録』 「政略論」から PP.142-143            
           
                    
                    
 


               
   


君主が民衆の憎しみを買うのは、どういう理由によるのであろうか。

その理由の最大のものは、民衆が最も大切にしているものを、君主が奪いとってしまった場合である。

なぜなら、人間は、自分が最も大切にしていたものを奪われたときの恨みを、絶対に忘れない。しかも、そのものが、日々必要なものである場合はなおさらである。必要を感ずるのは毎日なのだから、毎日、奪われた恨みをむし返すことになる。

理由の第二は、君主の尊大で横柄おうへいな態度にある。

このまずいやり方は、とくに、抑圧された民よりも自由な民に対してなされる場合、非常に有害な結果をもたらさずにはおかない。

それは、精神的な被害だけで、民衆の憎悪を買うにとどまらない。君主の横暴は、民衆の物質的な害までもたらさないではすまないものだから、民衆を二重に、そういう君主を憎悪するするようになるのである。

それゆえ、民衆の憎悪は航海中の船にとっての暗礁あんしょうと同じと考え、それに激突しないよう警戒を怠ってはならないのだ。

まったく、無為に憎しみを買うことくらい、上に立つ者にとって、無謀で思慮に欠けることはないのだ。

        

『マキアヴェッリ語録』 「政略論」から PP.144-145          



マキアヴェッリの語る言葉は深い

                            
🔶 マキアヴェッリの語る言葉は深い、と思います。

マキアヴェッリは人間観察に優れた人だった、
と想像します。心理学にも長けていたのでしょう。

「君主」を「リーダー」に置き換えて考えてみるとより
身近に感じられるでしょう。

🔷 上に立つ者が心しておかないとならないことが、
具体的に書かれています。

厳格主義と温情主義でどちらが有効か、
民衆(国民、社員)の憎しみを買ってはならないこと、
はリーダーが熟慮すべき事柄です。

やり方を誤ると、やり直しのできない事態を招くこと
があります。

安倍首相(当時)も、マキアヴェッリの声に真摯に耳を傾ける
必要がある、と私は考えていますが、あなたはどう
思いますか?


⭐️ キーセンテンス

無為に憎しみを買うことくらい、上に立つ者にとって、
無謀で思慮に欠けることはないのだ。


リーダーに欠かせない能力の一つに、
思慮深いことがあります。

軽率な発言や行動は、国民を愚弄することですし、
本人の政治生命を縮めることになる、
と心得ておくべきです。

権限と責任は不可分なものであることが自覚できる
どうかによって、リーダーの器量の大きさが推し量ら
れます。

真のリーダーか、偽りのリーダーか。
それが問題です。



弱みのなかで重視すべきことは一つしかない。

真摯さの欠如である。これだけは見逃してはならない。真摯さは、それだけでは何も生まない。

だが真摯さの欠如、とくにリーダーにおける真摯さの欠如は、悪しき見本となり諸悪の根源となる。

 

『プロフェッショナルの原点』   P.F.ドラッカー + ジョゼフ・A・マチャレロ 著  
上田惇生 訳 ダイヤモンド社 2008年2月15日  第1刷発行
         

 



塩野七生さんと五木寛之さんの対談集
『おとな二人の午後』
(世界文化社 2000年6月10日 初版第一刷発行)
の中で、五木さんと塩野さんは次のように語って
います。歴史についての考察です。


五木
歴史はフィクションなんだと考えたほうがいいというふうに考えているんです。後年の人たちが再構築して、ありのまま構築できるってことはありえない。

その個人のキャラクターを通して、その人がつくり上げるものだから、歴史がそのままイコール事実であるっていうふうにとらえるより、歴史は物語なんだと思ったほうが正しい


塩野
私、学習院を卒業するとき、こう言われたんです、君が考えているのは歴史ではないって

いまだに覚えている。


五木
ぼくは思うけど、塩野さんが書かれているように、歴史は人間ドラマなんですよ。想像力の世界


塩野
ヨーロッパには私みたいな、小説でもなければ、歴史学でもないという分野は確実にあって、ちゃんと認められていますね

塩野七生さんと五木寛之さんの対談集 『おとな二人の午後』 PP.224-225     
           
                   

とても興味深い話ですね。
私は、歴史は勝者の側から書かれたもので、敗者の側から書かれたものは実在しても埋もれてしまっていると考えています。

○○裏面史というタイトルの書物が昔はありましたが、最近は、こうしたタイトルの書物は人気がなく売れないためなのか、見たことがありません。

裏面史の代わりに、都市伝説というまことしやかな話がトレンドになることがありますが、怪しいものです。
  

『リーダーシップの本質』

堀紘一氏の『リーダーシップの本質』と対比していただくと、興味深い事実を発見できると思います。



🔷 著者紹介

塩野七生しおのななみ<著者紹介から Wikipediaで追加>

日本の歴史作家、小説家である。名前の「七生」は、ペンネームではなく本名。

東京都立日比谷高等学校、学習院大学文学部哲学科卒業。

日比谷高時代は庄司薫、古井由吉らが同級生で、後輩に利根川進がいて親しかった。

1970年には『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』で毎日出版文化賞を受賞。

同年から再びイタリアへ移り住む。『ローマ人の物語』にとりくむ。

2006年に『第15巻 ローマ世界の終焉』にて完結した(文庫版も2011年9月に刊行完結)。『ローマ人の物語Ⅰ』により新潮学芸賞受賞。

99年、司馬遼太郎賞。

2002年、イタリア政府より国家功労勲章を授与される。

2007年、文化功労者に選ばれる。

高校の大先輩でした。






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