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10月23日、飼い猫のミロが亡くなった

飼い猫を失う、というのはちょっと不思議な感覚で、ヒトが(肉親や友人が)亡くなる時のようなショック状態にはならないけれど、生活の端々で「ああ、そうか、もういないんだよな」と思い出し、ふっとため息をつくような感じ、というか。

10月23日、飼い猫のミロが亡くなった。福島原発近辺からサルベージされた猫の譲渡会から引き取ってちょうど6年目のことだった。

食欲が無くて体調が悪そうなので入院させると妻が言うのでそうしたのだが、そこから約2週間、容態は悪くなるばかりで。腹水が溜まっている、膵炎の疑いがある、という診断だったのだが、そもそもFIV(猫エイズ)キャリアを納得済みで引き取ったので、「ああ、来るべき時が来たのかも」という思いもあった。

「残された日は短いと思うので後は自宅でご家族一緒に過ごしてください」との医者のアドバイスで痩せて目も虚なミロを引き取って数日後。

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その日妻は仕事へ出たがオレは終日自宅にいた。腹水が溜まり体の下半分の毛は抜けきって肌が剥き出しになっていた。本当に体調が悪そうだ。それでも家の中を歩き回ろうとするので、ミロがお気に入りだった妻の部屋の出窓に乗せてやった。もう高い所に自力で上がる力はなかったから。

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台風が来たりして荒れた天気の後の見事な晴天の日だった。出窓で眠るミロの顔はとても穏やかなような気がした。病気で剥き出しになってしまった肌に心が痛んだ。しばらくしたら暑くなったのかいつも寝ていた妻のベッドの上をあちこち移っては気持ち良さそうに寝ていた。

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その日の夜、オレは出かける用事(アイドルライブですw)があったのだが、心のざわめきに従って家にとどまることにした。ミロは寝床にしてやったクッションからよろよろ立ち上がり猫砂のトイレに向かう。もう残された力は少なくグッタリと倒れ込む。毛を失った肌にまとわりつく猫砂を拭ってやりながら無意識にオレは呟いた。

「もういいんだよ。もう、頑張らなくて」

そう呟いた後でやりきれない悲しさを感じた。

妻も帰ってきて、近所の実家に住む妹も珍しく遊びに来て少し賑やかだった21時半頃、なにか慌てふためくよう素振りでミロが暴れ出した。皆で諫めてベッドに寝かそうとした瞬間今までにない強い勢いでミロは妻の指に噛み付いた。そんな事今まで一度もした事なかったのに。そして静かにベッドに沈み込んだ。

その5秒くらい後だったろうか、オレはグッタリした横顔を見て、「あああっ!」と嫌な予感とともに声をあげミロを抱え上げた。その瞬間口からドス黒い吐瀉物を吐き出した彼は既に息絶えていた。

フカフカのクッションベッドがグッタリした体には居心地悪そうだったので、その日の夕方に通販の段ボールで作ってやった急ごしらえのベッドが結果的に彼の棺になった。彼がいつも佇んで外を眺めていたその目の前にはサザンカが植わっている。真っ白な花がまさに満開の時期だった。その花のいくつかを棺に添えてやった。

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あれから1ヶ月以上がたったが、ミロが見続けていたサザンカはいまだに咲き誇っている。自宅の横に植っているので毎年見ている筈なのだが、いつもこんなに咲いていたっけ?と奇妙な感情を抱くくらい咲き誇っている。

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ケモノとヒトは交わらない作法で生きていると思う。たぶん。だから彼がこの家に来て幸せだったか、と問うのは愚問だ。ただオレと妻にとってはとても幸せな日々だった。


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