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『ラーゲリより愛を込めて』

 私は『英国王のスピーチ』を観て、ヒットラーのような大衆を煽るリーダーとは異なるリーダーのあり様を学んだが、この映画『ラーゲリより愛を込めて』を観て、日本でもそのようなリーダーがいたのだと理解した。早速物語を見ていこう。

 遡ること1945年満州ハルビンにて、この物語の主人公山本幡男は一家で結婚披露宴に出席していたが、戦争の連敗を鑑みて、妻のモジミに日本に帰国するよう諭していた。そして同年8月9日ソ連が日ソ中立条約を破棄し、突如満州に侵攻、山本家族も空襲に遭い逃げまとうが、「すぐにまた会える。日本で落ち合おう。」と約束して生き別れる。そして日本は敗戦を迎える。

 1946年、終戦から8ヶ月、満州にいた日本兵はソ連軍に拘束された。山本は「愛しのクレメンタイン」を連行される汽車の中で口ずさんでいた。それを見た松田は、「この人は正気を失っている」と思いました。汽車はシベリアの果てにあるスベルドロフスクにある収容所に着きます。待ち構えていたソ連人将校は言いました。「お前たちは戦犯である。今後の収容所生活は収容所所長が命令する。逃亡者は射殺する」。日本兵はシベリア開発のため強制的に働かされた。労働は日本の将校の指揮の下で行われていた。軍隊秩序を維持した方がソ連側も支配しやすかったのである。そんな中、山本は、ロシア語の通訳をしていた。

 松田:どこでロシア語を学んだのですか?。
 山本:学生の頃からロシア文学が大好きだったんです。ドストエフスキー
    ・ゴーゴリーチェーホフ、いやあもう何度も読みました。憧れ
    てたんですよ。だからね、これを機にしっかりとこの目で見ておこ
    うと思って、ソ連という国を。

 シベリアの冬は、連日零下20度を下回る。でも零下40度を下回らないと作業の変更はない。

 松田:山本さん、ここに希望はありますか?。
 山本:来ます、ダモイ(=帰国)の日は。
 松田:この間監視兵が話しているのを聞いてしまいました。それでも本当
    に信じて良いのですか?。
 山本:そもそも戦争は終わったのですから。兵士を捕虜とするのは、明確
    な国際法違反なんです。これはね、戦後の混乱期に起こった不幸な
    出来事に過ぎません。ソ連もそこまでバカじゃない。いずれ、い
    や、出来れば早くそのことに気づいて欲しいんですけど…。だから
    ね、松田さん、来ますよ、ダモイの日は来ます。

 日本兵の中には、精神に異常をきたしてしまう者も現れる。「日本に帰るんだ、日本に帰るんだ、うわ~」。走り出す若い日本兵。銃声が鳴り、射殺されてしまう。
 日本兵の宿舎に作られた、割いた薪片に名前を書いた〝位牌〟、小さな箱の上に模した仏壇を前に、山本は若者の死を悼んでる。

 相沢:もう止めろ!。こんなところをソ連の奴らに見つかったら、自分た
    ちも射殺だぞ!。

「あいつ、下に弟と妹が5人もいるんです。いつも会いたい会いたいって。腹いっぱい食わせてやりたいって」。そう言って一等兵は泣き崩れる。その時ソ連兵が抜き打ち検査にやってくる。

 ソ連兵:集会は禁止だ。解散しろ。
  山本:死を悼んでるだけだ。
 ソ連兵:そんな儀式は認められない。
  山本:死んだ者を哀しんで何が悪い!。人間としての権利だ!。
 ソ連兵:何が権利だ!。
  山本:あ、ちょっと…。

ソ連兵は仏壇を壊そうとする。山本は必死に位牌をだけは守ろうと身体を投げ出す。ソ連兵は山本を殴りける。たまらず松田が山本の上に被さり、ソ連兵の暴行を受け止める。山本と松田は連行される。「営倉(=えいそう)で反省しろ。南京虫の餌食になれ」。山本と松田の悲鳴が響き渡る。

翌日の作業中、相沢は松田に諭す。
 
 相沢:俺が一等兵の時だ。俺は上官から捕虜を処刑する命令を受けた。戦
    場は人を殺す場所だ。軍隊は上官の命令は絶対だ。俺はあの時人間
    を捨てた。いいか一等兵、ここは戦場と同じだ。人間を捨てろ。
 松田:「私は卑怯者に戻りました。その後山本さんは何度も営倉に入れら
     れました」。そう声にならない声で呟いた。

 これは人間の生き方のように思える。世の中は変わらないと思い、必死に〝死んだように〟生きるのか、山本のように自分の座標軸で不安を飼いならしながら生きていくのか、の違いである。話を物語に戻そう。

営倉から戻った山本は、弱った声で若い兵の問に答えた。
 
 若い兵:何でアメリカの歌(=愛しのクレメンタイン)を口ずさむのです
     か?。ロシアが好きなんじゃないですか?。
  山本:美しい歌にアメリカもロシアもありません。こんな所でくたばる
     わけにはいかない。妻と約束したんですよ。必ず帰るって。必
     ず…。

そして日本兵たちに待望のダモイの日が訪れる。一行は帰省の汽車の中にいる。

 相沢:お前たちのような甘ったれがいるから、日本は戦争に負けたんだ。
 山本:家族はいるんですか?。もうダモイです。最後に教えてくれません
    か?、相沢さん。
 相沢:見重の(=みおもの)妻を残して満州に来た。もう子供も大きくな
    っているだろう。これでいいか一等兵。

突然、列車は緊急停止する。名前を呼ばれた日本兵は下車させられる。山本も松田も相沢も一緒だ。何故ダモイ寸前で列車を降ろされたのかその時は全く分かりませんでした。

 時は敗戦から2年目、場所はハバロフスク収容所第21分所に山本らはいた。

 山本:原さん、また会えて本当に良かったです。
  原:私に近づかないでください、
 山本:え?。

原はハルビン特務機関で山本の上官であった。
 
ソ連の軍事法廷が開かれ、山本は審判に臨んでいた。
 
 判事:元満鉄職員でハルビン特務機関員である山本は、1943年12月2日か
    ら旧満州国黒河に3日間滞在し、国境付近で諜報活動を行った。
 山本:何だって?。
 判事:判決を言い渡す。ソ連への諜報行為で25年の矯正労働を命じる。
 山本:ちょっと待ってくれ、誤解だ。

それがダモイ寸前で列車を降ろされた理由であった。列車を下車させられた日本兵は、重罪を犯した戦犯とされた者たちであったのです。
 この時期のソ連は、共産主義運動でラーゲリ内を扇動しようとしていました。

 竹下:日本国は軍国主義のもと他国を侵略し、その反省も微塵もなく今
    や…。我々はソ連に賛同する。
 相沢:アカの巣窟か?。

アクチブと呼ばれる活動家になれば帰国できる、そんな噂も日本兵の中では流れていた。

 竹下:原!。引き続き自己批判しろ!。これより反動相沢を糾弾する。
 相沢:俺が何をしたって言うんだ。
 竹下:相沢は特権階級を笠に着て自らは働かず、のうのうと一人で休み、
    他の人間を酷使させ搾取した。
 アクチブ一同:そうだ、そうだ。
 竹下:相沢に搾取された者立て!。立てよ!。殴る蹴るされる相沢。
 アクチブ一同:相沢、自己批判せよ!。

 このシーンを見て、私は集団リンチ事件に終わった新左翼運動を思い出した。生活に足場を持たない観念を実行することは、袋小路に入ってしまうのだろう。物語に復帰しよう。

 夜になり、倒れる原に山本は近寄る。

  原:私に近づくなと言ったでしょ…。
 山本:それは出来ません。原さんは私にロシア文学の素晴らしさを教えて
    くれました。今の私があるのは原さんのお陰なんです。
  原:昔のことです。忘れてください。
 山本:忘れられる訳ないじゃないですか!。あなたは六大学野球で優勝し
    故郷の英雄なんですよ。
  原:妻と子供に会えるのなら私は何でもします。友人や仲間だって売り
    ます。ただの満鉄の出張を諜報活動にもします。
 山本:えっ?。
  原:私があなたを売りました。
 山本:まさか…。
  原:私はそういう人間です。

山本はしばし呆然としてしまう。
 後日、山本は原に話しかける。
 山本:原さん、生きるのを止めないでください。一緒にダモイしましょ
    う。
  原:私を許すって言うんですか?。こんな私を…。
 山本:許すも何もそんなことがなくても、俺は25年でしたよ。ここには
    意味もなく捕まっている奴らが沢山います。

山本は自分を無実の罪に陥れた怒りをぐっと呑み込み、原の心に寄り添ったのだ。
 別の日に、ソ連兵士の立ち入りがあり、皆で楽しんでいた俳句を記したノ
ートも取り上げられてしまう。

 山本:文字を書き残すのは、スパイ行為なんだそうです。でもね、新ちゃ
    ん、書いたものは記憶に残っているだろう?。記憶に残ればそれで
    いいんだよ。頭の中で考えたことは誰にも奪えないからね。それ
    に、これは没収されませんでした。フルイカ(=防寒着)の綿を集
    めてボールを作りました。

 翌日野球に興じる捕虜たち。
 (男):山本さん、穴だな。山本さん。
 (別の男):山本さん狙いだ!。
 相沢:殺されるぞ、こいつらみんな。
 山本:皆さん、見てお分かりのように私は野球は下手くそですから、ここ
    からはご迷惑をおかけしないように実況役に徹したいと思います。
    さあ、次の打者は北海道は根室出身、新ちゃんこと新谷くん。ま
    あ、彼も私と同じで野球は下手くそでしょう。

しかし、新谷くんはホームランを打つ。

 山本:選手交代!。選手交代のお知らせです。次の打者は元慶応の4番、
    原幸彦。
 (男):原さん、宜しくお願いします。

拍手と歓声が巻き起こる。山本は原に微笑みかける。原は特大のファールを放つ。
 山本:凄まじい打球でした。

そこにソ連兵がやってくる。
 ソ連兵:何をしている。すぐに解散しろ。
  山本:やらせてください。お願いします。
 ソ連兵:解散だ。
  山本:あと一打席でいいんで…。
 ソ連兵:日本人ごときが。

ムチで山本を打つソ連兵。
  山本:うっ!。
  新谷:山本さん!。
  山本:希望が必要なんです。生きるためにはどんなに小さくとも…。

ソ連兵は構わずムチを打つ。
  山本:あっ!、あっ!。私達にはこの野球なんです。
  
ムチ打つソ連兵。目を逸らす原や新谷。
  山本:笑顔を取り戻した者もいるんだ!。続けさせてくれ!。野球を希
     望のために…。
 ソ連兵:営倉送りだ。一ヶ月は覚悟しろ。

荒い息のまま山本はソ連兵に連行される。
 皆が休んでいる時、山本が戻る。
 山本:私も食べたいな、お腹いっぱい、白い米。
 新谷:山本さん、お帰りなさい。待っていました!。
(男たち):お帰りなさい、山本さん!。

男たちは山本を拍手で迎える。
 工藤:本当に勇気をもらいました、山本さん。ありがとうございました。
長谷川:腹減ったでしょ、これを食べてください。

翌日、男たちに原が野球を指導する。
  原:労働効率が上がると言って待遇改善を要求しました。せめて日常の
    ささやかな楽しみを許可してくれと。結果ノルマ以上を達成しまし
    た。ソ連側も大喜びです。皆の笑顔も増えました。貴方のお陰で
    す。

1952年、敗戦から7年経ってようやく日本との連絡が認められた。捕虜たちは自分達は忘れられていないのだと意を強くした。

松田は次のように手紙を書いた。
   お母様、ご無事でしょうか…。それだけを私はこのシベリアの空の下
   で…、それだけを願い…。

原は次のように手紙を書いた。
   私は生きる、そう決めました。もう一度生きることを始めようと思い
   ます…。

新谷は次のように手紙を書いた。
   僕はこの手紙を自分で書いています。驚いたでしょ?。今ではどんな
   字でも書くことができるんです…。

相沢は次のように手紙を書いた。
   幸子、お前は無事か?。どうしている?。子供は大きくなったか?。
   飯はちゃんと食えているか?。

山本は次のように手紙を書いた。
   まず、私が元気に暮らしていることをお知らせします。ご安心くださ
   い。ただ、心配でならないのは、留守の家族の安否、殊に子供たちは
   どう暮らしているのか、顕一はもう17歳ですね。学校はどうしてい
   ますか?。厚生、誠之、はるかも大きくなったことでしょう。モジ
   ミ、あなたは一番苦労したのではないですか?。私は約束を忘れてい
   ません。あの日の約束を必ず守ります。会いたい、君たちに今すぐ人
   でも会いたい…。

手紙の返事が届いた。
  原:来ました。ハガキが来ました。松田さん、新谷くん、工藤くん…。

松田が宿舎から出ていく。ハガキには、母死去とあった。男泣きする松田。

二巡目のはがきが届いた。
 新谷:来ました!。山本さん、遂にハガキが来ました。相沢さんにもハガ
    キが来ました!。

山本への手紙には次のようにあった。
   すぐにまた会える、日本で落ち合おう、私はあの約束を一度も疑った
   事はありませんでした。「ほら、やっぱり生きていたでしょ」、子供
   たちの前で得意げに言いました。その時、子供たちは母さんのあんな
   嬉しそうな笑顔は久しぶりに見たと言っていました。あなた、早く帰
   って来て。あなたに逢いたい、それだけで私は何もいりません。

何と言う強い絆で結ばれた夫婦愛なのだろう。私はそう思う。話を戻そう。
相沢が雪の中を出ていく。雪の中を相沢に駆け寄る山本。
 山本:相沢さん、監視兵に見つかったら殺される。
 相沢:うるさい、放せ。
 山本:奥さんに会うんでしょ?。
 相沢:どうせ会えない、空襲で俺がソ連に来たときにはあいつはもう…。
 山本:お腹の子は?。

「止まれ、撃つぞ」と監視兵は威嚇する。
 山本:相沢さん、撃たれますよ。
 相沢:子供は生まれもしなかったんだぞ!。俺はあいつと会う日を…、そ
    れだけを…、それだけのために…。
 山本:相沢さん…。
 相沢:殺されるのが何だ!、もう生きてる意味もねえ!。
 山本:相沢さん、それでも…、それでも生きよう!。
 相沢:何で生き続けなくちゃいけねんだ!。こんなとこで生き続ける意味
    は俺にはもう何もねえ!。
 山本:何もなくてもそれでもそこには絶対希望があるんです。
 相沢:お前に俺の気持ちが分かるか?。お前の家族は生きてるんだろうが
    よ!。
 山本:あっ、痛い。相沢さん、それでも生きてくれ!。痛い。
  原:山本くん、山本くん。
 新谷:山本さん!。
(男達):山本、大丈夫か?!。

1954年、敗戦から9年経ち、山本は診療所に入院した。何度も倒れているので、原は命に関わるかもしれないと思った。それを見ていた松田は、翌日から座り込みハンガーストライキを始めた。山本を大きな病院で診てもらうためである。

 松田:皆さんは行ってください。これは自分の戦いです。
 相沢:殺されるぞ、お前母ちゃんに会うんだろ?。
 松田:母さんは死んだ。生きてるだけでじゃダメなんだ。ただ生きてるだ
    けじゃ…。それは生きていないのと同じことだ。俺は卑怯者をやめ
    る。山本さんのように生きるんだ。
 相沢:本当に殺されるぞ、一等兵。
 松田:一等兵じゃない、俺は松田研三だ!。

男たちが次々座り込む。遂に相沢も座り込む。
 相沢:どうせ生きていても意味はねえ。松田、付き合ってやるよ。

意を決して原がソ連側に交渉に出向く。
  原:我々は作業を拒否します。要求は一つ。山本くんを大病院で診察を
    受けさせること。
 ソ連将校:そんな権利はない!。お前たちは戦争犯罪人だ!。
  原:その報いは受けました。9年です。もう9年だ。どれだけ死ねば済
    むのか!。

拳銃を突きつけるソ連将校。
  原:いつまでこれが続くんだ。我々は家畜じゃない!。人間だ!。

松田が「愛しのクレメンタイン」を口ずさみ始める。皆も歌い始める。
 相沢:ストライキはラーゲリ全体に拡がったぞ。

クレメンタインの歌声は更に大きくなる。交渉していた原が叫ぶ。
  原:私達の要求が通りました!。

男たちは大歓声を上げる。「山本さん、山本さん、やりました!。」

 2週間後、大病院で治療を受けていた山本が戻ってくる。運命の神様は残酷だ。皆の心に寄り添ってきた山本さんは、末期の咽喉癌で余命三ヶ月でした。手の施しようがないので、返されたのだ。相沢が様子を見に来る。

 山本:余命三ヶ月の咽喉癌だそうです。そういうことです。
 相沢:何がそういうことですだ。悔しくないのか?。このままじゃ生きて
    家族に会えねんだぞ。それでもお前は絶望しねえっていうのか?。
 山本:しないわけ無いでしょ!。帰ってください。
 相沢:それでも生きろ、俺にそう言ったじゃねえかよ。俺は生きたぞ、あ
    れから何もなくても生きてきたぞ。ここで諦めたら俺が許さない
    ぞ、山本!。生きろ!。

山本の目から涙が溢れ落ちる。
 相沢:それでも生きろ、山本!。
 山本:初めて名前で呼んでくれましたね。

山本のそばに原や松田も来る。
  原:山本くん、頼まれていたノートだ。
 山本:雑嚢に鉛筆があります。取ってください。
 
山本はノートに「未来のために」と書いた。
 山本:私はねえ、松田さん。人間が生きるというのはどういうことか、シ
    ベリアに来て分かった気がするんですよ。それについて書いてみよ
    うと思うんです。時間が欲しいな。

宿舎に戻った原たちは、相談して山本に遺書を書かせることにした。遺書は4通作成された。家族皆へ、母親へ、子供たちへ、妻モジミへの4通である。ソ連兵に没収されないように、手分けして頭の中に記銘した。そのうち子供たちへの遺書をここに掲げよう。子供たちは山本幡男にとって最大の希望であったからである。

 子供たちへ
 山本顕一、厚生、誠之、はるか、君たちに会えずに死ぬことが一番悲しい。成長した姿が見たかった。私の夢の中には君たちの姿が多く現れた。それも幼かった日の姿で。さて、君たちはこれから人生の荒波と戦ってゆくのだが、最後に勝つものは道義であり、誠であり、真心である。人の世話にはならず、人に対する世話は進んでせよ。無意味な虚勢はよせ、立身出世などどうでも良い。最後に勝つものは道義だぞ。君等が立派に成長してゆくであろうことを思いつつ、私は満足して死んでゆく。健康に幸福に生きてくれ、長生きしておくれ。

 1956年、原、松田、相沢、新谷等を乗せる最後の引き揚げ船がナホトカ港に着いたのは、敗戦から11年経ってからであった。その年、日本とソ連は国交を回復したのであった。翌1957年、原ら四人は、山本の家族に頭に記名した山本の遺書をそれぞれ伝えに行く所でこの物語は終わる。

 もうお分かりだろう。私が好ましいリーダーシップと思ったのは、山本幡男のそれである。人々の心に寄り添い、絶えず希望の光を指し示した。捕虜の日本兵が困難に直面したときには、身を呈して守った。この映画『ラーゲリより愛を込めて』では、野球をする場面で良く表現されていたと思う。リーダーの仕事は、皆を笑顔にすることなのだ。

 
 

    

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