受け継がれるもの

祖母が、87歳で亡くなりました。


去年手術をした病気の症状がでたので
急ぎ病院に行き、入院した翌日のことでした。

亡くなる前日は庭の草むしりをして、
数時間前まで家族でおしゃべりをしていた

父も、母も、「あんな死に方したいなぁ」と
しみじみ言っていました。
素敵だと思います。

入院したと聞いて、私の両親はすぐ病院にかけつけ
祖母、父の兄、父、母で楽しくおしゃべりするくらいには、元気だったようです。

その時のおしゃべりの、全く同じ話を
私は父、母、それぞれから聞きましたが

こんなにも受け取り方がちがうのかと、驚きました。

母から聞いた話

「ばあちゃんが『今度こそ逝くばい。頭がぼーっとするもんね』っていうからね

私たちのこと、誰が誰ってわかれば十分よ(笑)って言ってたら

そばにいた看護師さんに、ばあちゃんが
『長男、次男、次男の嫁』って紹介してたんよ(笑)

それくらいハッキリしてたし、病室を出る時は、手を振ってバイバイしてたし」

と、笑い話半分くらいで聞いていました。


一方、父

こちらは、出棺の挨拶のときにその話をしていたので、母の時と随分雰囲気は変わりますが

「病院に駆けつけた時、『今度こそ逝くばい』と言っていました。きっと、分かってたんだと思います。

看護師さんが側に来た時、突然、
『長男、次男、次男の嫁』と僕たちを紹介してくれました。

きっとそれは、僕たちを誇りに思ってくれてたんだと思います。」


同じ場面でも、こんなにも感じ方がちがうのかと。

母が浅はかだとか、そういうことではなく

「育てられた、自分のために必死になってくれた人」
その前提だけで、
その人に対する受け止め方は、こんなにも変わるんだと思いました。


父が中学生のとき、祖父(父の父)が病気で亡くなっています。

専業主婦が一般的な時代に、
祖母は、それから急に働き始めて、

きっと、意地でも、息子2人を大学まで行かせようと
踏ん張ったのだろうと
その苦労ははかり知れません

父は、浪人して、予備校には行かず、バイトをしながら勉強して、明治大学第二文学部(現在は無い、夜間の学部)に入学して、
父は父で、苦労したんだと思います。
すごいと思います。

出棺の時の挨拶で、父が
「女手一つで、大学まで行かせてもらって、感謝してます。」
と言っていたことが忘れられません。

その一行に、どれだけのものが詰まっているのか。


遺品を整理していたら、祖母が着物をたくさん持っていたことがわかりました。

いつもオシャレな祖母でしたが、着物姿は見たことがなかった。

その中の一つに、全く袖を通していない、藍色の大島紬がありました。

それは、曽祖母が祖母に贈ったものでした。

戦争で夫を亡くし、女手一つで子供七人を育てた曽祖母。
夫を亡くした苦労は、他の兄弟たちには分からないからと、贈られたそうです。

その着物を、形見分けとしていただきました。

曽祖母、祖母、父と受け継がれるその思いを、私も受け継ぐべく、
着付けを習おうかなと、思っています。






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