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「ルートビア」と「薬用養命酒」~日本における薬草を用いた清涼飲料水考(前編)


はじめに

上のリンクの記事でお話したとおりですが、小生は沖縄やアメリカなどで愛飲されている「ルートビア」、台湾や東南アジア諸国で愛飲されている「沙士」など、薬草を用いた炭酸清涼飲料水が大好物です。

ただ、この手の炭酸飲料、惜しむらくは日本の本土で普及しているとは言い難い状況で、日本の本土で飲もうと思ったら「ルートビア」の場合沖縄物産店や輸入食品店、通信販売に、「沙士」の場合は中華スーパーや輸入食品店、通信販売に頼る形になります。

そもそも「ルートビア」はアメリカ生まれ、「沙士」もアメリカから入ってきた「ルートビア」を中華圏でアレンジした飲み物で、いずれも日本固有の清涼飲料水ではありません。
どうやら日本では、2010年代以降クラフトコーラがブームになるまでは、薬草を用いた日本固有の炭酸清涼飲料水を作ろうという動きはなかったのかもしれません。
しかし、よくよく考えてみれば、薬草を使った飲料それ自体は日本にも400年以上昔から存在します。
今日は、この薬草を使った飲み物が、どういうわけか清涼飲料水に進化しなかったことについて考えてみます。

「ルートビア」・「クラフトコーラ」にならなかった「薬用養命酒」

日本には、慶長年間に信濃国(現長野県)伊那地方で誕生、昭和時代に入ってから日本全国や近隣諸国に販路を拡大し、400年以上の長きにわたり多くの人に愛飲されている「薬用養命酒」があります。
「薬用養命酒」は「ルートビア」や「沙士」、「コーラ」とは異なり、あくまでアルコール14%を含む薬用酒(第2種医薬品)ではありますが、薬草と甘味成分から作られた飲み物という点では共通しています。

原液のままでは飲みづらいこともあり、この「薬用養命酒」を炭酸割りにして飲む人も多く、SNSで検索をかけたところ「養命酒の炭酸割りはルートビアに風味が似ている」と話す人もいました。
私も実際に「薬用養命酒」市販の炭酸飲料(炭酸水やサイダー、ジンジャーエール)を購入、「薬用養命酒」と炭酸飲料を1:8の割合でブレンドして飲んでみたところ、無糖の炭酸水とブレンドした場合は甘味控えめの「クラフトコーラ」みたいな風味に、加糖のサイダーやジンジャーエールとブレンドした場合は「ルートビア」にやや近い風味に仕上がりました。
結論として「薬用養命酒」の炭酸割りは、「ルートビア」や「沙士」同様、癖はあるけどハマる人はハマる、苦手な人は苦手という感じの味でした。

「薬用養命酒」の炭酸割り
「薬用養命酒」のジンジャーエール割り

試飲の結果やSNS上でのクチコミ、類似の炭酸飲料の存在などから鑑みるに、「薬用養命酒」を炭酸で割った風味の飲み物にはそれなりの需要があってもおかしくないのではと思われます。
それにもかかわらず、なぜ日本では「薬用養命酒」のノンアルコール版とでも言うべき薬草系の炭酸清涼飲料水が開発されたり、「ルートビア」が沖縄以外の地域にも普及する、「沙士」が中華圏から日本に本格進出するというようなことが起こらなかったのでしょうか。

この疑問については、次項で詳しく論じることにします。

なぜ日本本土にはルートビアが定着しなかったのか

薬草から生まれた清涼飲料水の代表格であるコーラ飲料については、大正時代よりアメリカ産の「コカ・コーラ」が輸入されており、広く一般大衆に普及するまでには至らなかったものの、文化人の中には高村光太郎や芥川龍之介など「コカ・コーラ」を愛飲する者がおり、詩集や手紙にその旨を書き残しているほどです。

これに対して、「ルートビア」については、

戦前戦艦金剛アメリカ帰りの烹炊員が持ち込んだルートビアの製造がなされた

出典「ニコニコ大百科」

という記録が残されているのみです。

かつて日本の統治下にあった台湾には「ルートビア」の仲間の「黒松沙士」がありますが、発売開始は日本の台湾統治が終了した後の1950年。
戦後間もない頃、黒松(当時は進馨汽水有限公司)の経営者が上海を視察した際に、アメリカからもたらされた「ルートビア」と出会ったのが開発のきっかけだったといいます。

【参考】 Wikipedia中国語版

戦後は、昭和30年代に「コカ・コーラ」の国内での製造・自由販売が実現、「コカ・コーラ」の日本市場本格参入に対抗すべく開発された「ガラナ飲料」は、「コカ・コーラ」の発売開始が遅かった北海道で人気の飲み物になりました。
では、「ルートビア」はといいますと、日本では山崎製パンがアメリカ・Dad's社の権利を取得し、1963年~70年代にかけて「ルートビア」を国内で製造・販売、そのほか佐賀県の友桝飲料や沖縄県のミリオンが製造・販売している例があるものの、米軍駐留の影響を強く受けた沖縄県以外の地域ではお世辞にも定着しているとはいえない状況です。

「ルートビア」が日本本土では人口に膾炙せず、コーラ飲料に比べて影の薄い存在となってしまった理由についてははっきりとは分かりませんが、ハッカや湿布を思わせる独特な風味が万人受けしなかった、「コーラ」、「ガラナ」、「サイダー」といった競合商品が市場に数多く出回っていたというのが大きいのかもしれません。

後編に続く

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