見出し画像

働く、仕事をするという事について再定義

こんなツイートをしたら想像以上の反響があってビックリした。
それだけ共感してくれる人たちが多かったのだと思う。

高校生の時くらいからバイトをはじめて、当時は時給800円くらいのために必死に働いた。

今の自分に大きく影響ているのは塾講師の経験だけで、他にスーパーのレジ打ち、コメダ、引っ越し、イベントスタッフ、派遣、社会人になってからの営業職と色々やったけど特に今「あの時の経験が、、」と言えるモノはない。

当時は資本主義の構造など知らず、上司に言われた事をひたすらこなし、自分を押し殺し、時には他人を騙しているんじゃないか?と思えるような事もした記憶がある。

資本主義の構造を見れば一目瞭然だが、こうした思考停止した働き方は資本家によって搾取されていた事は間違いない。

そして働く事に全く自己効力感が見出せなかった。
自分の価値を感じられなかった。

今働いていて、自分が人の役に立っているという実感が出来た時こそ、自己効力感であったり自分の価値というものを見出してくれる。

だから今の仕事は、自分自身は人の役に立っている、自分は世の中に価値があるんだと効力感を持てるからこそ続けられる。

そんな想いでツイートをした。

竹浦さんは利他的で素晴らしいですね!
なんてニュアンスでコメントを数件いただいたが、
自分で効力感を感じたかったり、価値を感じたかったり、とある意味利己的でもある。

だからこそ仕事をするという事は、利己的であって利他的でなければいけないと常々思う。
そして周りにいる人も幸せに出来るのであれば三方よし。

三方よし、じゃないと何にも続かんね。

最近、「株をバイアウトして海外で暮らして〜」みたいなタイトルの本を良く見るけど全く魅力的だと思わないな。

それ本当に楽しいのか?

自分はいつまでも現場に出続けて、人のため自分のために働き続けたい。
それでしっかりお金を稼いで、税金納めて国にも貢献出来ればそれで良い。三方よしだ。

幸せになる為の手段としてお金があるのと同様に、人から「ありがとう」と言われたり、役に立てたという効力感を感じるのも幸せの手段の1つ。

一緒に働く仲間たちと何かを達成出来た時のあの高揚感だったり喜びはまさに「幸せ」だ。
これは野球をやってた小学生の時から今もずっと続いている感覚だ。

だから、今幸せじゃないという人は先ず他人を幸せに出来ているか?を問うべぎたと思う。
お金の問題ではないはず。
そして問題は他人や環境ではなく自分自身にあるはずだ。

そんな事を忘れずに日々を生きたいもんです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?