生協の変
GちゃんBちゃんがデイサービスを拒否して、介護計画が崩壊したGBの二回崩れの翌々日。Gちゃんから電話がかかってきた。
『オメエちょっとうちに来いよ』
あらま。
「何かあったの?」
『バーサンが生協に入っただ。だけど、紙が多すぎて何がなんだかわからねえ。オメエ書いてくれ』
「どこの生協?」
『知るかよ』
むむ、これはGB間ですでに一戦あったあとだなと察しがつく。
Gちゃんが『二度と来るな』と吠えたのは一昨日のことである。
鍵かけて二度と家に入れないはずじゃなかったんかい。とは思うが、Bちゃんが生協のチラシを前に難儀をしているのなら、行かなくちゃ。というので、チョロイ私は出かけていった。
実家に着いて、Bちゃんがさじを投げたチラシを見せてもらったところ、週に一回の個配、配達時に翌週分の注文票を出すという、平均的な生協の注文スタイルだ。
話の前後から察するに、二日前に私を呼びつけて介護計画をつぶした直後、生協の個配を勧誘するひとが実家に来たようだった。
「これからはムスメに頼らず私もこういうものを利用して、ひとりでやって行かなくちゃ」
とBちゃんは思ったのだろう。そして生協の勧誘員さんが帰ったとたんに、何をどう記入すればいいのかわからなくなってお手上げ……になったものらしかった。
書き方を説明しても、来週になればBちゃんはまた途方に暮れることになる。Gちゃんは目がいけないから、こういう細かいものは見えない。
私が記入することにしよう。
「スーパーで買ってるものから、つけていこうか、Bちゃん」
「そうしておくれ」
Bちゃんは生協のチラシを見るのもイヤ。になっているらしく、近づいてこない。
Gちゃんはいつも通り椅子に座って、
「見にくいよな。わかりにくいしよ。これでよく商売になるよな」
文句を垂れていた。
でもまあ、生協購買歴は二十年超の私である。記入くらいお安いご用だ。Bちゃんがこれで楽になるなら、買い物にGちゃんと行って罵声を浴び続けるより、ずっといい。
鉛筆を手に、ざっとチラシを見渡し、Bちゃんにわかる品物から、
「じゃ、まず野菜ね。ほうれん草か小松菜」
Bちゃんは返事をしない。代わりにGちゃんが口を出す。
「野菜なんかダメだ。菜っ葉は特にそうだ。やつら、どうせ古いもの、売りつけるに決まってるだ」
「じゃ、葉物野菜は買わないね。次、トマト、リンゴあたり」
「今の季節、トマトなんか食えるか」
冬のあいだ食べてたでしょうが。
「あそ。じゃ、リンゴは?」
「高いのか」
「平均的」
「って、つまり、どっちだ」
「スーパーの特売よりは高い。でも通常販売品よりは安い」
「なんだ、そりゃあよ」
「安定価格。慣れれば便利よ」
「不便だ」
文句の他に言葉を知らぬGちゃんである。
「お米や牛乳、重いものはスーパーに行って買うと、運んでくるのが大変でしょ。生協は届けてくれるんだから、助かるんじゃないの」
「配達料がバカバカしいぜ」
「二千円以上買えば配送料はタダ」
「二千? ぼったくりだな」
何を根拠に。
「Gちゃんとこはスーパーで、一回買い物するといくら使う?」
「うーん、千五百円くらいか」
ウソだろ。買い物の付き添いに何度も行って、そんな金額で収まらないことは、私がよく知っている。
「スーパーで週二回買い物して、三千円てところだよね。生協で週一回、二千円なら、むしろ安いくらいで、ぼったくられないよ」
Gちゃんは計算が苦手。混乱したのか、
「だいたいな、自分で書けもしないくせに生協に入るバーサンが悪い」
すると台所からBちゃんが、
「アタシは悪くないよっ」
抗議の声をあげた。
「記入が難しくて困るなら、毎週来て書いてあげるから、しばらくやってみて、どうしても気に入らないなら、やめますって配達員さんに言えばいいんだよ」
「入会金、返してもらえるのか」
なるほど、そこか。Gちゃんは生協の入会金(千円くらい?)が惜しくてならないのだ。
スーパーでは入会金は取らない。Gちゃん的には生協システムが憎くてしょうがないのだろう。
「退会すれば入会金は返ってくるよ。退会の書類を送ってもらって、それに口座番号書いて送れば口座に振り込まれてくる」
「バカ言うな!」
Gちゃんは目をむいた。
「入会したときゃ現金で払っただ。返すときも現金で持ってこい。それが常識だ」
ふーん……と、私は電話を差し出した。
「じゃ、自分でかけな」
「なんだ。どこへだ」
「生協。入会したばかりだけど気に入らないからやめる、入会金は現金で持ってこい。そう言って、自分で。はい」
Gちゃんは顔を引きつらせ、
「洗濯物、乾いてたな」
椅子から立ち上がった。
「まだ干してないでしょ」
「そんなわきゃねえべ、どれ」
逃げていった。
洗濯機はまだすすぎも終えていなかった。電話をかけるくらいのことがそんなに怖いか。口ほどにもない、意気地なしめ。
結局、生協は二週で挫折した。
「やっぱりアタシは野菜も魚も、実物見て買いたいわ」
まあ、Bちゃんの習慣から考えて、当然だろう。
個配停止の連絡とその後の返金処理だけ、私におはちが回ってきた。
Gちゃんの話では、
「俺が出かけていたあいだに生協の奴らが来て上がり込んで、バーサンをだまくらかして、契約して行きやがった」
であり、Bちゃんは、
「どうしてこんな紙が来るのかしら……アタシは何もしてないよ」
というのである。
高齢者の家に訪問勧誘に来て、ひとりで家にいる高齢者から、短時間で契約を取っていくのはいかがなものか。
電話で応対してくれた生協の人に、
「ちなみにどういう勧誘方針ですか」と聞くと、
『申し訳ありません、実際に訪問した勧誘員から説明とお詫びの電話を入れさせます』
ということになり、しばらくしてかかってきた電話で、
『お父様、お母様、ご一緒にチラシをご覧になって、これはいいねとおっしゃってくださったものですから……すみませんでした、今後は気をつけます』
こちらが青くなって、
「わわわ、気をつけなくていいです。すみませんでした!」
逆に謝る結果になった。
現金での入会金返還は当然無理なので、GちゃんかBちゃんの普段使いの銀行の口座を所定の用紙に記入しなければならない。
用紙は私の家に送ってもらい、数日後にそれを持って実家へ行くと、玄関前に真新しい自転車があった。
「どうしたの、この自転車」
するとGちゃんが窓から顔を出し、
「いいべ。買っただ」
と自慢した。
「自転車なんかどうするの。誰も乗れないじゃん」
Bちゃんはもともと自転車に乗れない。
Gちゃんはほぼ見えない人なので、自転車に乗ってはいけない。
「俺が乗るだ」
なんだとう!
「危ないじゃん、見えないのに!」
「いや、見える。平気だ」
Gちゃんは家から出てきて自転車を軽く撫でた。
「電動だ。楽でいい。これがありゃ病院もスイスイ~だ」
「通院はタクシー使いなよ」
「オメエが全額払ってくれりゃあタクシー乗ってやってもいいぜ」
冗談じゃありませんよ。
「両眼ともコンマゼロ1以下じゃん。事故起こす前にやめて」
「へっ、でえじょぶだあ」
「どこの自転車屋で買った?」
「ん? ま、そのへんの」
店の名を言うと私が自転車を返品してしまうので、Gちゃんは賢くごまかした。
Gちゃんの目は一回移植手術をしたけれども、右はまだ角膜炎のままで、左は術後一年は視力が出ない。そういう目である。
移植手術をする前に、医師から、
「若かったころのようにクリアに見えるようになるわけではありません。完全に失明してしまうのを避ける、そういう手術と思ってください」
そう説明されていた。事実、手術前も手術後も、Gちゃんは私と看護師さんを見間違えるし、広告の裏表の区別がつかない。
「なんだこりゃ」
と言いながら、印刷のない白紙面を、じっと見つめていたこともある。
光のありなしがかろうじてわかる。テレビ画面の光の動きはわかるが、映っているのが人か犬かはわからない、そういうレベルなんである。
それでどうして自転車の運転などさせられようか。
もしも事故を起こしたら……と思うと恐ろしかった。私は『目の見えない老父を自転車に乗らせていた非常識な家族』というヤバイ立場に立たされることになる。
Gちゃんがよろよろ走っていて車に轢かれたら? 悪いのはGちゃん、ということになるだろう。
監督不行届か保護者の怠慢となるのか、よくわからないが、私にも責任がある……かもしれない。変なもの轢かせてしまってスイマセンと運転手さんに謝るのは私だ。
あるいはGちゃんが歩行者を轢いたら?
もしも幼い子供なんかはねちゃったら?
最悪、轢いて死なせちゃったら……?
どおおおおッ!!……すりゃいいの!?
この日から一週間くらい私は家の電話が鳴るたびに、「もしや」とビビリ、ついには夜中にこっそり行って自転車を盗むしかない、とまで思い詰めた。
で、あるとき玄関で、自分の自転車の鍵を見ていてひらめいた。
「新しいチェーン錠買って、かけてきちゃえばいいんじゃん」
ロックしたあと、鍵は私が持ってきてしまえばいいのだ。念のために三つくらいチェーンをかけてしまえば、さすがのGちゃんも諦めるだろう。
よし早いとこDIYに行って鍵を買おうと思っていた矢先、次の事変が勃発した。
Gちゃんが自転車ごと行方不明になったのである。
消えた老人と自転車 に続く
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