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老人と自転車


 二〇〇九年初夏のある晩のこと。夕食を済ませ片付けも済んで、さて仕事するかと私がパソコン前に座ったとき、Bちゃんから半泣きで電話がかかってきた。

『ねえ、お父さんがいないんだけど』
「いない? いつから?」

 そのとき夜九時少し前である。

『いつからかしら、わかんない』
「お風呂とトイレは?」
『探したよ。いないんだよ』
「晩ご飯のときは?」
『作ったけど。でも食べてない』

 む。少なくとも夕方六時ごろにはGちゃんが家にいなかった、ってことか。

 非常事態だ。

「よしわかった。Gちゃんは私が探し出して連れて帰るからね。安心して、Bちゃん」
当てはないけれど、とりあえずそう言う。

『アタシも探しに行くわ! そうだ、買い物かもしれない!』

 ちょっーーーと待ったーーー!
 行方不明者が二人になっては、お手上げである。こっちはひとりしかいないのだ。

「Bちゃんは家にいてね。Gちゃんが帰ってくるかもしれないから」
『イヤだよ、心配でいられないよ』

 そのとき、ふと気づいた。もしや。

「Bちゃん、Gちゃんの自転車ある?」
『自転車? 自転車って何?』
「玄関の外のゴミ箱の横に自転車があるかどうか、ゆっくりでいいよ、灯りつけて、見てみて」

 ガタゴトと音が聞こえ、Bちゃんが玄関を開ける気配があった。しばらくして、

『よくわかんないんだけど』
「あ、そうか……じゃあね、ゴミ箱はあった?」
『うん、ある』
「ゴミ箱の他に、何もない?」
『なんかね……』

 頑張れBちゃん。Gちゃんの命はBちゃんの捜査にかかってる。

『ツルツルした大きな袋……みたいなのはある』
それは自転車の雨よけカバーだ。

「袋の中に何かある?」
『ちょっと待って』

 Bちゃんはもう一度見に行ったようだった。

『空っぽだよ。これはいったいなんの袋?』

 お手柄だ、Bちゃん。Gちゃんは雨よけのカバーを外してゴミ箱横に置き、自転車に乗って行ったのだ。大きな手がかりである。

「必ず連れて帰るからね、一度電話を切るよ。またすぐ電話するからね。家にいてよ」
『アタシ、探しに行きたい』
「うん、そうか、わかった」

とだけ言って、電話を切ってただちにGBのご近所さんで、唯一、私が電話番号を知っている、やはり高齢者、のお宅へ電話した。
 Gちゃんが帰宅せず、Bちゃんが動揺して探しに行くと言っている旨を伝え、自宅から出ないよう説得してくださいとお願いした。

 八十歳を超えるご婦人ではあるが、
『すぐに見に行ってあげるよ』
 引き受けてくださった。ありがたいことである。

 Bちゃんの安全を確保したあとで、次に、GBの住まう市の救急本部に電話する。

「今日の午後から今までのあいだに、自転車に乗ってふらついていたお年寄りを保護していませんか」
『本日の高齢者保護の記録は一件、午後三時頃、もう帰宅されてます』
「このあと、保護情報があったら教えてください」

 お願いします、と言って電話を切る。

 続けて、Gちゃんの病院リストに片っ端から電話する。入院患者のいる病院の夜間受付に、Gちゃんが帰宅してこないと説明し、今日、Gちゃんが受診したかどうか、調べてくださいとお願いした。
 電話で応対してくれた病院のうち、他県の病院(Gちゃんひとりでは行けないはずだが、念のため)と、二十年近く通っている心臓専門医と、市立病院と消化器専門医では、

『今日は来られてないですね』

 受診記録はなかった。となれば残るは日頃のかかりつけ眼科医と、同じく日頃のかかりつけ内科医だ。内科医院は家から一キロ。この距離で何かあれば、連絡は入るはずである。

 では眼科か。かつてBちゃんが真夏の路上に放置された『倉庫街の悪夢』のときも、行き先は五キロ離れたこの眼科医院だった。
 ここは入院患者もいるはずだが、夜間の電話に出ない。録音できない留守電設定である。
 この眼科医の本院が十キロ先にあり、そこへも電話したが、留守電だった。あやしいのは眼科だ。目星はついた。

 この時点ですでにBちゃんの第一報から三十分が経っていた。
 Bちゃんへ電話すると、ご近所さんが付き添ってくれていて、

『大丈夫、そばにいますよ』
 とりあえず一安心。続けて所轄の警察署に電話する。

「高齢の父が自転車に乗って出かけたきり帰ってきません。迷っているかもしれないので、探していただけないでしょうか」
すると即座に、
『それは認知症のかたですか』

 むむ、やはり多いのだろうなと思われる応答だった。

「父は軽い認知症です。でも受け答えはできるレベルで、徘徊したことはありません。家を出た後、自宅に戻れなくなるほどの状態ではないのです。が、目が悪くてほとんど見えません」
『認知症のお年寄りであればまず徘徊と考えられますが……』
「はい」
『徘徊ではないのに帰宅してこない、となると、事故の可能性がありますね』
「事故……」
『転落等で助けを呼べない状態とも考えられます』

 むむ……。

『では、行方不明になられたかたの年齢、特徴、今日の服装をお願いします』

 今日の服装はわからない。Bちゃんにもわからないだろう。外出時刻もわからないし、行き先も推測の域を出ない。私に言えるのは、
『中肉中背でハゲ頭の八十歳、ハゲ隠しに帽子着用、自転車で出かけた』
……程度のことだった。

 GちゃんはBちゃんの買い物の荷物を持ってあげようとて、自転車を買ったのではなくあくまで自分のため、具体的には『病院もスイスイ~』のために買ったのである。
 眼科医院と家のあいだ、五キロの範囲内、そのどこかに自転車とともにいると思われた。

『わかりました。すぐに捜索の手配をします。同時に各自治体から広域放送を行います。捜索はこれこれの範囲をパトロールし、発見次第連絡します』
「お願いします」

 警察への依頼を済ませると私は車に飛び乗った。

 私の家からみて、眼科医院は東南東方向へ十キロ強。GBの家はそこから南南西へ五キロ。眼科医院から実家まで、夜間も交通量の多い国道が蛇行しつつ三キロ。400メートル長の大橋を渡って90度で折れて、あとは県道を右左折しつつ家まで二キロ、という道のりである。このいびつな三角域のどこかに、Gちゃんはいると思われた。

 ただしこの範囲内の道のどこに、Gちゃんがいるのかはわからない。狭い道、住宅街の道に入り込んでいたら、見つけるのは不可能に近い。Gちゃんがいそうなエリア、三角域の頂角のひとつに近づいたとき、私にはGちゃんを捜し出せる自信はまったくなかった。

 古い城下町特有の、むやみとわかりにくい道路網である。曲がりくねり突然狭まり、行き止まりになったりする。県道市道ともに細くて民家の軒が迫り、見通しは悪い。
国道と交差する県道は、交差点から先が突然、進入禁止の一方通行になったりする。
 山岳部の温泉地帰りの観光客が知らずに進入して、一斉にクラクションを浴び、冷や汗をかいたりする。土地の人以外には運転をおすすめできない道路事情である。

 また一般道かと思ってまっすぐ進んでいくと、いつのまにか農家の庭になっていたり、どう考えたってUターンも切り返しもできないよね的、袋小路のどん詰まりとなり、道の先はいきなり田んぼで立ち往生することもある。

 そのわかりにくい市街路に、幅広の河川が迫っている上、橋は少ないものだから、橋の近くの道路はどれも車が集中して渋滞する。川沿いの道では歩道がなく、路側を走る自転車の脇をかすめるように、抜け道走行のコンテナ車が烈風吹きつけながら走っていく。

 しかも道路の横は水量豊かな取水堰、堤防は急勾配で貯水池まで落ち込んでいる。ちょっとヨロッといったらガードレールを越えてコロコロドボンになりかねない。

 取水堰近辺は昼は水鳥が多く、バードウオッチングに最適。夜は取水堰水面に夜間照明が映えて綺麗。とと、それどころじゃなくて。

 米びつの中のゴマ一粒を探すような探索であることよ、難儀な。と思いつつ、川端から県道へ、さらに狭い旧道へと入ったとき。

 一粒のゴマを見つけた。

 フラフラと自転車を引いて歩いているGちゃんであった。少し追い越して車を停め、
「Gちゃん」
と呼ぶと、
「お……」
 さすがに安堵した様子である。すぐさま車に乗せて座らせ、警察署に電話した。

「さっき捜索をお願いした者です、父が今、無事に見つかりました」
『良かったですね!』

 警察官の声が明るかった。

『おじいちゃん、どこにいましたか』
「大橋を過ぎて倉庫街脇の抜け道を出て旧道に入ったあたりです」
『えっ……、あの道で? よく見つけましたね』
「あ、ハイ、偶然ですけど」
『いやー、良かった! 本当に良かった』

 親身になって喜んでくださっているのである。ありがたかった。

「今度のこと、何か警察へ届け出のようなことは?」
『いえ、不要です。早く家に連れて帰ってあげてください』
 電話している目の前をパトカーが通り過ぎた。まだ探してくれているのだ。

 ありがたく、何かしら申し訳なく、テールランプに向かって頭を下げた。

 Bちゃんに電話をかけて、
「今、Gちゃんを見つけたよ」
と知らせると、
『○×?&!!!!』
 何を言っているのか全然聞き取れないが、Bちゃんは泣いていた。
 付き添ってくださっているご近所さんにもお礼を言い、各方面への連絡は終了。

 さてあとは。この自転車をどうするか。ここに置いていくとあとで私がここまで歩いてきて、自転車に乗って実家へ運ばなくちゃいけない。小一時間か……。
 えい、乗せてしまえ。ハッチバックを開けると、

「うおっ?」
 Gちゃんは驚いた。
「動かないで座ってて。自転車を積むから」
 後部座席を吊り上げて、空間を広げる。Gちゃんが座っている中座席もめいっぱい前へ動かした。

「狭いけど、家まで我慢して」
「自転車は無理だべ?」
 座席からGちゃんが、さすがに文句声ではなく戸惑い声で言う。
「乗せる。大丈夫」
「俺の自転車、重いぞ」
 たしかに普通の自転車に比べるとかなり重かった。

「ひゃー、重いー!」
「おい、でえじょぶか」
「デカイ車で、良かったでしょ」
「う?」
「こういうときは役にたつでしょ、チビな娘も、デカイ車も。ヨイショ、と」
「……そんなこたぁオメエ……言うなよぅ……」(小声)

 Gちゃんは先般、私と車をセットにして、チビ(私)だの、デカイ(車)だのそのほかにもあれこれと罵倒したばかりである。バツは悪かろう。
 自転車を車内に乗せあげてみれば、空間にまだ少し余裕があって、ハッチバックは楽に閉められた。

「さあ帰るよ」
「おう、帰るべ」

 しばらく走るとGちゃんは、

「眼医者で打った目薬がいつまでも眩しくってよ」
 ぼそぼそと説明し始めた。Gちゃんがその日、眼科で投与された点眼薬の薬効は、思いの外長時間、切れなかったらしい。

「だもんで、外に出たら目なんか開けちゃいられねえ」
「瞳孔広げて眼底見たんだ?」
「そうだ。診察のあと病院でずいぶん待った。けどダメだっただ」
「それ何時ごろのこと?」
「予約は一時だった」

……ということは、診察を終えて二時。三時まで病院で薬が切れるのを待ち、瞳孔が開いたままで外へ出て、そのあと十一時まで放浪し続けていたことになる。

「それが全然、見えなくてよ」
「瞳孔広げる薬ではねえ」
「もう、走れたもんじゃねえ」
「走ってたら危なかったかもね」

 私が運転手さんに『変なモノ轢かせちゃってスミマセン』土下座。の展開である。

「……それからまあ自転車押してよお、ずいぶん歩いたぜ」
「八時間。体力あるじゃん」
「バカ言え」
 やっと笑い声がたつ。Gちゃんの緊張も解けたらしい。

「だもんでな、いっちょ近道しようと思っただ」
「眼科と家のあいだに橋は一本しかないじゃん。近道はできないよ」
「いや、新しい橋もあンだ」

 一瞬、返事をしそこねた私だった。

 Gちゃんの地図が消えかけている。そして新しい橋が架けられている。
 その橋の名前を誰も知らない。
 その橋を見た人もいない。
 橋はGちゃんの脳内世界にのみ架けられている。

 いわく言いがたい新しい種類の不安が私の胸をよぎった。

「……川下に、そういえば新しい橋があるよね」
 二十年以上前に架けられた橋の話に切り替えてみる。
「そうだ。けど、そこへ行くまでが、てえへんなんだ」

 その橋を探して行きつ戻りつを繰り返して、この時間まで迷っていたものらしい。そしてなんとか橋にたどり着き(これは現実に存在する橋)、渡ったはいいが、家に帰るためには右左いずれに行けばいいのかがわからず、「どうするべえ……」と迷っていたところを私が見つけたのである。

「こんな時間になる前に通りすがりの人に、ちょっと一声かけて助けを求めればよかったのに」
「聞くほどのことじゃねえべ」

 道に迷った老人と、他人様に憐れまれるのはイヤだったのか……。いまどきは皆、携帯電話を持っているから、少なくとも行方不明八時間なんて事態にはならなかったはずだ。

「お願いします」のひとことを口に出す勇気があれば、済んだ話ではあるが……。Gちゃんは、見知らぬ誰かに話しかけるようなことはできない。というより、最初から選択肢の中にないのである。

「Gちゃん、何度も言うようだけど、遠い病院に行くときはタクシー使ったら?」
「うーん……」
「介護タクシーはどう?」
「うーんん……」

 この状態でもまだカネにこだわるかGちゃん。

「安全第一だよ、Gちゃん。目、見えないんだしさ」
「そうだ。全然、だめだ」
「足もまだ感覚がないんでしょ」
「左がなあ……踏ん張れねえ」

 Gちゃんの踏ん張れない足は、帯状疱疹の後遺症である。

 Gちゃんの五大疾病は、心臓、糖尿、高血圧、目、足。もっとも軽度なのが足なのだが、足の病にも、これが書かずにおらりょうかというようなエピソードがあったりする。

*閑話・帯状疱疹

 さかのぼること数年前。

 Gちゃんは帯状疱疹を病んで、意地張って一週間以上、病院へ行かず、重症化してから慌てて入院し、高熱と発疹でエライことになった。発疹のせいで皮膚のただれもひどかったが、病後にさらなる問題が起きた。左足を中心に広範囲の神経に菌が入り、神経細胞が傷ついたとかで痛みが取れない。だが自己判断してGちゃんは薬を飲まなかった。痛み止めを飲み続けると、効かなくなるとか胃が荒れるとか言って、やめてしまったのである。

 その結果、痛みのあまり深刻な睡眠不足に陥り、
「このままだと俺は死んじまう」
 けっこう本気で焦っていた。
「痛いなら薬を飲みなよ」
と勧めても、
「飲んだって効きゃあしねえ」
「じゃあ他の効く薬を出してもらったら?」
「あんまし強い薬はいけねえ」
「医者が出す薬なんだよ? 大丈夫だよ、飲みなよ」
「いや、信用できねえ。痛み止めなんて麻薬と同じだ。飲んだら身体をこわす」

 痛みと寝不足でげっそりやつれて、毎日痛い痛いと騒ぐくせに、医師の指示に従わず、私の言うことも聞かない。結局は再入院して鎮痛の治療を受け、それでも治らず、麻酔科に通って神経ブロック治療をしてもらった。
 だが左の腰から腿、足の裏までの感覚は戻ってこなかった。Gちゃんの足はそういう足なんである。

 しかも入院中、看護師さんから、
「トイレのときはコールで呼んでくださいね。車椅子持ってきますから」

 そう言われていたのに、Gちゃんは自分でベッドから降りようとして転落し、頭を打った。このときは夜十二時ごろに病院から電話がかかってきて、
『お父さんがさきほどベッドから落ちました』

 なんですとぉ。よくよく事情を聞くと、
『カーテンにつかまったまま倒れるようにして落ちたらしく』
 ドターン! と大きな音に隣のベッドの患者さんが驚いて跳ね起き、コールしてくださったとか。

『さきほど医師が診察して、骨折などはないということで、おそらく大丈夫だと思いますが……』

 院内でこうした事故があったときは、家族に知らせるという決まりがあるそうである。

「今夜、そちらへ家族が行かなくてもいいですか」
『ええ、頭部のくわしい検査は明日の朝以降になりますから。今、医師が診たところ骨や関節は大丈夫です』

 この程度のことだったのだが、Bちゃんは電話でそのことを看護師さんから聞いて、頭に血が上り、なんとタクシーに飛び乗って病院へ行ってしまった。
 なので、病院から再び私の元へ電話がかかってきた。

『今、お母様が病院へいらして帰らないとおっしゃるんですが……すみません、迎えに来ていただけませんか』
 あっちゃー……。Bちゃん、勘弁してくれ。真夜中だぜ。で、私も病院へ行った。

 自分の勝手でベッドから落ち、Bちゃんが深夜の病院へ来て、おまけに鬼より怖いムスメが憤怒の形相で現れたものだから、Gちゃんは私の顔を見るなり、

「げっ…………」
 うめいて狼狽した。
「看護師さんの言うことをきいて車椅子に乗りなさいよ」
 夜半の病院でオヤジに説教。
 看護師さんには、
「今度ベッドから落ちたらそのままにしておいてください。床ならそれより下へは落ちないから」
 頭をさげてお願いをした。そして、
「Bちゃん、帰ろうね」
 イヤだ泊まると泣いて騒ぐのをなだめすかして、病院から連れ出して実家まで送っていった。
 日付が変わって翌日の深更のことであった。

 閑話休題・疱疹はさておき。

 そのときの後遺症が今も痛みと痺れと無感覚、三拍子そろった足となってGちゃんを悩ませているのである。このように感覚の鈍い足で、ほとんど見えない目で、いつ詰まるかわからない心臓で、八時間も歩くのはやはり無謀だなあ……と思う。

「Gちゃん、冗談抜きで自転車はやめたほうがいいと思うよ」
「へっ、でえじょぶだ」
 家に近づくといつもの暴言Gちゃんに戻り、玄関前で待っていたBちゃんが、
「こんな時間までどこに行ってたのよ、アタシをこんなに心配させてこの人でなしッ!」
 真夜中だというのに、あたりをはばからず、安心と興奮のためか大声で怒鳴り、
「うるせえ、俺がどこへ行こうと俺の勝手だ!」
 Gちゃんも言い返し、いつものようにらちもない大げんかになった。

 帰るからね、と、私が声をかけてもふたりは喧嘩に夢中で気がつかない。
 罵倒バトルを背中で聞いて、私は車に乗り込んだ。


 帰路、Gちゃんが先刻、自転車を押して渡ったであろう大橋の袂へしばし車を寄せて考えた。

 何をどうすればあの二人が安全かつ平穏に暮らせるのか。
 私に何ができるのか。どんなに考えても策が見えてこない。

 非力だなあ……

 取水堰の水面に夜間照明が揺れるのを眺めたあとで家路についた。


GB包囲網作戦・序盤戦はここまでとなります。
次回から中盤戦となり、ますますヒートアップする介護戦です。

相模の乱・入院前騒動 へ続く。

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