GBの大乱編3
ステイ終了に備えて
その後、Bちゃんはときどき私の家に電話をよこして
『家に帰ることになったから』
なんて可愛い嘘をついたり、
『着替えがほしいわ』
身の回りを整える気持ちも出てきたりした。
私が会いに行くと腕をがっちり掴んで離さず、
「ちょいと歩いて来ますね」
施設の人に笑顔で言ってちゃっかり外へ出たりしたが、散歩をして気が済めば、
「おなかすいてきたわね」
帰ろうか、と施設へ戻る。総じて安定した状態が続いた。
「帰りたい」という気持ちは強くて、職員さんを困らせたり、フロントに居座って業務の邪魔をしたり、それはもちろんあったが、それ以外には問題も起こさず、Gちゃんのこともよく理解して、
「遠くの病院に入院していること」
「月末に帰ってくること」
を忘れることはなかった。
数日後、施設からの帰路、実家の掃除もほぼ片付いて、かかりつけ内科のお医者さんに私は現状を説明に行った
「施設○○なら私も一度往診に行きました。良かったね、これで安心だね」
「はい。今は施設に慣れてとてもいい状態になってます」
「うんうん。安心が一番」
先生も安堵された。
「お父さんが帰ってきてからがまた大変だねー」
と先生はおっしゃった。そうなのだ。それが大問題だった。
Bちゃんは施設で元気になり、できればこのまま入っていてほしいくらいだが、あのGちゃんがそれを承諾するわけがない。
いずれGちゃんが退院してくる。Bちゃんを施設から出す。
夏の終わりにGBの難儀な二人暮らしが再開される。
Gちゃんの暴言がBちゃんを蝕んで、認知症は再び悪化し、私には何度目かの苦行が迫ってくるというわけだ。
介護を阻む根源は他の何ものでも無い、Gちゃんである。戦国時代なら打って倒せもできようが、現代ではそうもいかない。
どうにかできないものか。
八月も半ばを過ぎるころ私はあちこちへ出向いて、Bちゃんを守る方法を探して歩いた。市役所の介護課で現状を丁寧に説明して相談してみたが、
「ふたりとも精神病院へ受診に行ってみたらどうでしょう」
あまり現実的でないアドバイスが出されただけだ。
Gちゃんは以前、主治医から、
「アルツハイマーかどうかを調べるために、専門病院へ奥さんを連れて行って受診してください」
と言われ続けていたのに、「まだ早い」とか、
「バーサンがアルツハイマーなら調べたってどうせ治りゃしねえ」とか、無茶苦茶な屁理屈を並べて、頑として受診させなかった。
そのGちゃんを精神病院へ連れていけるか。希望は持てない気がする。
医療保護、家庭内暴力からの避難、法律による保護、あれこれ探ってみたが、結局のところ、Bちゃん自身が保護を強く望まない限り、対策は取れない。ということがわかった。
公的介護には限界があります。介護保険制度は高齢者を保護する法律ではなく、あくまでも介護のための制度です。
介護課の職員からそうした言葉も聞いた。事態が逼迫しただけでは高齢者は保護されない。事故か事件が起きて、Gちゃんから暴行を受けてBちゃんが怪我をすれば入院という方法も取れるが、Gちゃんの暴力の証拠がつかめなければ、いずれ退院となって元の木阿弥である。
となれば次は司法による解決だが、BちゃんはGちゃんを加害者と証言できない。法がBちゃんを被害者と認めなければ、保護なんて得られない。それにそもそも、
怪我してからじゃあ遅いんだよぉぉーーーー!
遠吠えしたい気分だった。
無策のまま時間が過ぎ、とうとうGちゃんが退院してくる日が決まった。
『退院するからよ。迎えに来い』
相変わらずの俺様電話である。
『ところでよ。バーサンはオメエのところにいるのか』
「いないよ」
『電話に出ねえ』
「あ、そう」
『俺がいねえと思って調子こいてサボってやがんだ』
この人に何を言っても無駄。なので私はBちゃんが施設にいることも、元気になったことも言わなかった。
「今度は退院後二日でそっちまで通院なんてことはないだろうね」
そこだけ釘をさす。
『さあな。医者はなんにも言わねえよ』
「そう。じゃ私が自分で電話かけて聞く」
『バーカ、オメエが聞いたって奴ら教えやしねえよ』
ンなこと、あるかい。病棟に電話をかけて聞いてみると、退院後通院は一週間後ということでひとまず安心した。
「病棟にご迷惑おかけしてませんか」
と尋ねると、看護師さんは、
『毎日、とても静かにしてます』
そこが、Gちゃんのやっかいなところ(外面だけは良い)なのである……。
Gちゃん退院の前日、私は施設に電話をかけ、
「明日の夕方五時ごろ迎えに行きます」
ショートステイの終了をお知らせした。Bちゃんの帰宅願望を知っている職員さんは、
『良かったですね』
喜んでくださった。Bちゃんもきっと今夜は嬉しくて眠れないだろう。
だがGちゃんはどこまでいってもGちゃんなのだ。拭いきれない不安を残し、翌日、私はGちゃんを迎えに新幹線に乗った。
Gちゃんを迎えとり、退院手続きを済ませて病院を出た。Gちゃんは前回退院したときよりさらに足が弱っていた。私の支えを振り切ろうとはしない。
だがタクシーに乗るとGちゃんは何が嬉しいのか、
「フッフッフ」
と笑った。
「帰ったら保険に入るからよ」
前置きなしのイキナリ話題で、どう返事していいのかわかりません。
「カネはあるんだ」
「あ、そう」
「オメエによ」
「はい?」
「保険かけるからよ」
なんですって……。
「いや、いいのがあるって聞いただ。あのな」
ははーん。さては入院中に保険営業と接触があったな。
患者の誰かが保険関係だったか、それとも入院医療費の件で営業が病室まで来たか。そこで『美味しい保険』の話をたっぷりと刷り込まれてきたというわけだ。Gちゃんが自分に保険をかけても死亡保険金は受け取れない。そこでムスメにかけよう、と考えたに違いなかった。
「契約して五年以上たってからオメエが死んだら、元手の5倍以上になるだ」
私の死亡保険金で儲けるつもりらしい。Gちゃん自身の余命は度外視だ。
「あ、そう。じゃここで飛び降りて死のうか」
「バカ、入る前に死んだら元も子もねえ」
「どのみち私の死亡保険金なら、私にはなんの関係もないしぃ」
「違えねえ、ハッハッハ〜」
タクシーの運転手さんがどう思ったでしょうか。私は知りませーん。
私は保険を信用していない。それには理由がある。
私が高校卒業後、社会人となり、入社直後の五月ごろのこと、Gちゃんの親戚のひとりが保険外交になった。契約を取るのが大変で、親類を片っ端から契約させていた。
Gちゃんは親戚筋への見栄もあったのか、勧誘を受けるとすぐさま安請け合いしてきて、
「オメエ、保険に入れ」
私におはちを回してきた。すでに保険外交の親戚へは「入る」と約束してきたとかで、ここで私が「イヤだ」と言えば違約金を取られるとまで言われて、しかたなく私もその保険に入った。
今思えばそのあたりからうさんくさい保険だったのだが、なにせGちゃんの親戚なので、表立って文句も言えない。
毎月、8千円を保険に支払った。高卒女子の基本給が4万円とちょっとのころの8千円である。
さらにボーナス月には5万とたいへんイタイ出費だった。
で、8年ほど過ぎたとき、解約したいと申し出ると「印鑑証明が要る」と言われて、高価なハンコも作り、役所に届けて証明書も取り、書類も整えて提出して……。
さて。1円も戻ってきませんでした。
1円も戻ってこないのなら何故実印がいるのだ。Gちゃんに食い下がったが、
「俺が知るかよ」
まあ、そうだろうよ。
Gちゃんの親戚も保険も信用できないと私が吠え、Gちゃんは激怒した。こめかみ脇の眉骨が陥没骨折するほど殴られ、さんざんな保険騒動だった。
こういうことがあったので、保険は信用ならん。というのが私の本音である。
だがGちゃんが、Gちゃんの虎の子をどうしようと私には関係ない。保険契約しようがしまいが、好きにすれば。みたいなもので、関心はなかった。
Gちゃんと金の話をするのはタブーである。Bちゃんと親子話がタブーであるように。このふたつはじつにビミョーなんである。
相手が親だから争いを避けて黙る……というのではなく、むしろこの内容については、Gちゃんとは相容れないとわかっているので話さない。というのが本音だった。
Gちゃんは相手の態度や顔色を見て(辟易してるな)と察する人ではないし、ただただ、自分が楽しければ夢中で話し、話し足りるまで黙らない。
でも、これだけ機嫌がよければ帰るなりBちゃんと大げんかにはならないだろうと、私は思った。BちゃんもGちゃんの帰還を楽しみにしているし。しばらくはふたりの様子を見ながらぼつぼつ私ひとりで介護をしていけばいいか……。
後日、明らかになったところでは、このときGちゃんが話していた保険は一括払いで元金2000万円を預け、5年以上たってからGちゃんが死亡した場合、この会社の他の保険に比べれば約5倍の金利(10万円くらい?記憶あやふや)がつく。という保険だった。
2000万が1億になるようなものではなかったんである。さらにこの契約の支払いが発生する条件は娘(私)の死亡ではなく、Gちゃん本人の死亡だった。
しかも認知症の高齢者には保険金の請求権がなく、請求しなければ当然、1円も利子はつかず、2000万円も、戻ってこない。
契約者以外の家族には請求権がない。受取人変更はできない(認知症だとできない)。
中途解約もできない(認知症だとできない)。
保険請求には時効がある。死亡後2年ないしは3年である。
受け取り人が時効3年以内になんらかの対策をとらなければ(GBにはなんの対策も取れない)、2000万をそのまま捨てる結果になる(保険会社が2000万ゲットする)という、オソロシイ保険だった。
テレビでCMも流している大手有名どころの保険会社の保険である。高齢者のご家族の皆様、どうかご注意めされ。
そうとも知らず、Gちゃんは5倍という名の疑似餌に釣られ、夢見心地のまま2000万を預けてしまうんである。
おまけに他にも銀行信用金庫かんぽからのおだてに乗って合計20契約近い保険に入りまくってしまい、のちのち手持ちの資産ゼロまで落ち込むという凄まじい事態……になるのだが、しかしこのときそんなことは知るよしもなく、浮かれっぱなしのGちゃんを乗せて、新幹線は西へ西へと走っていったのだった。
次回 破綻 に続くーーー
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