Gの入院の効果
Bちゃんを守る手立てが十分に整わぬまま、Gちゃんが他県の病院へ入院する日が来た。
Gちゃんを離したくないBちゃんは、玄関先で怒りまくっていた。
「ああそう。どうしても行くって言うのね。じゃ、もう帰ってこなくったっていいからね」
「ここは俺の家だ、帰ってこなくてどうすんだ」
「バカお言いじゃないよ、アンタだけで建てた家じゃないんですからね。威張ってばっかり、アンタなんか大嫌い」
「イヤなら出て行け」
「離婚するからね」
「勝手にしやがれッ」
「ああ勝手にしますよッ」
さあさあ、もう時間だから行くよ、と私。
双方八十歳超えての、この熱愛ぶりはどうなんだか……。急かして引き離して駅へ向かった。
Gちゃんを他県の病院へ連れて行き、入院させてから、夕方、実家へ戻ってBちゃんの様子を見ると、やはり身も世もなく泣いていた。
「どうしようアタシ……ひとりぼっちになっちゃったわ」
ああ、この人はヒロイン体質なんだなと思う。
「ひとりが寂しいなら、うちに来る?」
「ううん、行かない。あのひとから電話がかかってくるかもしれないから」
Bちゃんを案じて電話してくるような、しおらしいタマか、あのGちゃんが。とは思うが、「そうだね」と頷いて、その日は夜遅くまでBちゃんと一緒にいた。
GBは相互依存の状態にある。
Gちゃんは暴政を敷いてBちゃんを拘束している。権限と暴力を振りかざして従わせ、相手が屈服すれば、「勝った、俺が正しい」と心理的な満足を得て安定する。
Bちゃんが逆らえばチャンスとばかり、何倍も叱りつける。Bちゃんが黙ってしまうと、自分の権力を確認する術がないので、逆にGちゃんは不安になる。不安を解消するために、どんな小さなアラでも探し出して、過去のBちゃんの失敗まで蒸し返して並べ立て、しつこく罵倒するのである。
Gちゃんの様子を横で観察してみると、朝から晩まで三分とあいだをおかず、ねちねちとBちゃんをいびり続けている……というのが実態だった。
一方、Bちゃんは、Gちゃんの拘束や罵倒を自分への愛情のあらわれと思い込もうとしている。だが『求めているものとは違うもの』すなわち罵倒、軽蔑、嘲笑の類いを(若い頃はゲンコツ足蹴あり、だった)絶え間なく浴び続け、それと戦い続け、万策尽きて疲れ果て、失望と孤独感が蓄積されて、自身の安定を図れなくなっていた。結果としてGちゃんに頼るほかはなく、それがまたGちゃんの新たな暴政を育ててしまうのだ。
思い通りにならないことがあると、Bちゃんはかんしゃく持ちの子供のような方法で対抗する。
私が子供だった頃のBちゃんはなかなかに破壊力があって、中身の入った一升瓶を振り回したり、ときには包丁持ってGちゃんを追いかけたりしていた。だが年とともに力も衰え、今はせいぜい布巾を投げたり、ぞうきんでGちゃんの頭をぶったり、離婚すると騒いだり出て行くと脅したり、三日くらい口をきかなかったりする程度だ。むろん、なんの効果もない。Gちゃんから、さらなる暴言が飛んでくるだけだ。
それでどうなるかというと、ストレスのためにBちゃんの認知症はガンガン進むのである。
なんか不毛な感じがするが、GBいずれもそれなりに一生懸命なのだ。当事者も、傍の者にとってもむずかしい夫婦関係である。
さて2009年1月の半ば。
Gちゃんが入院したあと、Bちゃんは三日のあいだ、Gちゃんがなんのために、どこへ行ったのか記憶できなかった。その都度説明すると、
「へえっ、目の移植手術!」
と、びっくりして、
「あのひと、可哀想ねえ」
涙ぐむのである。
寂しがるBちゃんを見かねて、
「うちへ来る?」
再び誘ってみたが、
「行かない。電話かかってくるかもしれないから」
やはり動こうとしない。
料理もしないし(安全だ)、家から一歩も出ない(さらに安全だ)。
一日中こたつで座ってる。だが、笑顔が出ないのである。Bちゃん向けにメニューを工夫して、食事を作って持っていっても、ほとんどのどを通らないようで、
「アタシやせちゃったみたい……」
うーん、それはどうか、Bちゃん……。体重六十超えのBちゃんである。三日ばかりでそうそうは減らないだろう。
「食べないと身体がもたないよ。鏡開きだから小豆煮てきたし、一緒におぜんざい食べよう」
うん、と頷いたBちゃんは、意外や、餅みっつの汁粉を完食した。
悲嘆の涙は三日で乾いた。汁粉の翌日、Bちゃんは突如として明るく復活した。
「ねえ、お寿司食べに行こうよ!」
笑顔で言う。もちろん、ただちに寿司屋へ連れていった。翌日には、
「今日はお蕎麦が食べたいな」
むかし、Bちゃんがよく行った蕎麦屋さんに連れて行った。
「買い物もしたいな」
冬物の若いコートも買ったスカーフも買った。美容院も自分で予約してパーマ当てに行った。かかりつけのお医者さんまで約一キロ、歩いて行って自信がついたのか、
「ねえ、散歩しようよ、こたつの前で座ってばかりいたら足が弱くなっちゃうよ!」
冬枯れの並木道を、「寒いねえッ」女学生みたいにはしゃぎながら歩いた。
親戚の家に行って賑やかに歓談したあとで、
「アンタの家にお邪魔するわね」
お泊まりに必要なあれこれを鞄に詰めて、泊まりに来たりもした。
ただし外泊はちょっと無理だったようで、翌日には、
「よくしてもらったけど……帰りたい」
里心がついてしまったらしい。車で送っていって、その日は就寝時刻までつきあってみた。
そのあともBちゃんは、こちらが驚くほど急激にしっかりしていった。
顔色が良くなって、涙も見せない。記憶も明確になり会話も弾む。ほんの数日Gちゃんと離れただけで、Bちゃんは自分を取り戻したのである。
これほどまでに明るく、明晰になれるとは……!
ただし、近所のスーパーに買い物に行くときは、
「お財布持ったかしら、お金、ちゃんとある?」
おろおろと何度も買い物袋を確認する。
「大丈夫だよ、ちゃんとしてるよ」
声をかけると安心するのだが、
「そうよね、大丈夫よね……お金ちゃんとある?」
認知症の不安状態が続いてしまう。
「あのひとに怒られる。お金のこと、ちゃんとしないと」
「大丈夫だよ、ちゃんとしてるよ」
「そうよね。しっかり持ってれば怒られないよね。ねえ、お金ちゃんとある?」
不安の無限ループである。お金についてだけは、Gちゃんの呪縛が解けていない。
でもスーパーに入ると、総菜コーナーを楽しそうに眺めて、
「あ、コロッケあるわね、買おうか」
「うん」
「そういえばアンタちっちゃいとき、アタシの手作りのコロッケ、好きだったわね」
「うん。鰯のみりん干しも好きよ」
「あれはシンシ日(半曇)のとき、干すのよ」
「加減が難しいね」
鮮魚コーナーでは、
「あらあ、見て、地のアジ。イキがいいわねえ。でも一人だからこんなにたくさんはいらないわ」
「煮付けておいて冷蔵庫に取っておいたら?」
「そうそう、アンタはアジの煮付けの一日おいたのを、次の日、七輪であぶって食べるのが好きだったわよね」
「うん」
「アンタは魚食べるのが上手で、きれいに食べちゃうもんだから、犬のピーちゃんのぶんがなくなっちゃってねえ」
「土間でピーちゃんが鳴いてたねえ……」
「大丈夫よ、お母さん、たいてい一枚だけピーちゃんのために隠しておいたのよ」
「さすが~」
アハハ、と笑い声がたつのである。
犬のピーが卒した折、私は五歳だった。鰺の煮付けを一日おいて、焼いて食べるのはたしかに好きだが、それはもうちょっと育ってからのことで、幼児の私が煮付け鰺の七輪あぶり焼きを好んでいたかどうかは定かではない。
たぶん、鰺と犬の話は他の誰かとの記憶が混ざっているのだろう。でもこんなふうに、Bちゃんがかつて持っていた幸せを懐かしみ、そうすることで今も幸せな気持ちになれるというのは、素晴らしいことに思えた。
Bちゃんの明るい笑顔を見ていると、Gちゃんには申し訳ないが、とうぶん退院してこなくてもいい……とまで薄情なムスメは思ったことである。
隠密掃除 に続く
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