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介護坂は下り坂3

 花を捨てた老人

 Gちゃんの角膜移植手術二回、Bちゃんの施設ショートステイ、その後の刃傷沙汰を経て、私の抜歯と本陣参りでこの年は終わった。
 あれだけのことがあってよく無事に年が越せたと、安堵するやら呆れるやら。
 年が明け正月も松の内を過ぎ、Gちゃんからさっそく電話がかかってきた。
『オメエよ、あの重箱はなんだ』
 私が年末に届けたおせち料理のことである。
「なんだって、なんだ」
『あんなもん、食うとこねえよ、不味くってよ』
「そうかよ」
 味なんかわかっちゃいないくせに何を言うか。
 同じおせちを私も買って自宅で食べた。まあ、薄味の味つけなので私の好みなのだが、Gちゃんの口には合わなかろう。おせちは老舗の料亭のもので、塩分糖分油分控えめ、素材重視でお値段やや張り。というお重ではあった。
「もう賞味期限過ぎてるから食べてないなら捨てて」
『イヤ全部食った』
 文句言いたかっただけかい。おせちへの文句は前フリだったらしく、
『バ○ドエ○ド(救急絆創膏)買ってこい』
「常備品があるじゃん」
『どこにあるんだか、わかんねえ』
「居間の小さいタンスの引き戸の左脇」
『見えねえよ』
 嘘つけ。探すのが面倒くさいだけでしょうが。
『足の裏、かかとが割れちまってよ』
「歩きもしないのに何故割れる」
『バーカ、歩いてるぜ毎日』
「こたつとトイレのあいだを?」
『へっ』
 唐突に電話は切れる。しかたがないので近くのドラッグストアで、大中小とりどり三箱買って持っていった。

 Gちゃんの足裏には見えるか見えないかというほど薄い傷があった。
 本人の弁では痛くて歩けないそうである。
「大げさなんだよ、これくらいで」
 絆創膏で往復一時間。こっちの身にもなっていただきたい。
 Gちゃんは絆創膏の箱をとっくり眺めて、裏も見て机に並べてご満悦である。
「買ってきたんだから貼れば?」
「いや……いい」
「自分でできないなら貼ってやる。足、出して」
 言うなり私は一箱取り上げ開封した。Gちゃんは慌ててそれをひったくり、
「オメエ、なんてことするだ」
 大事なものを壊されでもしたかのように狼狽し、
「あーあ、こんなにしちまってよう」
 蓋のあいた箱をのぞき込んで顔をしかめる。
「ふん、これっぽっちしきゃ入ってねえ」
 するとそれを聞きつけたBちゃんが、
「入ってないの?」
 目をぱちくりさせた。
「誰が入ってねえって言った」
「だってアンタ、今、入ってないって言ったじゃないの」
「バカ、これっぽちしきゃ入ってねえって言っただ」
「ほら、入ってないって」
「入ってねえことあるか、バカ」
「バカとは何よ、バカとは」
 とまあ、ありがちな喧嘩。
 GBの喧嘩を聞きながらふと気づいた。年末まで部屋の南側に並べられていた君子蘭の鉢植えがなくなっている。君子蘭だけでなく、私が年末に持ってきた大鉢のシクラメンも、その少しあとに持ってきた正月寄せ植えもなかった。


 部屋の外、ぼーぼーに荒れた庭の露しげきあたりに、鉢物がずらっと並び、いくつかは寒さに当たって無残に枯れ果て、ひどい有様になっている。
「どうして花を外に出してるの? 枯れかけてるよ、中に入れたら?」
 すると喧嘩の途中のGちゃんは、
「もうやめだ!」
 語気荒く言い放った。
「花なんかクソの役にも立ちゃしねえ」
 するとBちゃんが、
「何を言うのよ、アタシの花よ!」
 追いかけるように言う。
「バカ、ありゃ花とは言わねえ、雑草だ!」
「雑草とは何よ、アタシはあの花好きなのに、アンタが外へ出して、あんなにしちゃったんじゃないの」
「あんなもん意味ねえよ、よしうったれちめえ!」
『よしうったれ』というのは、Gちゃんの実家のあたりの方言で、『やめろ』という意味の、汚めの喧嘩言葉である。
「花、Gちゃんが出したんだ?」
 私が口をはさむと、
「そうよ。出したらダメになるに決まってるのに、この人ったら」
 Bちゃんは憤慨した。


 この感じでは正月のあいだにすでに喧嘩したあとなのだろう。花たちはGちゃんの『よしうったれ』のせいで、外へ放り出され、世話もされずに枯れたものと思われた。
 Gちゃんにとって花とは、蘭と百合と薔薇である。それ以外は全部、雑草だと決めつける人なので、私が買ってくる花々などゴミ扱いだ。
 Gちゃんが何故、王道三種以外の花々を愛さないかというと、農村地域の育ちだからである。米作畑作の天敵に近いモノとして花は位置づけられている。
 Gちゃんは十人兄姉妹の次男坊。大正末期から昭和初期、当時の農村の典型的な大家族で、子供は幼いころから労働力。農村部の次男坊は働き手でありながら、厄介者でもあった。田畑はわけてもらえない。学校をさがる歳になったら出て行け、しかし農繁期には戻ってきて働け。当然ながら報酬ゼロ。という立場に立たされる。
 Gちゃんは無報酬で草むしりを命じられ、花なんかクソくらえだと長年思ってきたそうである。
 自然に囲まれて育った人であっても、自然を愛するおだやかな人間になるわけではないらしい。
 当時の農家では発言権があるのは男系のみ。本家の爺さん、跡取り、跡取りの惣領息子が指揮権と決定権を持つ。次に、主な働き手である次男以下の男子。
 総じて男尊女卑よりさらにワンランク悪い、唯我男尊である。
 終戦当時、Gちゃんは十七歳。実家は米農家なので食料に困ったことはなく、徴兵も免れ、空襲経験もない。戦後の食糧難の時代を、だからGちゃんは、
「あんなのはニュースの中だけだ。食うもんはたくさんあっただ」
 独断で切り捨てるから、街育ちのBちゃんは、
「アタシなんか着物売ってお芋買ったのよ」
 そう言ってよく怒っていた。
 そんなGちゃんにはどうしても克服できないコンプレックスがある。田舎と顔と学業不振である。
 私だったら「田舎が悪いか」「顔がどうだこうだというような理由で自分のことは棚に上げて他人を見下して悦に入ってるような相手ならその心底品性も知れてる。そんな相手からの評価などハナから気にしないでいい」とまあ、開き直るところだが、Gちゃんは人前ではノミの気持ち♪♪なので、何も言えない。
Gちゃんは田舎育ちなのに田舎嫌い。価値観は八十年前の農家のものであり、唯一男尊の熱烈な信奉者である。

 ひるがえってBちゃんはといえば、若かりし頃は町内でも名の知られた美女だったそうである。一説、町内のエリザベス・テーラー。写真を見ると「わ……」というくらい、綺麗なお姉さんだった。Gちゃんが私を「チビ、ブス」連呼するのは、Bちゃんのこの美貌が基準だからであり写真を見れば「なるほど」納得である。
 Bちゃんの全盛期にお気に入りだった、ナントカというスタイルのドレスを私も着てみたことがあるが、そのころW58だった私にも、「入らないよ?」という細さだった。
 Bちゃんはまた、当時としては身長も高く、160センチあった。人目をひく美貌とナイスバディ、お茶目で勝ち気でちょいと我が儘。さぞや人気のある小町娘だっただろう。
 大正期の、多少なりともリベラルな雰囲気を身にまとってBちゃんは育ち、窓辺にさりげなく可憐な花を置く。GBは互いに対極にある花観を持つ。
 そのようなわけで、Gちゃんは、Bちゃんが庭に小花を持ち込んだりするたびに、
「バカが、そんなつまんねえ花、金出してまで買うやつがあるか!」
 怒りの余り引っこ抜いて捨てたり、それでBちゃんが泣いて怒ったり、というようなことを六十年ほど繰り返してきて現在に至った。
 私はといえばGちゃんの憤激をよそに、Bちゃんのために鉢植えの花を買っては、せっせと持ち込んでいた。年の瀬にシクラメンやプリムラ、正月を彩る花の寄せ植え、小鉢数種、それらを部屋の南側の窓辺に並べたとき、Bちゃんは嬉しそうに、
「綺麗ねえ……」
 笑顔になってしみじみと花を眺めていたのだが、Gちゃんはそれらを全部、外へ出したのである。
「今なら、まだ救える鉢があるから、入れようか」
 Bちゃんに聞くと、
「あら、そうなの?」
 Bちゃんは腰をあげた。
 とたんにGちゃんが、
「ほっとけ。そのうち枯れるだ」
 悪い顔をさらに悪くして私を引き留める。
「枯らせようとして外に出した……わけじゃないよね?」
「そうだ。枯らせるだ」
「なんで?」
「もう花はやめるだ。おしめえだ。全部だめだ」
 はあ? なんか変なことになってるな。Gちゃんがこの態度でいるとなると、救える鉢を室内に戻しても、すぐに放り出されて、またまた無残なことになるだろう。
 しかし奇妙ではあった。私が持ち込んだ花々が気に入らないのなら、それだけ出せばいいのに、どうして自分のお気に入りの君子蘭まで外に出したのか? 十年以上、自慢してきた蘭ではないか。
「Gちゃん、蘭もやめるんだ?」
「腐ってやがる」
「へ?」
「腐ってるだ、あんなもん」
 腐ってませんよ。いくつかはつぼみをあげて、世話もしなかったわりに葉も茂り充実して、いい感じの開花前株。

 そしてふと気づいた。Gちゃんの目は色彩をとらえられない状態なのかもしれない。
 灰色の世界だとしたら『腐ってやがる』発言の理由もわかる。
 眼科へ行って、Gちゃんの目の、今の状態を詳しく聞いてみよう。
 介護ではなく障害者のほうで何か対策が取れるかもしれない。考えつつ、実家をあとにした。


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