つむじ曲がりの帰還
Gちゃん退院の日、早朝に家を出て電車を乗り継ぎ、病院に到着。
わたしが病室に入るなり、罵声が飛んできた。
「遅い! 何してたんだ!」
のっけからGちゃんはおかんむりである。
「11時って言ったの、自分じゃん」
そのとき11時10分である。
ハラが減ったとか、病院のメシが不味いとか、いろいろ文句を言うGちゃんを適当にあしらいつつ、荷物をまとめて病室を出て、諸手続を終えて病院を出た。
Gちゃんは左目だけ手術して、経過を見て半年後に右目の手術。今回は右目はまだ角膜炎で、左目は眼帯だから、入院前よりさらに見えない状態である。
危険なので階段は使えない。一か月の入院で体力が衰えて、歩行もかなり危なっかしい。エスカレーター前では足がすくんで、最初の一歩が踏み出せない。各駅のエレベーターの位置を事前に調べておいたから、迷うことはなかったものの、駅によってはエレベーターが遠くてちょっと難儀をした。
しかもGちゃんはひとりでは歩けないくせに、支える私の手を肘で押しのけようとする。平らな道を歩いてもフラフラしているのに、何故、介助の手を拒むのか。
「俺は平気だ」とアピールしたいのだ。だから、
「危ないよ、ほら足下、段差だよ」
なんて言われるとカッとなり、
「わかってら!」
私を押しのけようとして反動で、自分がよろけてしまうんである。
私が手を離せば十秒以内に転ぶだろう。壁や柱といった構造物も見えてはいないらしく、急に斜めに進んで、
「そっち、柱だよ!」
引き戻そうとする私の手を振り払い、結果、柱にぶつかるという始末である。
「なんだ、こんなところに柱なんかおったてやがって、変な設計だな」
柱に文句を言うことは忘れない。
こんな具合で、押し返してくる腕を力尽くで掴み直し、半ば蛇行しながらタクシー乗り場へ、駅へ、ホームへと移動していく。むやみと時間がかかって閉口した。
「ところでよ」
Gちゃんはニタッと笑った。東京駅の新幹線の改札を通って、エレベーターに向かって移動していたときのことだった。
「明後日、予約があンから」
「へっ? どこに?」
「バーカ、病院に決まってンだろうが」
「だから、どこの病院」
「今出てきた病院」
なんだと。
しばし言葉が出なかった。
じつはこの日、土曜日だった。だから退院するとき、病棟の対応も受付の事務処理も、イレギュラーな感じではあった。その場で片付かないこともあって、帰宅後電話での問い合わせを要し、署名の必要な書類の送付、別途銀行からの振り込みと、通常より手数の多い退院だった。
通院は往復時間を含めると一日がかりで、ざっくりいえば朝八時から午後五時までかかる。そのあいだ、Bちゃんと私の家族が、安全に過ごせるように諸手配が要る。通院は「ちょっとお散歩」のようなわけにはいかないのである。
「明後日受診なら、入院してれば良かったじゃん。なんで今日、出てきちゃったんだ」
「メシが不味かったから」
なんだそりゃ。
「今日退院しろと病院から言われたわけ?」
「いや」
「じゃあ、自分で退院したいって言ったの?」
「いやぁ……」
この笑顔がアヤシイ。
「医者は、なんて言ったの?」
「べつに。好きにしていいですよ~ってさ」
「ウソでしょ」
「ハハ……」
退院の翌々日に、他県から一日がかりの通院なんて、歩行も困難な状態の高齢者に、医師が気軽に勧めるとも思えない。
「明後日まで」と言う病院側を、Gちゃんは「退院したい」と、押し切ったのではないだろうか。
んとにもー、わがままもたいがいにせいよ。ただでさえ、難儀な遠距離通院で、聞き分けのないGちゃんを連れて、明後日もまた、この苦行のような通院か。勘弁してもらいたい。
口には出さなかったが憤慨しつつ、だが、頭では明後日の手配を、あれこれと考えていた私に向かって、Gちゃんはごく何気ない感じで呟いた。
「ま、いいじゃねえか。ここから病院へ引き返したら、新幹線代もタクシー代も無駄になるべ?」
あっ……。やられた。
Gちゃんは東京駅までわざと、明後日のことを黙っていたのだ。病院へ引き返せない場所、新幹線のホームまで来れば、何があったって帰宅するしかないだろうと、Gちゃんは踏んだのである。
このとき私の脳内に、悪魔のささやきが聞こえてきた。
……好きなように歩かせてみれば? と、悪魔はささやいた。
……ほらそこにベンチがある。あそこで転ぶかもしれないよ。骨折くらいするかもしれないよ。命に別状なく入院治療ってことなら、アンタはずっと楽になれるよ……。
しばし考えて、骨が折れるだけじゃどうしようもないなと思い直した。きれいに最後まで片付いてくれればこっちは楽になれるのかもしれないが、そうなるとBちゃんが可哀想なことになる。
荷物を東京駅で捨てても問題は解決しない。最後には私が回収して、家まで持ち帰らなければいけないのだ。
この日、帰宅したGちゃんの衰え具合を見てBちゃんもかなり驚いたようだった。
私と違ってBちゃんはGちゃんの帰宅を心から喜んだのだが、明後日通院と知ってさらに驚いた。
「どうしてあと二日、入ってなかったの?」
このひとことが、騒動の元になった。
「うるせえ、俺が俺の家に帰ってくンのに、オメエが文句言う筋合いじゃねえっ!」
いきなり怒鳴ってあとは大げんかである。平和は終わった。また戦だ。
二日後の診察を済ませると、あとは翌週の診察という運びになり、楽になった。
私は毎日料理を作ってGBのもとへ運んでいた。Gちゃんには糖尿病の気があり、心臓の後遺症と下痢症がある。Bちゃんは高血圧と糖尿病、尿酸値の異常と便秘症がある。ふたりが同じものを食べて、なおかつ身体によく、できれば好物で美味しいもの。メニューを考える日々が続いた。のであるが……。
Gちゃんの入院中、あれほど元気だったBちゃんが、七日後にはガックリと老け込んだ。
一日中こたつにいて、うつむいてボンヤリしている。テレビがついていても顔も上げない。毎日同じ服を着続けて、ちょっと臭ってきたりして、
「Bちゃん、新しいセーター、買ってきたんだよ、着てみて」
それとなく誘ってみても、
「うん、明日ね」
だが翌日、やはり前日と同じ服。新しいセーターのことは覚えていない。着替えも洗濯もしていない、話しかけても反応が鈍く、笑顔も出ない。感じとしてGちゃんの入院前より、Bちゃんの状態は悪くなったように思われた。
そんなある日、こたつの天板の縁に、一列の白い部分ができているのに気がついた。
掃除しながら「なんだろう、これ」と思いつつ、指で触っていたら、
「そりゃあな、バーサンがやっただ」
Gちゃんが楽しそうにそう言って笑う。
「昨日、あんましわかんねえコト言うから、ガツンと叱ったら、フォークで削りやがった」
げっ……。Gちゃんの「ガツンと叱った」は、「殴った」ということである。この数日のBちゃんの衰えぶりは、やはりGちゃんが原因だったのだ。
「まーったく、あのバーサン、執念深いったらありゃしねえ。見ろ、縁がゴリゴリになっちまっただろ、高い天板だったのによう」
Gちゃんは嬉しそうにまだ説明している。
Gちゃんが退院してくる前日、スーパーでいきいきと、
「あのひとの好物だから」
食材を買い込んでいたBちゃんの笑顔が思い出された。
「認知症なんだから、Bちゃんを叱ったり怒ったりしちゃいけないんだよ。叱れば叱るほど悪くなるよ」
「へっ、バカ言うな、叱りつけて刺激してやりゃ、ぴりっとして良くなるんだ。バーサンは緊張感が足りねえんだよ」
「そりゃ逆だよ、Gちゃん。叱っていいことは何もないんだよ」
「うるせえよ」
言って効果があるとも思えないが、言い続けるしかないのだった……。
介護坂は下り坂 に続く
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