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GBの大乱編4

  破綻


 私が子供だった頃、BちゃんはGちゃんと喧嘩して負けると、私を蠅叩きでブッたたいて八つ当たりし、
『アンタなんか死んだってかまわないけど、お父さんが死んじゃったらアタシは生きていけない!』
 感心できない意見を叫んで泣いたりした。
Gちゃんへの思いを子供に向かって叫んでもどうにもならないじゃん、と小賢しいムスメは思ったりした。


 そしてGちゃんはBちゃんと喧嘩して旗色が悪くなると、私の両足首を掴んで二階の窓から逆さづりにし、
「そーら暴れてみろ、落ちるぞ」
 どう解釈すればいいのかてんでわからん。変なオヤジだった。


 Gちゃんが私を叱るとBちゃんは尻馬に乗る。なので私はGB両方に叩かれた。
 BちゃんがGちゃんと争ったときは私がとばっちりを食らい、晩飯抜きはいつものことだった。
 で、私はといえば、わーんと泣いてすぐ忘れ、叱られても気にしない、飯抜きでもこたえないという変な子どもだった。
さらにご近所でも有名な悪戯でお転婆だった。なのでGBだけを責められない。叱られる回数も多かった。叱られても懲りなかった。一番苦労したのはやはりBちゃんである。
 たとえば、近隣の宅地、農地各所で集めた数種類の泥を水で溶いて、ご近所の干した布団に泥手形を並べてつけて、乾いたのちの色具合を比べ見て、それが面白くて楽しくて、こういうことをしていると、あとでどれほど叱られるか。というようなことはもう、ぜんっぜん、考えない、いわばノンストップ悪戯の困った悪ガキ。
 すぐにバレてこっぴどく叱られるが、次の日は近所の農地の小松菜の双葉を畝一列ぶん引っこ抜いてみたり、次は葉ネギ一列たたき割ってみたり(いい音がする)。
 裏の神社の大銀杏のてっぺん近くまで登って下りられなくなったり(サルか)。
 蟻をオールドの空き瓶いっぱいに詰めて家の中で放したり(生き物大好き)。
 煉瓦を運ぼうとして足の上に落としたり(指のツメが剥がれた)。
 鉄棒で大車輪していて落ちて目を打ったり(今でも右目は視力コンマ1)。
 中学に入ってもまだ、高鉄棒の上をスカートのまま綱渡り歩きして落ちて捻挫したり。
 一年三百六十五日のうち三百六十四日、悪戯をしでかした子であり、おとなしかったのは元旦だけ(Bちゃん談)という具合に突拍子のない子だった。


 加えてGBはおそらくは、人の親になるのには向いていない二人だった。
 G、B、Lの三者は、暴力オヤジとヒステリー嫁と悪戯っ子の取り合わせであり、三者が別々に暮らしていればそれなりに平和に(?)やっていけるが、三者が一軒に寄り集まると「いいことは何もない」結果を生む。
 Bちゃん四十歳代半ばからの大病、入院、退院後の混乱ときて家庭内暴力も激化して泥仕合な夫婦のありようを、横あいから観察し、
『世の中にはこういう人もいるんだ……』
 十八歳のころに私が出した結論である。


 親に親であれかしと望むより、親らしからぬ親と割り切って、あとはよくよくその傾向を分析し、非道から遠ざかって自分を守る。それが一番だ。他に道があるとも思えなかった。
Gちゃんに殴られ蹴られして転倒し、どこかが切れたの血が出たの関節が外れただの、骨にヒビいったの、筋が違って曲がらなくなっただの……数え上げればきりがない。
 今ならおそらく親による子の虐待とか、家庭内暴力とか何かしらの名前がつくのだろうが、昔はそんな言葉はなかったので、全部『躾』でまかり通った。
 暴力イコール躾イコール親心でコトがすみ、親の非は問われない。
Gちゃんにはさぞや都合のいい時代だっただろう。
「児童虐待が昔に比べて増えている」とかなんとか、有識者は言うが、私から見れば、何言ってんですよ。である。
虐待は昔からありました。虐待と認識されてなかっただけです。
「暴力は親心」という隠れ蓑が社会の共通認識として守られていたぶんだけ、戦前生まれの親による戦後の子世代への虐待は今より厳しいものがあったのだろう。
 幼年期に軍国教育を受けて戦後に子を設けた世代の暴力性から目を背け、今起きていることだけを論じて満足していたら、虐待問題は解決しない。
 私もまた、GBより弱かったときは思うさま反抗もしたし、前後かまわず脱線もした。
 それでも人はいつか衰え、子の膂力が親をしのぐときがくるのである。
 Gちゃんがどれほど威張りたくても、さすがにもう通用しない。
 それやこれやで難儀な親との付き合いかたを、長年かけて学んだ娘は、常識からすれば、前出のGちゃんの言語道断な「娘が死ねば儲かる保険」の話を聞いても、「ま、いっか」(地元ッ子の口癖)……という感じで、正直なところ、ヨソごとだった。


 タクシーが東京駅に着き、新幹線に乗ってもGちゃんは、
「1億……1億だぜ、すげえよな」
 ドリームインしたままだった。私に2000万かけて1億にふくらます夢。
 ま、長生きしてくださいよ。Gちゃん言うところの別荘(病院)で途方もない儲け話を得て、たまらなく幸せなのだろう。私は返事もしなかった。


 こんな調子だから、地元へ戻ってくるまで、Gちゃんは、Bちゃんがどうしていたか、一度も話題にしなかった。
最寄り駅からタクシーに乗り、私が施設名を運転手に告げると、初めて不審に思ったらしく、
「どこへ行くだ」
 怪訝そうに聞く。
「Bちゃんを預かってもらってる施設」
「なんだ、そりゃあよ」
 Gちゃんは不機嫌になった。いきさつを説明するつもりはなく、
「いろいろあって、こうなった」
とだけ私は言った。
「施設だとぉ?……高いべ」
 まず、それである。
「高いよ」
 隠してもしょうがないので正直に答えた。
 Gちゃんの入院中、Bちゃんがどういう状態だったか説明しても、Gちゃんの耳はトンネルだ。関心もないし理解もしない。言うだけ無駄である。
 GちゃんはどこまでもGちゃんで、自分の健康と自分のカネにしか興味がないのだった。
 施設に着いて、
「降りて職員さんにお礼言って挨拶していく?」
 返事はわかっていたが、一応、Gちゃんに聞いた。
「……いや、いい」
 知らない人の顔も見られぬ、ノミの気持ち~♪ おとな相手となると例外なくビビリのGちゃんである。
 だろうよ。と思いつつ私一人だけタクシーから降りて施設の玄関に向かった。


 Bちゃんはフロントで待機していた。荷物をすっかりまとめ、身綺麗にして、やや興奮した面持ちで、私を見るなり、
「あの人は?」
 大声で聞いてきた。
「車の中にいるよ」
 Bちゃんはみるみる涙ぐみ、
「嬉しい! ありがとLちゃん、ありがとね」
 さらに声がうわずり、それでも施設のかたがたに、丁寧にお礼を言うことを忘れなかった。職員さんがたも、
「よかったですね」
「遊びに来てくださいね」
 優しく声かけをしてくださり、見送ってくれた。
 Bちゃんは緊張のあまり手を震わせ、足下をふらつかせながらタクシーに乗り込んだ。
 そして乗ったとたんに、
「いったい今までどこに行ってたのさ、この人でなしッ!」
 金切り声で叫んでGちゃんの肩をどついた。
 いきなり数週間前の機銃掃射Bちゃんに戻ってしまったのだった。
「あーあ、これだ、へっ」
 GちゃんはBちゃんへ軽蔑の「へっ」攻撃である。
「アンタはね、だいたいひどいよ! そうだアンタほどひどい亭主はいないよ、アタシがどんだけ苦労したのか知らないで、目なんか、なんだってんだ! 見えなくなっちまえばいいんだよ!」
 Bちゃんは混乱を超え、錯乱していた。
 Gちゃんに会えたこと、家に帰れること、そのふたつが嬉しいはずなのに。
 いや、嬉し過ぎて混乱し、興奮のあまり感情の舵取りができず、施設に入った当初の状態までいっきに逆行したのである。
「落ち着け、バカ」
「バカじゃありませんよ、バカはあんただバカ!」
「俺はバカじゃねえ! バカのくせに黙ってろバカ」
「黙ってませんよっ!」
 タクシーの運転手さんがどう思ったか。私は知りません。
 幼児の喧嘩みたいな言い合いになってそのまま十五分。争い続けてGB宅へ着いた。
 玄関に入るなり、Bちゃんは盛大に失禁した。
「うわーっ、なんだ、バカよせ」
 Gちゃんは慌てふためき、Bちゃんを押しのけて上へ上がろうとするが、足に力が入らず、目もよく見えず、靴も脱げずにアタフタするばかりである。
 Bちゃんは、
「アンタのせいだよっ」
 怒りまくってその場でズボンを脱ぎパンツを脱ぎ、びしょ濡れのズボンを振り回して、Gちゃんの頭をひっぱたいた。
 Gちゃんの怒りもふくれあがり、手が拳になって上がったが、振り下ろした先にBちゃんはいなかった。というより、てんで見当違いな場所へ拳を振ったのである。
(わ、こんなに見えないんだ……)と、私は驚いた。
 地団駄のBちゃんを上がり框から引っ張って和室へ連れていき、手から濡れズボンをむしり取り、タンスからパンツとズボンを出して、
「これ、はいて」
 渡して襖を閉める。
 それから玄関へ行って、尻餅をついたまま靴を脱ぎきれずにじたばたしているGちゃんを引っ張り上げた。
「帰ってくるなりこれだ!」
 Gちゃんは怒鳴り、私が脱がせた靴を蹴り飛ばすようにして(ただし動きはスローモー)座敷へ上がっていった。
 すかさず、ズボンをはいたBちゃんが襖を開けて出てきて、
「○×△□&怒! ?◎◇X憤!」
 もう言葉になっていない。
 Gちゃんはやはり、ほとんど見えていない様子で、家の中をよろけながら進んで行き、ようやく座卓前の自分の座椅子にたどりついた。
 その肩をBちゃんが、ドンドンと押したり叩いたりして叫び続けている。Bちゃんの怒りは治まらず、意味のある言葉は出ない。
 Gちゃんは誰もいない空間へ新聞を投げたり、意味もなく拳を振り回したりしていた。
 なんとも言えぬ、異様な世界である。30分後、争いは止んだ。
 玄関に新聞紙を重ねて広げ吸わせて始末してから、
「私、帰るからね」
 ふたりに声をかけた。
 ふたりとも何も言わなかった。気がかりではあったが、もともと喧嘩夫婦だ。なんとかなるだろうと思ったのだが、あに図らんや。

 自宅へ戻ると同時に電話が鳴った。
 受話器を取ると、
『ひいいい……ひいいい……』
 オカルトか。
 否、Bちゃんの悲鳴だった。
「どうしたの、Bちゃん」
 刺激してはいけない。ゆっくりと話しかけてみる。
『ひいいい……鍵、返してよッ!』
 鍵?
『アタシの鍵だよう……鍵返せ、鍵、アタシのなんだから』
「鍵ね。預かってるよ。これが要るの?」
 なんで鍵?
 私が持っているのは合い鍵で、Bちゃんは自分の鍵を持っているし、それにもう家にいるのだから、予備の鍵は必要ないはず。
『ひいい……アタシ死んじまうよう』
 何か。あったな。
「Bちゃん、Gちゃんはどうした」
『ひいい……、ひい……、いるよう』
「どこに?」
『お父さんが』
「うん。どうした?」
『アタシに、乗っかって……ハサミで……刺す、刺すって』
 ヘキレキである。
『ひいいい……』
 Bちゃんの声の向こうで、ドッターン、ガタガタと定かでない物音が聞こえ、突然、電話は切れた。私は受話器を放り出し、階段を駆け下りた。自室のドアにかけたバッグを大急ぎで開けて携帯電話を出す。先日まで介護をお願いしていた事業所のケアマネさんの番号を選んで電話をかけた。
『はい、○○のH谷です』
 よかった、出てくれた!
「こんな時間にすみません、H谷さん、今すぐGBの家へ行ってもらえませんか」
 言える限りの早口で言った。
『え?』
「Gちゃんが退院してBちゃんと喧嘩になり、今、GちゃんがBちゃんに乗っかってハサミを突きつけ、刺そうとしてると電話があったんです」
『えっ、え?』
 H谷さんの驚きにかまわず先を急ぐ。
「何か口実、えっと、Bちゃんをかかりつけのお医者さんに連れていくと言って騙して、二人を引き離してください、とにかく、大至急」
『わかりました、すぐ行きます!』
 ケアマネさんは普通病院付き添いや送迎はしない。だが『わかりました』と言ってくれたからには行動を起こしてくれるだろう。
 私は車に飛び乗り、夕方の渋滞が始まった道へ走り出した。


 H谷さんの事業所はGB宅から車で10分足らずのところにある。
 私が走り出して10分ほどで携帯が鳴った。車を路側に寄せて通話にすると、
『今、ドライバーと一緒にお宅へ着きました』
 H谷さんからだった。
『すごく興奮していてお母さんが暴れてます。病院へ行かないと言ってます』
 その向こうからわめき騒ぐBちゃんの声が聞こえていた。
「代わってください」
 そう言うとすぐに受話器が渡ったらしく、
『アタシはどこへも行かないっ』
 Bちゃんが怒鳴った。叫びすぎて声がしゃがれ、興奮のあまりトーンがあがって別人のようだ。
『死んじまう、アタシは死んじまう、さあ殺せ、ハサミ持ってきて殺せ!』
「Bちゃん、H谷さんの車に乗って」
『いやだ! 乗らない、乗るもんか!』
「私も行くから、病院へ行こうよ」
『ああ行けばいい。勝手に行きな! アタシは行かない! 行かないよっ!』
「Gちゃんも病院へ行くよ。Bちゃん、一人で留守番はイヤでしょ」
『イヤーーッ!』
「じゃ、車に乗って」
『お父さんが行くなら行く!』
 よし、乗った。
「電話、H谷さんに代わって」
 Bちゃんは私の言葉を理解したようだった。すぐにH谷さんが出て、
『乗ると言ってくれてます』
 緊張した声で教えてくれた。
「じゃ、そのまま○○医院へお願いします。父も一緒に」
『一緒でいいんですか? お父さん、暴れたりしませんか』
「大人の男の人がそばにいれば 父は暴れません、大丈夫」
『そうなんですか?』
 H谷さんは物腰は柔らかだが背が高く、体格もいい。しかもドライバーさんと一緒なら、男性ふたりだ。Gちゃんは逆らわないと私は踏んだ。
 Gちゃんは今まで、Bちゃんに暴行を加えていたときは必ず自宅内で密室だった。妻に暴力をふるう自分を他人に見られたら世間体が悪い、それはわかっている。だから密室内で殴ってその代わり、外面は極力良くして、隠し続けてきたのだ。今日、暴力の現場に踏み込まれて自分の行状が人目にさらされ、内心、大慌てなのに違いない。
「内科医院へはすぐ電話して状況を説明します。受付時刻過ぎてますけど診てくれるはずです。そのまま直行してください。私は二十分ほどで医院に着けると思います」
『了解です』
 きびきびと返事があり、通話を終えた。ただちに内科医院へ電話をし、事情を手短に説明して、飛び込みですがお願いしますと診察を頼んだ。
 このとき午後七時少し前であり、診察終了間際だけれど待っていてくださると返事をいただけた。ありがたかった。
 夕方の渋滞を地元の強みで抜け道疾走。なんとか二十分少々で内科医院に着いた。
 Bちゃんは診察室にいて、Gちゃんは待合室にいた。Gちゃんは私の顔を見ると、ため息をついたが何も言わなかった。だろうよ。何を言っても墓穴堀り。なんである。
 H谷さんと介護タクシーのドライバーさんに、頭をさげてお礼を言うと、
「無事で良かったです」
 H谷さんはしみじみと言って、安心したような笑みを浮かべた。
 介護タクシー代はその場支払いで、おふたりには帰っていただくことにした。H谷さんが、
「娘さんひとりで大丈夫ですか」
 聞いてくださったが、
「大丈夫です」
 通院付き添いもタクシー添乗も、本来、ケアマネさんにお願いする仕事ではなく、それにもう時間も遅い。
 診察室のドアが開いて、
「娘さん、どうぞ」
 看護師さんが私を呼んだ。Bちゃんは内診を終え、別室で点滴を受けていた。電話で話したときよりは落ち着いていた。

「血圧が200以上ありました」
 先生がそう言って、
「お母さん、ドキドキしましたねえ」
 Bちゃんにも声をかける。
「今、血圧も下がってきて、心拍数も落ち着いてきましたからね。大丈夫ですよ」
「無理言ってすみませんでした」
 頭を下げた私に、
「興奮を静めるお薬を出しますね。向かいの薬局がもう閉まる時刻なので、さっき電話しておきました。お支払いはあとでもいいですよ。とりあえずお薬を受け取ってきて、何か軽くおなかに入れて、すぐにお薬を飲んでください」
 それから先生はGちゃんを呼んだ。
「お父さん、大変でしたね」
 先生はGちゃんをいたわった。
「うーん……」
 煮え切らない返事のGちゃんである。
 ハサミ振りかざし事件発覚は手痛いミスだと自覚があるのだろう。
「それでね、お父さん。お母さんはね、もう自分で生活することはできないの。わかります?」
 声は出ず、頷くだけのGちゃんである。
「だから、娘さんとも話しあってみたんだけれど、介護、入れましょう?」
「うー、それは……どうかな」
 この期に及んで悪あがき。往生際が悪いぞGちゃん。
「介護で家事をしてもらって、お母さんを助けてあげて。お父さんも楽になるし、そのほうがずっといいと思うの。ね?」
「はぁ」
 ノミが鳴いたらこんな声か。
「じゃ、お父さんもちょっと診ましょうね」
 内診して先生は
「うん、お父さんは大丈夫」
 笑顔になった。それから私に、
「お薬を受け取りに行ってきてください。そのあいだ、お父さんの(認知症の)診断をします」
 簡単な質問を三十ほどして調べる方式のことである。私は診察室を出て、道路を挟んだ向かいの薬局へ行った。薬局では薬剤師さんがひとり、薬の袋をカウンターに置いて、待っていてくださった様子である。以前、飲み忘れ対策のことで、相談に乗ってくれた薬剤師さんだった。私を覚えていたらしい。薬を差し出しながら、
「お母さん、暴れちゃったんですか」
 心配そうに聞いてきた。
「暴れたのは父のほうで母は興奮しただけです」
「そうですか」
「血圧、二〇〇超えだったと、先生が」
「うわ」
 Bちゃんに血圧の薬が出ていることを知っている薬剤師さんは顔をしかめた。
「よろしかったら、薬剤師がお薬指導に行きましょうか」
 家庭訪問して指導をしてくださるという意味なのだろう。残念ながらその時期はもう逸していると思われた。親切に感謝してお断りし、薬局を出る。

 医院に戻ると、ちょうどGちゃんの検査が終わったところだった。先生はGちゃんを待合室へ移し、私を呼んだ。待合室では看護師さんがGちゃんを見守り、処置室ではBちゃんがこれまた看護師さんに見守られて点滴中である。
「今、簡単なテストをしました」
 先生は私を座らせて、結果を教えてくれた。
「認知症の傾向が前回よりはっきりしてきて……前回、22でしたが今回、18です。結果を見るとお父さんも自立は困難というレベルに近づいて来ましたね」
「そうですか」
 自立不可能な老夫婦で二人暮らし。いよいよ危険なことになってきた。
「一度、脳の検査を受けることをおすすめしたのですが……ご本人が、検査を受けることを承諾されないので」
「はい」
「難しいところですね。施設入居させるとしてもお父さんが、うんと言わない」
「そうです」
「介護が入ることも拒否されているんだね……うーん」
 先生も考え込む難局である。
「父も母も、今の状態では外部から何かできるとは思えないんで……何か起きたらその都度対応していくしかないと思うんですよ」
「そうね……」
「安全に関わることが一番心配で、火の元と、あとは急な発病とか」
「うんうん」
「でも大丈夫です。そのうち父が転んで、死なない程度に骨折れて入院でもすれば、全部解決ってことになる……かもしれないし」
「やあだ!」
 先生は笑った。私も笑った。診察室を出ると待合室でGちゃんが、
「何を笑ってただ」
 ぶすっと言った。
「笑ってないよ」
 このあたり意地の悪い私だった。


GBの大乱ここまで
後半・GB籠城戦 老老戦線最後の抵抗 へ続く

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