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介護坂は下り坂

 

 二〇〇九年早春のころ。

 料理を運び、実家の掃除をし、Gちゃんを病院に連れて行き、Bちゃんの通院に付き添い、そうしたことを続けながらGちゃんの介護申請をした。

 Gちゃんは千葉の病院のほかに、元々受診していた地元の眼科医にも通うため、私はさらに忙しくなり、この時期徐々に体重が減りはじめた。

 Gちゃんが次に入院するのは七月。それまでになんとかして介護を入れたい。二月に申請して、前回の申請拒否を持ち出して認定を急かしてみると、三月には訪問調査があり、四月に認定が降りた。
 ただちにケアマネさんと介護プランの相談に入った。Bちゃんはさきの申請で要介護1、幸いGちゃんにも要介護1で認定がおりて、ケアを受けるにはちょうどいい。

 しかし、当のふたりが介護を受け付けない。家庭内にヘルパーさんが入ることにはGBともに抵抗した。
 Bちゃんは、「家の中のことはアタシの仕事だから」これは一貫していて、当初から変わっていない。家事がつらくても人任せにしない。というより『できない』。人に任せたときは専業主婦である自分の存在意義がなくなると、思い詰めているのである。こういう人に家事支援のヘルパーさんをつけるのは難しい。

 Gちゃんは別の意味で面倒くさい。

「バーサン甘やかすと図に乗るからな。働かせなきゃダメだ」

 目が悪いだけじゃなくて性格も悪いGちゃんである。

「Bちゃんは台所仕事がつらいって言ってるよ」

 Bちゃんに聞こえないところでこっそり言ってみる。するとGちゃんは、

「オメエが来て全部やれ」

 あのな。

「ヘルパーはカネがかかるからな。ダメだ」

 やはりそう来たか。じつはGちゃんは、さきの千葉への通院入院のときも、

「退院したら全部まとめて払うから、それまでオメエが払っておけ」

と、得意の丸はげの丸投げをした人である。新幹線の指定席やグリーン席は、

「こんな高い席に座るやつの気が知れねえ」

 だが自由席が空いていなかったり、階段から遠かったり、Gちゃんがよろよろしていたり……などの諸般の事情で、

「ここはどうしてもグリーンだなあ……」

 座ってから私がチケットを買ったりする。隣でGちゃんは知らん顔である。なので、私の持ち出しとなる。東京・千葉間のタクシー代も、

「電車なら百円くらいのもんだべ」(今時初乗り百円の電車なんてある?)

「あ~あ、もったいねえ」

と、払わない。当然、私のぶんの交通費なんて眼中にない。退院後、通院時のぶんもまとめてGちゃんの新幹線代を請求したら、

「今、これだけしか持ってないから、これで全部払ったことにしてくれ」

 渡された金額は新幹線代合計より数万円少なかった。

 ケチくさいごまかしをして、しょうがないな、とは思う。でもそうすることできっとGちゃんはささやかな幸せ状態なのだろう。重ねての請求はしなかった。

 じつは私はこの時期、介護に専念するため、仕事を減らしていた。

 当然、収入は激減している。そこへもってきてこの数ヶ月で、GBのために文庫数冊ぶんの印税に相当する額を使い切ってしまっていた。貯金残高は防衛ラインを割り込んでいたのである。
 またこの一年で、GBの市内の通院の足、買い物の付き添い、ときには、
「近所に新しい歯医者ができてるから看板見て電話番号調べてこい」だの、「親戚が見舞いを送ってよこしたからお返しの商品券を買って、快気祝いと書いてどこそこへ届けろ」
 だのと、使いっ走りの要求のたびに、あちこち駆け回るので余剰費が平時の三倍のピッチで減っていく。
 このままのペースで行くと私のほうが先に破綻してしまう。Gちゃんの次の入院時に、身動きが取れなくなるおそれがあった。なんとかして、ふたりに介護に慣れてもらい、受け入れてもらわないと。そこは譲れない線だった。

 四月に入り、ケアマネさんとかかりつけのお医者さんからも説得していただいて、デイサービスの見学にふたりを連れ出すことに成功した。

 日当たりのいい、真新しい建物で、Bちゃんはニコニコして楽しそうだった。他の利用者さんとお話しして、サービスで出されたお菓子とお茶を楽しむ。デイサービスが本決まりとなれば、週に一回、お迎えにきてもらって、ここでお風呂に入ったり、希望があればトレーナーさんについてもらって運動をしたり。お昼をいただいてゲームに興じ、おやつのお茶のあと送っていただける。しかも一日千円程度。夢のようなサービスなんである。Bちゃんの嬉しそうな顔を見て「いける」と私は踏んだ。

 ただしGちゃんの無表情が不気味である。家の外へ出るとGちゃんは縮こまり、ものを言わない。というより何も言えなくなる人である。いざというときはBちゃんだけデイサービスに送りだそう。私はそれも考えた。少なくとも週に一日、BちゃんをGちゃんから離すことができる。それはBちゃんの認知症の進行を遅らせてくれる、そうした希望があった。

 デイサービスのプランが定まり、曜日が決まって担当者さんも決まり、契約までこぎつけた。契約書はふたりぶんで、大変な枚数である。GちゃんBちゃんは字が書ける状態ではないので、全部に代理で署名した。

 五月一週から週に一回デイサービスを受けにいく。引きこもりの改善とBちゃんの息抜き、Gちゃんの運動不足解消。いずれ来るGちゃんの再入院までには、Bちゃんがここでヘルパーさんに慣れ、次の訪問介護が導入しやすくなるだろう。いいことずくめだ。

……と私は考えていた。ところが。

 デイサービス二日前、実家から戻って自宅で夕飯の支度をしていたとき、Gちゃんから電話がかかってきた。

『あれ、断ってくんな』

「え? 何を」

『変なとこ行って、飲んだり食ったりしゃべったりする、あれだ』

「デイサービスのこと?」

『バーサンも行きたくないって言ってる』

……ウソだろ?

「明後日からだよ? デイサービスに行くようにってお医者さんにも言われてるでしょ」

『高いからイヤだ』

「高くはないよ」

『バカかオメエは。あんなのはな、医者と業者が結託して儲けるためにやってんだ。俺はそんな陰謀には乗らねえよ』

 陰謀なわけないじゃん、んとにもー……。

『とにかく行かねえからよ。それからな、おめえももう、こっちへ来なくていいからな』

 何を言うか。ふたりだけで暮らしていけるわけないじゃんか。

『家ン中、掃除したりバーサンに服やったり、迷惑なんだよ』

 はい?

『オメーが甘やかすから、バーサンわがままになっていけねえ』

 わがままはアンタじゃん。だが怒ってはいけない。Gちゃんは退院後の診察で、

「認知症の症状が出始めていますね」

 お医者さんから私に説明があった。Bちゃんのことも絶対に責めたり叱ったりしてはいけないが、Gちゃんもまた叱ってはいけない、難しいことになってきた。

 Gちゃんは自分の入院中に、私がBちゃんを励まして元気にさせ、家の中をきれいにしてしまったことや、介護の手はずを整えて事態が動き出したことに、危機感を感じていたのかもしれない。

 ムスメの機動力はあなどれん。しかもムスメは俺様を怖がらない。これはヤバイ。このままだと下克上だ。感触としては、こんな感じだったか。自分の統治している領国に、思い通りにならない事態が発生していることに、我慢がならなかったのだろう。Bちゃんをたたきのめして従わせ、自分以外の他人の目を遠ざけ、思うさま権力を行使して満足したい。その障害となるのはムスメである。Gちゃんはそう判断した。そしてGちゃんのその判断は善悪は別として、正確だったと言えた。

 だがデイサービスはBちゃんのための、最後の救済策である。Gちゃんの頑固なエゴに諾々と従えるか。

「明日もお昼ご飯持っていくからね。そのときに話そうか」

『来たってオメエの話は聞かねえよ』

 そう言ったそばから、

『ああそうだ。こっちはオメエに言うことがあンだ。明日こっちに来たら、そんとき話す』

「言うこと、って何」

『フン』余裕ありげにGちゃんは笑って電話を切ってしまった。

 介護という名の戦場に雷雲広がった夜であった。


 大崩れ に続く


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