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GBの二回崩れ・大崩れ

 

 Gちゃんからの不穏な電話に、いささかの不安を覚えつつ、翌日も昼食を持っていった。Gちゃんは、

「まーた不味いもん持ってきたか。こんなもん食わされてオメエの亭主は気の毒だな!」

 悪態のわりには完食した。ただならぬ敵意である。さらに、私が買い置き用にと持って行った総菜パンを、

「こんなモンばっか食うからバーサンはブタみたいに太っちまうだ」

 Bちゃんを叱りつけながら、全部食べてしまった。異様な雰囲気の昼食となった。二人が食べ終えるのを待って、デイサービスについて話そうとした私に、

「メイワクなんだよ! オメーのやるこたぁな!」

 Gちゃんは机をバーンと叩いた。
 すわ湯飲み茶碗が飛ぶぞと、手早くGちゃんのそばから食器類を遠ざけた。

「デイサービスがいやなら、ヘルパーさんに来てもらうっていう方法もあるよ」

 矛先をそらすつもりで話をふってみる。

「俺らがどうなろうとオメエにゃ関係ねえ! ほっといてくれ! 二度とかまうなッ!」

 後詰めなき籠城戦の宣言である。

「だいたいな、オメーはよ。やることなすこと、なっちゃいねえ」
「はいはい」
「第一な、あれだ。……? なんだ?」

 なんだってアンタ。私にわかるか。

「はい。第一、何?」
「うー……?」

 しばらく考えるGちゃんである。

「そうだ、あの車だ」
「うん。車がどうしたの」
「ありゃ、ろくでもねえ車だ」
「病院だの買い物だのって、さんざん乗ったじゃんか」
「う……」

 まだるっこしいが……。こういうときは辛抱強くGちゃんが次を言うのを待つ。何を言おうか考えているのだろう、口をへの字にしてGちゃんはしきりに唸る。

「第一な、ありゃあ燃費が悪い」
「そうでもないよ」
「リッター何キロ走る」
「さあ? 計算したことないから、わからない」
「そら見ろ」

 Gちゃんは鼻息も荒く得意げになる。

「それに乗り心地も悪いよな」

 それは当たってるかも。全国のステップワゴンのオーナーさん、どうもすいません。

 だけどGちゃんは、ステップワゴンの前の私の車セダンのラファーガのときも、スポーツ仕様のインテグラのときも、「乗り心地が悪い」と文句を言っていた。自分の通院の送迎にタクシー代わりに私を呼び出して、乗っては文句垂れ、けなしては満足する。そういうお人なんである。どういう車なら乗り心地がいいんだか、てんでわからん。

 むしろGちゃんは乗り心地のいい車になんて乗ったことないんじゃないか。Gちゃんがかつて乗っていたのは五十年前のサニー、四十年前のカローラ、三十年前の軽ミニカである。ステップワゴンはワンボックスだからともかくとして、インテグラの乗り心地をけなせる顔ぶれの車とも思えない。

「だいたいよ」

とGちゃんは急に嬉しそうになる。

「オメエなんか、てんでチビのくせによう」

 Gちゃんは人の身体的欠点を攻撃するのが大好きである。

「あんなデカイ車、合わねえよ」
「うん。そう思う」
「でかくて取り回しも悪い」
「大きさのわりに小回りきくんだよ。最小回転半径が乗用車より小さいくらいだしね」
「う……」

 またしばし懸命に車のアラを探すGちゃんである。車をけなせばムスメをへこますことができると思っているのかも。ムスメをけなしても車はへこまないよってくらいに効果はないんだが。

……そういえば私がまだサルもどき、お転婆以上むしろ野蛮な小学生だったころ、イタズラかなんかしてBちゃんに叱られ、家の外に放り出されて泣きわめいていたら、Gちゃんがガラガラと雨戸を開け、

「オイ、ちょっと来い」

 私をテレビ前に連れていった。

「ちょっとテレビ、見てみろ」

 たしか映画カサブランカのバーグマンが今しも美しい涙で頬をぬらし、なにごとかを囁いている場面だった。

「いいか良くきけ」

とGちゃんは言った。

「美人は泣いても騒いでも美人だが、ブスは泣いたらブス以下だ。だからオメエは泣くな。わかったか」

 言われて私は驚き、

「なるほど……」

 びっくりするあまり泣き止んだ……というようなことがあった。

 Gちゃんは相手をどん底からさらに下の奈落へ落として黙らせる達人である。しかしもう、こっちも何十年もの臨戦で慣れてしまってるから突き落とし技はきかないんだよな。というようなことを思いつつ、Gちゃんの罵倒が出切ってしまうのを待つ。

「オメーの車、ありゃ、何人乗りよ」
「七人」
「七人だあ? ふざけてやがる」
「犬を乗せるために大きい車が必要だったからだよ」
「アそうか……」

 Gちゃんは、犬は好きだ。私の家の黒ワンコを思い出したか、Gちゃんは混乱し、言葉を探して再び首を揺らす。

「とにかく、あんな車を選ぶっていうとこからしてオメーはなっちゃいねえ」
「ふーん、そうかい」
「俺なら買わないね、俺は……」
「うん、買わなくていいよ。どのみちもう運転はできないじゃん」
「バ、バカッ」
「誰が」
「オメエがだよっ!」

 話はちっとも介護方面へ進まない。

 ふと見ると、Bちゃんはエプロンを二枚がけしてうつむき、ひざの上で、さっきGちゃんの食べたパンの空き袋を丸めたり伸ばしたりしていた。
 そして静かに宣言した。

「Lちゃん。お父さんの言うとおりよ。あんたが間違ってる。アタシもお父さんも家にいれれば、それでいいの。満足なの。アンタはアタシ達をどこかへ連れていくって言ってるそうだね。それはやめてちょうだい」

 すかさずGちゃんが、

「第一、高すぎる。メシも不味いに決まってる」

と、盛り上げる。

「アンタちょっと黙ってて」

 BちゃんはGちゃんを制し、

「あのね。今どきはね、出れば出三百って言ってね。どこへ行っても、お金はかかるものなの」

 出れば出三百、というのは外出すればそれだけで三百円使ってしまうから、出かけないのが一番の節約。という意味の古い言い回しである。昭和中期の感覚か、あるいはBちゃんの母上(ちなみに明治人)の口癖だったかと思われる。

「お金使って出かけていって、どこへ行っても知らない人だらけ。他人に気を使って疲れるばっかり、そんなのはイヤ」

 これはおそらくGちゃんがBちゃんに、因果を含めて言い聞かせた言葉だろう。いかにもGちゃん的発想である。

「それにね、家の中のことは今までだってアタシがちゃんとしてました。ここはアタシの家なんだし、他人様のお世話になるのはいや。いやっていうより他人が入ってくるのは困るの。……さ、もう帰んなさい。アンタの助けなんか要らない。とうぶん来なくていいからね。わかった?」

 途中で邪魔立てせず、静かに耳を傾けていればこれくらい理路整然と語れるBちゃんである。このときBちゃんは、気持ちとしてはおそらく四十歳代前半の主婦だったのだろう。

 昨夜のGちゃんの自信ありげな『フン』の意味がわかったような気がした。籠城戦のためにBちゃんの同意が必要だと判断したGちゃんは、Bちゃんを丸め込むという手に出た。娘(私)はBちゃんの言うことにはまず逆らわない。ならばGちゃんとしては、Bちゃんをあらかじめ調略しておけばいい、ということになる。Gちゃんは、

『バーサンや、あいつはな、俺らに無駄金使わせてどこかへ行かせようとしてンだ』
『まあ、ひどい』
『アイツはうちに他人をよこして、掃除なんかさせようとしてやがる。他人にうちの中、好き勝手に引っ掻きまわされてもいいのかよ』
『冗談じゃないわ』

 てな感じに、Bちゃんを誘導したんではなかろうか。BちゃんはGちゃんの言い分をもっともだと思い、そしてさきの宣言と相成った。GB同盟ここに成れり、である。

 わずか十日前のデイサービス見学をBちゃんは覚えていない。認知症の症状のひとつ『近いところから記憶が抜け落ちていく』ためである。
 デイサービスの好ましい印象はこのときすでにBちゃんの記憶から消えていた。
 先の冬のあいだの騒動、Gちゃんの罵倒にさらされてこたつの天板を削り取ったことや、それ以前のGちゃんの入院中のこと、その間、寂しくて泣いたりそこから回復して元気になったり、ムスメと毎日出かけて楽しんだことも覚えてはいない。
 私の好きだったコロッケの話題、鰺の七厘あぶり焼きの思い出話も、何も、何も覚えてはいないのである。
 そして今や、戦国大河ふうに言えば、

『只一心に只今を、此の身のみにて生きて参る所存に御座います』

 ゆえに、『助太刀ご無用』になっていたのだった。

 実家の玄関を出ようとしたら後ろでGちゃんが、勝ち誇ったように笑って、

「オメエ、二度と来るなよな。来たって鍵かけて入れねえからよ。そのつもりでいてくんな」

 私を押し出してガラガラぴしゃっと戸を閉め、当てつけがましく施錠する。こういうところGちゃんは子供っぽいのである。まあ、でも、Gちゃんのたわごとはこの際、どうでもいい。なんのかの言ったところで七月には他県の病院へ再入院。私の手助けなしには大事なお目々も治しに行けないGちゃんである。

 だが介護は別だ。
 拒否を旗印に共同戦線で来られたら打つ手はない。二人そろって籠城するという決心が固いのであれば、無念だがここは一度退いて、あらためて別の戦略をたてるしかない。
 城攻めの場合、攻め手は城方の数倍の兵を必要とする。私が単独でしかも短期で、GB両将の籠もるこの城を攻め落とすのは、まず不可能と思われた。
 かくてBちゃんの旗揚げによって、戦わずして勝負は決してしまい、まぎれもなく介護家族側の大敗北となった。

 帰路、介護サービス会社に電話をし、かくかくしかじかの事情で参加できなくなりましたとデイサービスの予約を取り消した。

 一年近くあれこれと試行錯誤してその結果、Gちゃんの介護、Bちゃんの介護、デイサービスと公的介護、家族の介護、すべてがコナゴナに砕けて無に帰した一瞬であった。

 これをば、GBの二回崩れと名付けて以後の教訓とする。

(戦国時代の大友家の皆様ごめんなさい!)

 二〇〇九年四月末日のことであった。


GB包囲網作戦 GBの二回崩れ〜大崩れ ここまでです。
次回、幕間1 生協の変、老人と自転車 へ続きます。
ますます深まる混迷とドタバタ介護体験談、お楽しみいただけましたら幸いです。




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