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対B介護戦・前哨戦


 明け方まで調査を続け、そのまま朝の支度をして家人を送り出し、家事あれこれをやっつけたあとで、各施設の名前、所在地、電話番号等をプリントした書類の束を持って私は家を出た。
 まず今までGちゃんBちゃんを担当してくれていたケアマネさんに会う。昨夜の一件を話し、Bちゃんをどこかに預けたいと相談してみると、

「探してみましょう」

 引き受けてくださった。ただしケアマネさんも空き時間を使って、あちこち電話して当たってみるので、ここですぐにBちゃんの受け入れ先が見つかるわけではない。

「夕方までには探せると思います。見つかったら電話します」

 お願いします、と頭をさげて事業所を出て、次は地区包括支援センター。ここでも昨夜の一件を説明し、最近新設された施設のパンフレットいくつかを見せてもらった。過去に開設された施設は、待機しているお年寄りが多く、そうしたところへはショートステイでも受け入れてはもらえない。
 一方、私が調べて選んできた施設数は十ほど。それと包括で教えられた施設を比較検討して七施設に絞り込んだ。それらの資料を持っていつもより少し遅れて、実家へ行った。
 Bちゃんのところには思いがけない来客があった。

「あっ……」と、来客は私の顔を見て、言った。

 何が「あっ」だ。彼女は一瞬で笑顔に切り替え、

「まあー、Lちゃん久しぶり、おじさん入院してんだって? 今、おばさんから聞いてさあ」

 ほざけ。BちゃんがGちゃんの入院を覚えていられるわけがない。座卓の上の『お父さんは入院中』の紙を見て知ったのではないか。とは思うが、手強い相手なので、そんなことは顔にも出さない。うん、としか言わない私である。なんか気まずい雰囲気、と彼女も思ったのだろう。

「じゃあね、おばさん、そろそろ帰るからさ。またね、元気出してね」

 そそくさと、まるで私を避けるように来客は出て行った。
 この来客はかれこれ四十年前、愛憎泥沼を抱え込んだままGBの元へ転がり込み、何かと騒がしいことになった、いわばトラブルメーカーである。
 私はひそかに『ブル様』と彼女にあだ名をつけていた。当時ブル様は元夫とモメにモメてて、そのあげく幼子いくたりかを捨てて新しい男のもとへ走り、彼女を庇ったGBは、メンツを甚だしく損した。
 しかし不思議なことにGBはブル様を見捨てず、その後も経済援助はもとより彼女の相談役となり、支え続けた。中学生であった私は、「チチハハはどうしてこの人をこうまでして庇うのか?」疑問に思っていた。離婚も子捨ても彼女なりの理由があったのだろうが、怒った元夫側の親族が頻繁に電話をかけてきたり、家に押しかけてきて私にまで当たり散らしたりして、何かと迷惑なことであった。さらに不思議だったのは、他人には過剰なほど批判的なGちゃんが、ブル様にだけ変に評価が甘かった、ということである。

 そのブル様は二十年ほど前、すでに実家を離れていた私に電話をかけてきて、
『アンタの家の近くに○○ってオンナがいるだろ? 電話番号、教えてよ』 
 不穏なことを言い出した。
「電話? なんで?」
『あのオンナ、職場でさ、好き勝手して男騙してムカツクんだよ』
「教えない」
 あとは聞かずなにも話さず、ただちに電話を切った。
 のちに聞いたところでは、私の電話番号をブル様に教えたのはGちゃんだった。

「他人に私の番号を勝手に教えないで!」

 私がカッカと怒ったのに、Gちゃんはうやむやと言葉を濁した。
 おやぁ? と思ったのが最初である。
 そののちGちゃんとブル様とのあいだに『Bちゃんには言えない』交流があったと判明した。まあ、ブル様は人妻だしGちゃんも臆病だから、そこに何があったのか、何もなかったのか、追求はしなかったが……。
 Bちゃんの後詰めである私はブル様への警戒を緩めなかった。ブル様も『あの娘は簡単には転がせない』とでも思ったのか、私との接触を避けているフシがある。

 とまれ、Gちゃん不在のこの夏、Bちゃんのそばにブル様が来た、そのことは大問題だった。危険信号を見逃すほど私はお人好しではない。物忘れや徘徊だけではない。危機の中、さらなる危険が迫っている。施設入りを急がなくちゃ、ただそれだけが私の胸にあった。

 Bちゃんはこの日、いつもよりさらに元気がなかった。前夜の徘徊は覚えていない。だが疲れているのは明らかだ。顔面パック(もうちょっとましな呼び方があると思うがわからん)を施したり、腕と手のマッサージをしてみたり、新しい口紅をプレゼントしたり。ただしお化粧はしてやれない。私は美容にはまるっきし不案内で、こういうとき困る。

 Bちゃんの様子を見ながら、ふと思い出したことがあった。Bちゃんは二人姉妹である。Bちゃんにはお姉さんがいて(私からみれば叔母さん)そのお姉さんには子がふたり(私から見れば従姉と従兄)いる。その従姉が、何かのときに『介護の勉強をしている』と小耳に挟んだことがあった。アドバイスをもらえないだろうか。叔母さんに電話をかけて従姉の電話番号を聞き、そしてただちにかけてみた。

 従姉は私からの急な電話に驚いたけれども、事情を説明すると、

『私の友達に施設に詳しい人がいるから、聞いてみてあげるね。あとで電話するわ』

と言ってくれた。長年、薄くて遠いつきあいだった従姉だが、こういうときは心強い。ありがたいことである。その後もときどき実家の外に出て、資料を見ながらあちこちの施設に電話をかけた。そのときまでに選んでおいた七施設のうち、自宅から一番近いところは有名どころではあったが待機人数が17人……! で、まず候補から落ちた。

 次、Bちゃんの昔の実家にほど近い場所の施設では空きひとり。ただし重度認知症では受け入れが難しく、面接後検討に要七日ということで、ここも候補から外した。面接して可否を待っている余裕はない。ほどなくしてケアマネさんから電話が入り、一施設空きありと聞いてすぐに電話をかけた。しかしここは収容人数二十名以上に夜間は介護士ひとり。外へ出たがる高齢者には、

『気づけば引き留めますけれど、他の入居者の世話をしている間に出て行ったような場合は安全を保証できないですね』

ということで、徘徊の始まったBちゃんには不向きであった。その日の夕方、早めに自宅に戻ってさらに残りの施設にも電話をかけた。受け入れ可能と返事をもらえた施設は三カ所。その中のふたつが市立病院に近い。この二施設のうち、どちらか……。パンフレットを比較しながら考える。いずれも瀟洒な建物で内部も清潔だし、介護方針も立派なんである。そこへ従姉から電話がかかってきた。

『友達に聞いてみたらね、彼女のお母様をステイでお願いした施設があるそうなのね』
「はい」
『ちょっとお高いけれど、急なステイの申し込みにもきっと対応してくれるって彼女が言うのね。中も綺麗ですごくいいって。介護も手厚いそうよ』

「あ、ホント? どこ?」
『施設の名前は○○、電話番号はね』

 その施設は私が手元に残した二施設のパンフのうちのひとつだった。

 
  土壇場 に続く

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