介護坂は下り坂編1
伏兵あらわる
GB刃傷沙汰の翌日、飛び込み受診の支払いのために医院と薬局へ出向いた。
その足で施設へ回り、Bちゃんのステイのお礼を言って、前払いしてあったステイ料金から利用しなかった日数ぶんの払戻金を受け取った。
GBの家に行くと、Gちゃんが凝りもせずBちゃんの古い服を捨てようとしていつものように喧嘩になっていた。
BちゃんをGちゃんから引き離して買い物に連れていき、その後でGちゃんに施設の領収書を見せて(見せても見えないが)ステイ代の支払いを要求した。
「手持ちがねえよ」
支払いを渋ったのでこれまた信用金庫へ有無を言わさず連れていった。
あれこれ片づけて私も帰宅。家に着くと同時にGちゃんから電話がかかってきた。
『オメエちょっくら石油屋へ行って灯油買ってこいよ』
灯油? まだ秋にもなってない。なんで夏の終わりから灯油なんだ。
『バーサンがストーブで湯、わかすって言ってきかねえんだ』
「火の始末ができないのにストーブはどうなのよ」
『いいだ。ガスより電気より灯油が安いだ』
Bちゃんがきかないっていうのは嘘だろ。ケチケチGめ。
『さっき、カネたくさんくれてやったろ。あれで買ってこい。石油屋は5時までだ』
今すぐってことかい。冗談じゃありませんよ。往復一時間弱ですぜ。帰ってきたばかりなのにホントにもう。
「お湯は電気ポットで沸かせばいいじゃん」
『バーサンが使い方覚えねえ。ダメだ』
「Gちゃんがやれば?」
『見えねえもんよ』
「ガスで沸かせば? 今までそうしてたでしょ」
『灯油買いに行くのか行かねえのか』
「行かない」
『あーあ、これで茶もろくに飲めやしねえ』
「じゃ、水飲めば。ガスも灯油も電気も使わないよ」
『オメエ、案外ケチだな』
そして突然、電話が切れる。
なんなんだGちゃんめ。ほとんど漫才の世界である。
数分後、今度はBちゃんが電話をよこし、
『ねえ、保険証ないんだけど』
「居間の小さいタンスの左の引き出し1番目」
『探したけどないんだよ』
「じゃあね。赤い買い物袋の中の財布の中」
『あ、そうか、探してみるね』
電話を終えて数分後、
『お財布の中にあったわ』
さらに数分後、
『オメエよ、俺が留守してたあいだ、金庫開けたか』
「開けてない。鍵も持ってないし暗証番号も知らない」
『通帳がねえよ』
「さっき信用金庫に行ったじゃん。上着のポケット見て」
『ポケットだあ? あ、あった』
出かけたときの服のまま通帳の存在も忘れていたらしい。すわ金庫破りかとまっさきに私を疑うところがやはりGちゃんなんである。
そして数分後、Bちゃんから、
『ねえお米、ないんだけど』
「米樽の横の古新聞の上」
『ないよ?』
『ギフトだから箱に入ったままなんだよ』
「あらまあホントだ」
せわしないったらありゃしない。だがこうして頻繁に電話がかかってくれば、ふたりが無事だとわかる。それでいいか……。半ば諦め。みたいな心境ではあった
こうして一か月ほど経ったとき、夜中に奥歯がキーンとして私は目を覚ました。
イテテ。とは思ったけれども夜なのでどうすることもできない。
じつはこのときの一年前の夏『倉庫街の悪夢』のころ私は歯の治療中だった。被せてあった金属と歯の隙間から虫歯が進み、根治の途中だったのである。歯医者さんで言うエリート(?)というもので、簡易穴ふさぎの状態のまま一年がたってしまい、夏のあいだにときどき痛んではいた。その都度、市販の鎮痛剤を飲んでごまかしてきたのだが、その歯が再び赤信号になったと思われた。歯医者に行かなくちゃと思いつつ、介護介護で日が暮れて、一年とちょっと騙し騙し来たけれどさすがにもう騙せない、きびしい痛みだった。
朝、顔を洗おうとして鏡に映った自分に驚いた。ほおからあごまで大福餅みたいになっていたのである。ずきずきと痛みが強くなって、さすがに我慢できず歯医者へ飛んでいった。
歯の表面を覆っている白い被せモノを取ると、
「おおっ?」
歯医者さんが声をたて、
「どばっと……出ましたね」
はい? 何が?
「歯の根の中が腐ってます。膿と血が、どばっ。これはダメだ。根治し直しましょう」
で、麻酔となった。だが麻酔注射直後、覚えのある強烈なめまいが襲ってきて、
「センセ、なんか目、回るんですけど」
歯医者さんは私の額に手を当て、
「低体温? かな?」
看護師さんが私の手首をとって、
「体温も低いし頻脈です……あっ、脈拍180超えてます! 脈も弱いです」
それで医者も看護師さんも慌て出して、
「すぐに血圧、結果見て救急車」
院内騒然となってしまった。
「これは危ない! 血圧が測定不能だ」
「センセ測定不能って?」
「上が70切ってるってことです!」
機械が壊れてるんじゃないだろうねと、医師は自分の血圧を測り、
「あ、僕のほうはいつも通りだ。機械は大丈夫! ってことは」
私の血圧が機械で計れないほど下がっていたということになる。
「救急車、呼びますからね」
「待って、その前にセンセ、この歯、なんとかしてください」
「いや、ダメです、うちではできない、大学病院の口腔外科にすぐに行ってください」
ちょーっと待ったぁ!
「腹式呼吸で血圧戻しますから! 3分待って!」
私が搬送なんかされたら家は、家族はどうなる。GBはどうなる。大学病院なんてとんでもない。
私の腹式呼吸はちょっと特殊で、両手の親指と人差し指で菱形を作って手のひらを丹田に置き、ごく深く長い呼吸を一分に一回。日頃からトレーニングして、心臓の動悸や身体の痛みを押さえてきた方法である。長い吐呼吸が整わなかったが、三回目の息を吐き終えたとき血圧計が反応し、上の血圧が60を超えた。
「ああ、出た、血圧が出た、あああ、良かった~」
歯医者さんが拍手した。脈拍も100以内にさがり、ドキドキがおさまってくる。
そういうことなら麻酔が効いているうちにと、歯医者さんは根治にかかったが、
「どうも……歯の根だけじゃないみたいだなあ」
治療しながら呟いた。
「根だけじゃないってどういうんでしょ?」
口がきけないので目で聞くと、歯医者さんは治療の手をとめた。
虫歯が進んだ歯の根から虫歯菌が下へ抜けて、あごの骨まで達しているのではないかと言うのである。
「前の根治から一年たってるしねぇ~」
ハイ。それはわかってます。
「こんなになっちゃって。痛かったでしょ、今まで」
「はあ、まあ、ちょっと」
「んー、もおお……ちょっと痛いっていうようなレベルじゃないよ、これ」
呆れられてしまった。
「これはやっぱりうちじゃ無理ですね。大学病院へ行って口腔外科で手術してもらったほうがいいと思う」
わっ手術っすか、やっぱり? あかーん……。
「入院するようでしょうか」
「うーん、どうかな。聞いてみよう、ちょっと待って」
歯医者さんは治療台から離れ、事務室へ行ってどこかへ電話をかけたようだった。
しばらくすると戻ってきて、
「ちょっと離れた市の○○の付属病院に、△△大学の口腔外科の先生が、ときどき出張治療に来られるんですよ。で、今その先生に話したら、次の診療日に診てくれるってことで。どうでしょう」
「ありがたいです、お願いします」
○○なら知ってる。私の家からも近い。
「じゃ、予約しておきますよ。紹介状書きますから、受診前に必要な書類をもらいに、そこの病院へ行ってください」
通院で済みそうだ。良かった~というわけで、なんかヒョウタンから駒というか、地獄に仏な展開となった。
「でもま、この歯は抜くと思いますよ」
は。
って、駄洒落でもなんでもなく。
「Lさん、聞いていいかな。心臓、悪くない?」
「悪いです」
歯医者さんの眉が寄った。
「でも、同じ病気の心臓で80まで何事もなく生きた人もいるし」
「あ、そうなんだ?」
「まあ、20歳で無念の人もいるけど……」
「それ、いつから?」
「18から」
「そうか、そうか」
「なので、気にしても始まらないし。あとはまあ、よく自己管理して太らないように、無理しないように、気をつけてこの年まで来ました」
「なるほどねえ。心臓の何がいけないの?」
「サボーなんたらかんたら不全」
「……弁かな?」
「うん。たぶん」
太らないように、は嘘である。ただ単に太らないというだけだ。無理しないように、も大嘘である。無理ばっかりしてきた。つまり問題を抱えているけれど、案外丈夫な心臓ということである。
ただ、今回は介護疲れがどこかにあって、麻酔に過激に反応した……んじゃないかな~とまあ、そこは素人判断だけど。
「そういうこと麻酔前に言ってほしいなあ」
歯医者さんはぼやいた。
スミマセン。今まで大丈夫だったからと私は謝った。
その後、受付から、
「手術までのあいだ痛みがひどかったり腫れたりしたらすぐに来てくださいね」
痛み止めの薬をもらい、悪い歯は「ふさぐと痛む」ので開けっ放しとなった。
当然、ポッコリと大穴である。
「歯の中にものが入ると取れないし痛いですから、反対側の歯で食事してください」
ということだった。
めまいの余韻と低血圧と麻酔あとの無感覚を抱えて、ヘロヘロと車を運転し帰宅してから、さあ、栄養補給をどうしようかと考え込んだ。
歯の穴はちょうど米粒大。歯ブラシで軽く触れたらまだ麻酔が効いているはずなのにズキーン…と響く。
あれこれ試してみると、塩分、糖分、酢、醤油は全滅だった。
ぬるめの牛乳は大丈夫。では豆乳、豆腐、味なし寒天、ゼラチンのみのゼリー、無糖ヨーグルトはたぶん大丈夫だろう。野菜ジュースは無塩、コーヒー紅茶ほうじ茶もOK。
抜歯まで3週間、これらの食品で乗り越えよう。ちなみに体重計に乗ると42キロだった。もとの体重が46キロなので、夏の介護で4キロ落ちたものと思われた。これで食べ物がこうだとまた痩せる。ありがたくない。
幸い歯の穴解放のおかげで痛みがこもることもなく、固形物抜きの食事でものを詰まらせることもなく、食にこだわりも執着も薄いし、日常に支障は出なかったが……。
3週間後、私の体重は38キロまで落ちた。介護で4キロ歯で4キロ、望まぬ減量にげんなりである。
そのころGちゃんもBちゃんも相変わらずささいなことで電話してきて、何かというと喧嘩していたが、これといって大きな騒動には至らず。幸いといえば幸い。
その日、私の誕生日だった。よく晴れた中秋の午後、抜歯&手術。
歯医者さんの見立てどおり、私のあごは虫歯菌に侵されており、あごの骨まで削る手術となった。そうとう悪い歯だったらしく、帰路、車を運転しているあいだに麻酔が切れて早くも痛み出した。あまり神経質に水でゆすいではいけないということで、口の中がまああ不味い。
抜歯後は『食事は普通にして大丈夫です』と抜歯のしおりに書いてあるが、抜歯前と同じでほとんどものが食べられない。減っているのはわかりきっているので体重計にも乗らなかった。
何を隠そう(隠れてないが)
日頃からこの性分(自分のことはあとまわし的な)、いつか自分にしっぺ返しがくるだろうなあ……と予測はしてた。
介護と育児と家事と看護はとにかく待ったなし。家政オールワンオペだし、目につくことから片づけるのが精一杯で、健康のことメンタルのこと自分のこと仕事のことも全部置き去り。このツケは数年後にきっと襲ってくるだろうなあと思ったりもしていた。
それを自分なりに分析して洞察して昇華し、違う形でアウトプットできる日が来るのを待とう。しがない物書きとしては歯痛の床でそう自分に言い聞かせるしかなかったのだった。
次回 おライカ様〜本陣詣で に続く
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