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GBの大乱編2

3 鰤と柚子


 とにかく、もう、どうしようもない気分で施設を出た。
 Bちゃんの御放屁で救われたけれども、BちゃんがGBの親の介護をしなかったことなんて、何故口にしてしまったのか……。
 たしかに早世したひとりを除く実親ひとりと亭主の親ふたり、都合三人の最期の看病と長期にわたった介護には、Bちゃんは、
「親らしいことは何もしてもらってないから、死ぬときも面倒は見ない」
「亭主の親の面倒は亭主の実家の嫁が見ればいい」
「アタシは年寄りは嫌い」
「年寄りの面倒をみるのはもっと嫌い」
 等々の理由をつけて投げだす方針を貫いた。
 しかし過去のことだ。
 今更、しかも私がなんであんなこと言ってしまったんだろう。

 自己嫌悪にどっぷりどんより。運転するのもいやになってコンビニの駐車場に車を停め、しばし休んだ。
 Bちゃんの言葉の中のどれかが私の地雷を踏んだのだ。
 だが、自分でもどれが起爆スイッチだったのかわからない。いつも言われてきたようなこと、慣れていたはずの罵倒だったし、これといって目新しい内容はなかった。はずなんだけどなあ……。
 表向き、介護介護と懸命にやってるつもりで、その裏に厭わしくも深い淵を今見てしまった。そんな気がした。


 小一時間ほども考えたあとで「結局」と私は思った。

 施設にいるBちゃんに会いに行っても、解決できることは何もない。
 行けば今日のようにイヤなニンゲン(自分)を見るだけだ。
 Bちゃんも私に会っていいことはない。望みは叶わず怒りのみ、血圧はあがって身体にも悪い。
 せんだっての夜、うち続く夜討ちに私のほうで根が尽き、留守電にしてBちゃんからの電話を受けず、数時間、放っておいたら怒りが静まったことを思い出した。
 相手をしている限り、だめなんじゃないのか……。会いに行くのはもうやめよう。
 電話もやめだ。公衆電話から、あるいは施設のフロントからBちゃんが家へ電話をかけてきても、もう出ない。これで一区切りと自分に宣言して自宅へと帰った。

 翌々日、施設から電話がかかってきた。
 Bちゃんからなのか、職員さんからなのかわからない。どうしようか迷った末、何度目かに出てみると、
『アンタ、なんで来ないのさ』
 Bちゃんからでした。
「だって、怒るじゃん」
 こっちも素直に答えてみた。
『怒りゃあしないわよ』
 そうかなあ? 半信半疑で曖昧に答えを避けた。
『つまんなくってしょうがないんだよ』
「あ、そう」
『一日じゅう誰とも話さないし、ひとりぼっちなんだよ。つまんないよ、こんなとこ』
 って、オイ、フロントから電話かけてるんでしょ。職員さんのそばで堂々と「こんなとこ」はどうなんだろうBちゃん。
『ところで聞きたいことあるんだけど』
「はいよ。なに?」
『お父さん、いつ退院するの』
 まあ、驚いたのなんのって……! Bちゃんは、Gちゃんが入院していることを覚えていられるようになっていたのである!
「八月末、かな」
と答えると、電話の向こうでBちゃんが施設の人に向かって、八月末って言ってます、と話しかけているのが聞こえた。
『病院、どこだったっけ?』
「◯◯県だよ」
『あら、市立病院じゃないの』
 ずいぶん受け答えがしっかりしているなと不思議に思った。続けて、施設のかたが、
『寂しがっていますので会いにきていただけませんか』
 こう来てしまっては行かないわけにいかない。施設に行かないぞと決心してから、わずかに四十八時間。懲りないムスメは施設に向かった。Bちゃんは自室におらず、共有スペースの大きなテーブルにいて、他の入居者さんと歓談中だった。声をかけると、
「アラLuちゃん」
 機嫌良く手を振る。
「もう来てくれないかと思ってたわあ」
 にこにこして嬉しそうだ。それから少し声を落として、
「ごめんねえ、このあいだアンタにひどいこと言って」
「いいんだよ」
 答えながらまた驚く。二日前に何があったか、Bちゃんが覚えている……!? たまげた。
しかもおだやかで安定した受け答え、それは半年以上前の状態のBちゃんだった。
「ねえ、相談があるんだけど」
「はいはい」
「アタシ、お父さんのところへ行ってみようかと思ってるんだけど、どうかしら」
 すると、そうだよ、行っておいでよ、とか、新幹線ならすぐだよ、とか、周囲のお年寄りから一斉にエールがかかった。Bちゃんは満足そうに頷いて笑顔を見せた。
 話し相手がいなくてつまんないって、あれはBちゃん、なんだったの?
「うん、でも遠いよ、Bちゃん」
「あらそんなことないわよ。たいしたことないってみんな言ってるよ」
 みんなというのは集まった高齢者の皆さんのようである。
「でも東京を通ってかないといけないから、うーんどうかな」
「混んでるの? そこへ行くまで」
 私が言わなかったことまで察している。
 Bちゃん、何があったんだ? どうしてこんなに急にハッキリしたんだろう?
「アタシを連れて行くのはアンタだものね。……わかった、無理は言わないわ」
「あ……そお?」
「ここにいるわ。お父さんが 帰ってくるまで待ってる」
「そうだね、それがいいよ」
「Luちゃん、迎えに来てくれるでしょ? お父さんが退院してきたら」
「うん、来るよ」
「頼むわね」
 Bちゃんは周囲の人と話をし始め、途中で介護士さんが来て
「今日は顔色がいいですね」
「お着替えなさったんですね、お似合いですよ」
「お茶飲んでいただけましたか? 美味しかった? うん、良かった」
という具合に、にぎやかに話しかけてくれる。
 Bちゃんはごく自然に周囲に溶け込んで会話に興じ、その場を離れる私を引き留める気配もなく、なんか肩すかし? 不思議に思いつつ私はフロントに向かった。
 共有スペースの脇には、一週間の食事のメニューが張り出され、しげしげ見るに栄養バランスのいい、理想的な食事内容と思われた。
 なになに……むむ、ブリの照り焼き? 蒸し子芋の柚あんかけ? ご相伴にあずかりたい。
 横にはカレンダーがあり、日ごとのレクや週ごとの習い事、習字カラオケその他手仕事各種、参加希望者募集の文字もあった。
 さらに月に一度は室内管弦他の催しがあり、大学の名前と学生さんの紹介がある。
 近隣の小学生との交流会、節季の催し、誕生会や交流会……。
 私の生活より変化に富んでないか? じつに楽しげな生活メニューなんである。
 なるほどなあ、と私は思った。
 夜間攻撃をやめて十分な睡眠、まずそれが効いた。
 そして栄養バランスのいい美味しい食事。
 明るく話しかけてくれる介護士さん。
 少しのことでも褒めてもらえるし、いつも笑顔に囲まれてる。
 周囲に人がいて話をし、話を聞く。新しい情報が入る。おしゃべりに笑い声。
 それが、いいんだ。
 かつてGちゃんに怒鳴られ殴られ、萎縮しながら反抗し、時間のかかるつらい家事、思い通りに進まないあれやこれやに囲まれて小さく小さくなっていたBちゃんは、ここでようやく羽を広げる気になった。そう見えた。
 良かったじゃん……。そう思ったとたんに急に涙がどっと出た。
 なんでここで泣くか。我ながらわけわからん。
 ハズカシイのでトイレに行ってハナかんでからフロントは避けて外へ出た。



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