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隠密掃除


 その冬、Bちゃんのめざましい回復とともに実家の掃除も少しずつ進んでいた。

 まず、家の敷地内通路のゴミ撤去である。

 昔DIY命だったGちゃんの、日曜大工の古い残骸、トタン板、大量の木材、割れたバケツ・セメント片。ビン缶陶器、焦げつき鍋、園芸用のコンテナやら支柱やら数年分の不燃物ごみの山。壊れた家電、ストーブ、大量の発泡スチロール、雨ざらしの備長炭……等々。

 長さ五メートルにわたって、高さ・幅とも一メートルほど積み上げてあった。テレビ番組でときおり見かけるゴミ屋敷……一歩手前の状態だった。なんとかしたいと以前から思ってはいたが、Gちゃんに提案してみても、
「余計なことすんじゃねえ!」
 と怒り出すので、手をつけられなかったのである。

 Gちゃんの入院をこれ幸いと全部捨てることにした。このゴミの中から何かを選り分けて使う日が来るとは思えないし、たとえ捨てても術後のGちゃんの視力では片付けはおろか見ることさえできないであろう、ひたすらに悲しきゴミ山なのであり、事実、純粋にゴミのみだったのでいささかも惜しくはない。(文章長すぎ)
 ちなみに以前、私の引っ越しのとき、隣市で市の公認廃棄物業者にゴミ廃棄の値段を聞いたら、家庭ゴミ一〇トントラック一回移送で十八万円という話だった。大きな荷台にゴミちょっとの状態でもこの価格は変わらないそうである。

 価値ゼロのゴミに十八万かい。それはちょっとイタイ。GちゃんにもBちゃんにも、無断で内緒の廃棄だから、当然こちらの持ち出しになる。
 GBの家から五キロほど離れた山中に、市のごみ処理場があって、周辺には廃棄物処理業者がいくつか看板をあげていた。その中のひとつに便利屋さんがあり、引っ越し時の不用品処分と書いてある。電話をかけてみた。
 引き取りの相談をしてみたところ、複合ゴミの処分費なら軽トラック一台、積み放題で二万円程度だという。それくらいなら私にも払える。

『今の現場が終わってからでもいいんなら、今日の夕方行きますよ』

 便利屋さんが言ってくれたので、お願いすることにした。

 親切な便利屋さんで、職人っぽい風貌の壮年と、さわやかガテン系若い人の二人組。ものの十五分ほどで全部積み込んで、

「軽いゴミが多いね。まだ積めるよ、家の中のゴミも運んでやるから、あれば出して」

 声をかけてくれたが、

「何かを捨てたと、Bちゃんには気づかれたくないんだ。だから外のだけでいいよ、ありがとね」と二万円払って一件落着である。

 荷台に縄がけしながら、壮年の便利屋さんのほうが、

「そういえばこのあいださあ、年寄り夫婦の家の片付けに行ったんだけど」

「うん」

「おっかさんのほうが、やめてくれ、捨てないでくれって、泣いちゃってねえ」

 しみじみと言うのである。

「依頼してきたのは息子だと思うんだけどさ。おっかさんの箪笥、中身ごと捨てるって言うわけよ」

「もしかして……和箪笥だ?」

「そうそう。もう着物なんか着ないだろって、息子は無理矢理、家から出そうとするわけ。箪笥がでかくて邪魔だって言ってさ。だけどおっかさんにしてみれば……」

「大切にしてきたんだろうしね」

 人ごとながら胸の痛むような話である。

「で、どうしたの?」

「持ち主が捨てたくないと言っているものを、廃棄することはできません、法律ですから。って言って逃げてきた」

「うんうん」

「嘘だけど、法律ってのは」

「ウフフッ」

「次、依頼が来てもあそこだけはやだな」

「着信拒否という手もある……」

「なるほど。いいこと聞いた」

 ワッハッハと笑って、若いもんの運転で、便利屋さんは帰っていった。

 この町のどこかでそんなドラマが……。というこぼれ話であった。

 外が片付いたので次は台所だ。
 じつは、GBの家は、何年か前から玄関の外にまで異臭が漏れ広がっていた。夏場に生ゴミを一週間も放置したら、こんな感じかなという臭い、とでも言いますか。掃除が行き届かないことと、ゴミがたまっているせいだった。

 台所の床はこぼれた汁? 料理? で、コーティングしたような状態であり、床材の模様がすっかり消えて、一面グレーになっている。汚れは粘着質で、歩くとぺたっぺたっと靴下がくっついて、そのまま他所へ行くと、靴下裏が糊化してるものだから、廊下の板に張り付こうとする。油断してるといつのまにか靴下が床に接着して勝手に脱げる(ウソ)。まあ、ちょっとした接着剤付き床である。

 最も強い臭いの元は冷蔵庫とトイレで、トイレはもう……、

「トイレごと捨てるっきゃないッ」

 素人の掃除できれいになるとは思えないので、あとで業者さんに頼むことにして、置き型脱臭剤を三個置いただけ。

 さて、まずは冷蔵庫。扉を開けると中身がなだれ落ちてくる。Bちゃんは冷蔵庫の中の全容を把握してはいない。詰め込めるだけ詰め込んで奥のものは取り出さない。一杯入っていれば満足、なのである。

 ミッションはひそかに進行した。Bちゃんがテレビを見ているあいだ、あるいはご近所さんへ行ってるあいだ、美容院へ行ってるあいだ、短い時間を使って、少しずつ冷蔵庫の中身を出し、DIYで買っておいた密閉式コンテナへ隠しておいて運び出す。帰りに分別して、車で市の焼却場へ運び込む。ということを繰り返した。車内がゴミくさくなってちょっと困った。

 Bちゃんの冷蔵庫の中は不思議な世界だった。カビが生え、それが増え、増えすぎて栄養を吸い尽くし、ついには餓死して絶えたあとの、コナになった『何か』と思われる粉塊が、鍋ごと入っていたりする。かと思えば、臭いを嗅いでも触っても、それが元はなんであったのか、まったくわからないゴム状のものとか。なんとなく、魔宮殿である。

 五年前十年前のソースやケチャップ、それはまだ新しいほうで、最古参は二十年以上前の羊羹。糖分が包装紙から浸み抜けて棚に密着し、皿数枚を巻き添えにした格好で、冷蔵庫の一部になっていたりした。

 古いもの、食べたら危ないものから、順番に少しずつ片付けていった。冷蔵庫の棚板は洗って消毒して、庫内も徹底的に拭いた。Bちゃんの不安解消のために、新たに似たような形の羊羹やら傷まないクッキーやら、瓶詰め、レトルト等を買ってきて入れ、調味料は一新、包装を解いて使用中を装って並べる。空の容器を奥から順に入れ、皿にラップだけかけたものを崩れない程度に積んで、「大丈夫、たくさん入ってる」状態を偽装した。

 どのみちBちゃんは奥の方のものを出して見るというようなことはしないのだ。三日もすれば手前側から残り物が並ぶだろう。いつ、どれが冷蔵庫に入ったか毎日見ていれば、およそ捨てる時期はわかる。

 冷蔵庫の次は食器戸棚。狭い台所だが、年代物の水屋一棹と、昔瀟洒で今汚れな食器棚、ドライストッカーと椅子と卓が置いてある。食器戸棚には茶碗や皿の他にもいろいろ入っていた。
 食べかけの袋入り食品、魚の煮汁の煮こごり、食パンの残りをすり鉢で砕いて、一度フライに使ったけど、半端に残っちゃったのよね的、黄色い玉子の色つき古パン粉。
 印刷が褪色して、骨董品一歩手前の、ファンタジックな雰囲気の外国土産チョコレート。開封未開封問わず期限切れのインスタントコーヒー、クリープは固まり(出せる)クレマトップも固まっている(出せない)。

 その横には、新しいことにトライしてはみたが、煎れかたがわからず一回で挫折したらしき、ブルックスコーヒー四十九袋。
 塩ふいて白丸描く醤油皿(川柳?)。
 元は合わせ味噌と思われる固形物。
 棚のどこかに袋の破れたゴマでもあったか、拭いても拭いても黒ゴマが取れる。
 使用済み割り箸は引き出し二杯分。下の引き戸に何故かGちゃんのパンツ。

 私も仕事柄、意外性とか突飛な発想とか、思いがけない展開とかを考え出すのが好きだけれど、この食器棚の吹っ飛び具合には、とうていかなわない。と思ったことである。

 皿は全部でいったい何枚あったのか、洗えど尽きせぬ『シジフォスの棚』。とにかく洗いに洗った。
 洗い桶に湯を張り、皿を入れると湯が茶色になる。ざっと洗ってもう一度桶に放す。まだ薄茶色だ。さらにもう一回洗う。その後、熱湯を通して乾かし、食器棚に戻す。
 食器棚の中ももちろん拭きまくる。片付け終えて食品は全部出し、食器も洗ったのに、食器棚を開けるとまだ臭う。どれが臭っているのだろう。あれこれ手にとって確認したら、古いプラスチック容器が臭いの元だった。
 何度洗っても、臭いが取れない。プラスチックは経時変化すると、悪臭くなるらしい。新しい容器を買ってきて置き、古いほうは全部捨てた。
 棚の中の物が減ったように見えぬよう、奥に隙間、中程にタッパー、手前に皿、知恵と工夫の棚整理である。

 食器棚の次は野菜かご。常温保存の野菜は主に芋類、根菜だが、いくつかは芽が出て育って枯れたあとだ。タマネギはあおあおと伸びていたが、球根部の腐臭はすごいものがある。細さからしてゴボウかと見えたものは、しなびて黒化したニンジンだった。

 食品、雑貨がいっしょくたの棚に、詰め込むように置かれた買い物用手提げ袋に、スポンジがぎゅうぎゅうに入っていて、何気なく横に置いたらボヨンと音がする。スポンジを全部出したらその下に、もとは何であったのか判別できない、黒いゲル状のものが入ったビニール袋があった。貼られたシールから察するに「新鮮野菜」だったモノである。

 すまぬ、頼むから成仏してくれ。袋に向かって合掌した。

 が、モノが自ら浄化するはずもなく、外の流しで処分してその臭いのあまり、ぼえええええ……と、脱力した私だった。

豆の記憶 に続く



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