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オトナの社会科見学〜カフェヨガサークル編#3

また来ちゃったんですね…。

toshiです。

なぜ1作目からこんな長編モノをつくっちゃったのか、大きな後悔を残しつつ、今日もStayHomeしていただいている皆様の、ほんのヒマつぶしの一助になれれば幸いです。

長編モノ、多分今回の第3編が一番長いんですよね。

というか、ここまでまだ入会前の話ですからね?
なにこれ、文章書くの下手なのわし?

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第2編で無事にサークルへの入会を果たし
ここから本格的にヨーガの訓練が始まるわけです。

ここからは、どう考えても長くなります。
いくつかのポイントに絞り、長々と書いていきます。

①ヨーガ講座を行う場所
②ヨーガ講座の内容(座学編)
③ヨーガ講座の内容(実践編)
④退会宣言

はい、ではゆっくり見ていきますよ〜。
質問あったらすぐ言ってくださいよ〜。

【①ヨーガ講座を行う場所】

座学は大きく分けて2箇所。
カフェやファミレスといった飲食店。カフェは主にミスド、ファミレスは主にサイゼリア、ガスト。
または「サークルメンバーが無償で提供してくれる、マンションの一部屋」。

自分は名古屋市千種区に住んでいるので、その周辺が主な講座場所でした。
「マンションの一部屋」は複数のエリアにまたがって、いくつもあるようでした。鶴舞、栄、大須、上前津とか。4〜5室くらいお借りしました。比較的自宅周辺ということで、移動にはなんら問題なし。

が、その内衝撃の事実を知ることになる。なぜこのエリアにそれだけ部屋があるのか。偶然なのかこれは?

さてマンションの部屋について。
どこも1Kの、余計なものもなくシンプルな家という印象でしたが、それ以上に不思議なのは、どの部屋もテイストが似ていたこと。
「入り口に消毒スプレー」「部屋に流れるヨーガの音楽」「講座中は必ずお香を焚く」点です。

消毒スプレーは、形状はリセッシュのあのボトルなんですが、なぜかアルミホイルぐるぐる巻で中が全く見えないんですよね。どの家のも。

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うちで作ってみました。
輝かしい!
そして怪しい
ゴゴゴゴゴゴ…って吹き出しが見える気がする!
シルバーチャリオッツ!!

リセッシュはなかったので、フレアで作りました。
ザ・こんな感じです。

これを必ず毎回入室時に手にシュシュッとされるわけです。

「消毒用です」とのことでしたが、不安だったので、見えないとこで手の匂い嗅いじゃったよね。
アルコールの香りもなく、ただただ無臭でした。こわ。

ヨーガの音楽とはなにか。
いまだに私もよく分かっていないのですが、先生曰く、

「ヨーガの最高指導者たちがつくった音楽で、人間界には存在しない音で構成されている」とのことでした。
誰がどう聴いても、あれは人間界に存在する、いわゆるヒーリングミュージックの部類に入ると思うのだけど…。

でもヨーガの最高指導者たちは「人間界よりずっとずっと上の世界に存在する、概念的なもの」なので、まあ人間界の音楽ではないな、確かに。

また後述しますが、ヨーガ理論の中では、「音楽を聴く行為そのものが悪業を積む行為」です。

情報を入れるという行為が良くないのですが、「音」そのものが、私たち人間界がある世界よりずっと上の世界に多大な影響を及ぼしてしまうからダメだと。でもヨーガの音楽はいいんだ…?

お香を焚く。まあヨガっぽいので特にコメントなし笑
でも講座中およそ3時間ずっと焚くもんだから、目が痛くなるんだよな。

【②ヨーガ講座の内容(座学編)】

・ヨーガ理論や歴史、真理を学ぶ
・善業/悪業を積む行為の区別
・実践のすすめ方、分析

ほんとにざっくりするとこれらを学びます。
人間に備わるチャクラの位置やそれらに対応する感情、人間界以外にどんな世界があるか。
内容が濃すぎて語れません。それだけでnoteがいくつあっても足りないのです。

講座は原則メモをしません。
筆記用具も何もいりません。
先生が用意してくれるホワイトボードのみです。
だから復習しようと思ったら講座に来るだけ。
メモもないし、調べるのもご法度だからね。

当然教わったことを忘れたり曖昧に覚えてしまったりする部分もあるのですが、ヨーガ理論に則れば、「不要な情報を取り入れすぎてしまうから、大事なことを忘れる。だから外部情報をまずは遮断して、大事なことを忘れないようにする。忘れっぽいとかは関係ない。」ということです。

あと講義中は「蓮華座」という、ヨーガ独自の足の組み方で座ります。

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引用:https://flareplus.com/704

↑これです、これ。やってみるとわかるけど、これまじでしんどいです。痛みがやばい。はじめは10分でもうアウトでしたが、退会する前までには1時間以上組み続けることができていました。努力ってすげーー!

(ただ1時間組んで足を崩そうとしても、痛すぎて全く動かせません。)

善業/悪業の区別ですが、これもやっぱりいろいろあります。
ただ根幹にあるのは、「ヨーガの真理を学ぶことを阻害するすべてが悪業」という考え方です。

そして真理を学ぶためには、この講座に来るしか手段はない。なのでどんなに忙しくても、他にやりたいことがあっても、「ヨーガの講座に来なければならないし」、「ヨーガの実践を積まなければならない」んです。

読書する、音楽を聴く、友達と遊ぶなど
「ヨーガの実践をする機会をなくす」ものはすべて悪業です。
外部情報はすべて、本来であれば遮断しなければならないのです。

小中学生ではピアノ、高校で吹奏楽部、大学でアカペラ、社会人でもアカペラをやってる自分としてはまず間違いなくこの「音楽が聴けない」状態が異常でした。そもそも音楽を聴くことが悪だと考えたことないので。

「それは無理です」とはっきり伝えると、
「そうですか。ではどうしても聴きたくなったらクラシックを聴くようにしてください
とまさかの回答が返ってきました。

クラシックには、ヨーガの音楽に似た波長があり、またクラシック音楽の作曲家は優秀な人が多いからどうしても音楽が聴きたくなったらクラシックにしてください。でも本当は聴かないことが一番修行になります、と。

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音楽の良い悪いってなに?

音楽をバカにしてるの?

優秀な作曲家が多いからってなに?
クラシック以外は優秀な人いないの?

チャイコフスキーの「1812」のあの大砲音はヨーガの音楽に似てるの?!
曲の最後にティンパニに頭突っ込んだときのあの音は美しいの!?(曲名わすれた)

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まあでも「情報を入れないこと」が大事ですもんね。
「ティンパニに頭を入れないこと」の方がもっと大事だと思うんだけどな。

そんなわけで、死ぬほど音楽が聴きたくなったら、クラシックを聴くようにしました。
そもそもクラシックに抵抗がなかったので、うわ〜嫌だ〜ということもないけど。

またありがたいことに、素晴らしい友人にも恵まれているので、ちょくちょくご飯のお誘いがあったりするんです。

が、それらはすべてお断りです。

「真理を実践をする時間を大切にしない自分に悪業を積む」のと、「真理の実践を続けている人を誘惑する行為で、誘ってきた相手にもとんでもない悪業を積んでしまう」からです。

本気で互いに幸せになりたい、なってもらいたいなら、今後誘いは断らなきゃだめですよ。
ちなみに私の先生は上記の理由にて、兄弟の結婚式に参列しなかったそうです。すごいです。

真理でそう言われてるのでそうするしかありません。

ここに関してはものすごく苦しんだエピソードがあります。

僕の友人で、大学時代からほんとに仲良くさせてもらってもはや「親友ってたぶんこういう人なんだろうな」と思える人と、お出かけする約束をしていました。

お出かけ前日もヨーガの講座が仕事終わりにあったわけですが、「じゃあ次の講座はいつにする?」と先生から質問が。
次の講座日を決めるのは、基本は講座に出たその日に決めるので、まあそれ自体は普通なんです。

明日は一日予定があるので、明後日でお願いしますと伝えたらひとこと、

「じゃあ明日にしましょう。空けられます?」

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※また登場! 汎用性たかい!

いやいや、空けられるわけないでしょ、予定は1ヶ月前から決まってたし、もうレンタカー予約してるし、朝から出発だし、いま22時だし。しかも会社の人とご飯とかじゃなくて親友ですよ。

「でもこのまま明日旅行に行くと、いいこと何もないよ?自分は勿論、相手にも悪業を積ませてしまうよ?それでもいいの?親友なんでしょ?」と。

(ドタキャンの方が問題ではありませんか?)

30分位悩んだし、口論しました。
しかし「真理ではそういうことでしょ?」で終わり、結果そのスケジュールをキャンセルし、講座にいくことにしたわけです。
真理ベースでいけば、たしかにそうなので。

この判断は、最終的に私がしました。

ただそこに感情が邪魔しに来るから、実践はつらいのだ、ということを実感しました。

ヨーガにとって、というか私にとってこの「人間関係にまつわるもの」こそが一番乗り越えなければならない壁だったんです。

まぁそういうレベルでヨーガに力を注いでいたので
私のスケジュール帳はこんな感じに。

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講座、講義って書いてあるのは全部それです。
4/3、「最終奥義」に見えなくもない。
コルギの話書きたいんだけどな。
明るい話題がいい〜。

※講座(講義)はあくまで【座学】のみです。
このあと話す【実践】はまた別の時間、そして毎日行うわけです。

ちなみに親友に、明日はどうしてもいけなくなったごめん、と真夜中にLINEを送ったら
「わかった!忙しいのに予定つけてくれててありがとね!また別の日にゆっくり行こう!」
と返ってきました。

そうか、君がブッダか。
こんな近くにいたとは…。

あと特筆すべきは、「正しい情報は真理の中でしか得られない」ということです。

別の言い方をすれば、「今まで取り入れてきた情報はすべて偽り。」「まずは自己をすべて否定しなさい、そして先生の発言を信じなさい」ということであります。
これがなかなかしんどい。

先述のとおり、この世のありとあらゆる情報は嘘で構成され、それらの情報を取り入れることは悪業を積む行為に他ならないわけ。

じゃあ真実の情報ってなに?
それはすべて「真理で説かれているもの」のみです。

【③ヨーガ講座の内容(実践編)】

・慈愛の瞑想
→通りすがる人すべてに対し、「真理に出会えますように」と心の中で本気で願います。通りすがる人すべてに、です。これは善業を蓄積する行為。
回数の問題ではないのですが、まあ初級者はまず回数をたくさんこなすことが大事らしい。
最初は5000回から始め、いまいち効果が分からなかったので、最終的には20000回くらいやってました。
これ一日あたりの話ですよ。

・カルマ落とし
→自分になにか嫌なことが降り掛かってきたら、それは「悪業が現象化した≒溜まっていた悪業(カルマ)が落ちたので幸せだ」と認識することです。
小指をぶつけた、お茶をこぼした、そんな些細なこともすべて「ああ、カルマが落ちた!やっぴー!」と超絶ポジティブに捉えるのです。ちなみにヨーガの達人になると、(仮に)車にハネられても『お、ラッキー!』って思えるようになるみたいです。自分が積んでいた大きなカルマが浄化される、と考えられるので。

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あいててー、で済めばいいけど


ちなみにこのカルマ落とし、現象化するものは必ず「かつて自分が誰かに行った行為がカルマとして返ってきている」んです。
痛みを伴うカルマ落としがあれば、今までに誰かを怪我させた、とか。そしてその過去の行為が大きければ大きいほど、現象化するカルマ落としはヒドイなものになります。
「因果応報」、過去に犯した過ちは必ずどこかのタイミングで返ってきます。


ちょっと脱線しますが、私個人としては
「幸と不幸は平等ではない」と考えています。

幸せのぶんだけ不幸があるのではなく、幸せだらけの人もいるかもしれないし、不幸だらけの人もいるかもしれない。
幸せをプラス、不幸をマイナスで考えるとして、それらの和はプラスかマイナスのどっちかに振れると 考えています。
でもヨーガではそこはプラマイゼロが基本です。

私とは相容れない…(言っちゃった)

・カルマヨーガ
→自分に起きた現象を見つめることがカルマ落としとすれば、カルマヨーガの実践は、「他者の行いを見て、我がふりを直すこと」がポイントになります。上司が部下をめちゃめちゃ説教しているのを見たら、「なぜ上司がこんなに説教しているのか」「なにかイヤなことがあったのか」「何度も同じミスを繰り返しているから部下を叱ったのか」など考えます。そしてその現場を見てしまった(≒現象化したことに気づいた)自分がいざ同じ状況になったときに、そういう行動をしないよう注意しなければならない、ということです。あとその現場を見てしまったということはカルマ落としと同様、「そういう行いをかつて自分もしたことがある」のです。

上記内容を含めた報告を、自分の先生に毎日することが日課でした。

瞑想20000回ってあっさり言ったけど、あれ達成するのに5時間くらいかかります。

【真理に出会えますように】。
この言葉を唱えるのに約1秒。
20000回だから20000秒。
5.5時間。単純計算でこれ。

基本一人につき1回の瞑想が望ましいので
人が多いところに行かなければなりません。
名古屋駅か栄のドンキ付近でめっちゃ頑張りました。毎日。自転車で行っていたので、終電とか関係なし。

先生+さらに上の先生+私のグループLINEで毎回報告していましたがもうそのグループを抜けてしまいましたので履歴はなく。
でも友人に以前スクショを送ったのを思い出したので、それをスクショして載せときます。

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コメントがストレートすぎる。
スヌーピーかわいい!!


でもこういうことを毎日やっていました。
供養、懺悔って項目もありますね。割愛。
あとチャクラ名やら戒律やらいろいろ書いてありますね。

戒律名とその意味は、ここに書いてあるのが一番ニュアンスが近いのでお時間あればご覧くださいまし。
まあここまで読んでくれている皆様は相当時間が有り余ってそうだがな(おい)

誤解を恐れずに言えば、このリンクに飛んだところの情報を得ても、それらはすべてフェイクです。
ヨーガ理論に言わせれば。

特に世の中の仏教を謳う寺院のやってることはすべて金のため私利私欲のため、だから本来の仏教の考えとは全く異なるものなので「仏教は形骸化している」「私達がやっていることが、本当の仏教に則っている」というのが私の入ったサークルの考え方なのです。

あ、あと思い出しましたが。
「外部からの情報を取り入れてはいけない」というのにはまた別の理由がありました。

ヨーガを体得すれば、アカシックレコードにアクセスできるので、世の中のすべての学問がすべて理解できる。むしろ他の情報を取り入れる必要がなくなる」とのことです。

アカシックレコードて、都市伝説でよく取り沙汰されるあれですね。
すべての叡智が詰まっているとされるやつ。

ちょっと何言ってるかわからない

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【④退会宣言】

講座+実践をほぼ毎日続け、あるとき先生から、
「上の教室行けるなら行きたい?」と言われました。
認められたんだなと嬉しく思う一方で、進む気はなかったので、いやその気はないです、と言うわけですよ。

まあ理由はいろいろありますけど、「仕事が忙しくなってきて、ヨーガにこれ以上時間を割いてる暇はない」「ヨーガで言ってることは当たり前のことばかり、それを知れただけでよかった」あとは「ヨーガの理論は正しいとは思うが、受け入れられない」という点です。

そしたら
「あなたの言う幸せになりたい、というのはその程度のことだったの?」「まだ真理の実践を始めたばかりで結果が出ないのは当たり前。スポーツとかでも同じでしょ?最初は苦しいのは仕方がない」
と言われちゃいました。てへぺろ。

幸せにはなりたいですが、今は目先のことでいっぱいいっぱいだし、なによりこのサークルはずっといちゃいけないなと感じる環境でした。

あのこれ、ひとつ話すっ飛ばしてるんですけど、バカでかい問題があるんです、このサークル。


さっきのLINEで登場した友人にとあるURLを教えてもらい、これまでの疑惑は確実なものになったんですが。

該当URLは載せませんが、「名古屋 ヨガサークル」でググると4、5番目にでてくるブログがそれです。そこに書いてあることの9割は事実でした。
あれ、このブログ私が書いた?ってくらいに。

この内容だけでまた記事が一つ書けてしまう。

結局、「今週末に一日かけて合宿みたいなことやるからまたその時考えようか」と言われ、この日はこれで終わり。

これまでの講座は一日3時間のものでしたが
合宿は10時〜17時の約7時間に渡るものでした。
某マンションにて座学のみではありますが、今回は別のサークルペアもいたので、先生×2、初級者×2の4人での講座でした。

蓮華座を誰が一番長く組めるかの勝負をしたり、つくったカレーを食べたり、まあこのあたり合宿ぽいですね。

そして最後1時間、この時間は非常に面倒な時間でした。
次の教室に進むか否かの話です。

かたっぽの初級者は、次の教室に行く気まんまんの男の子でしたので、この時間はほぼ私だけがターゲットになっていたわけです。

今サークルをやめることがどんなに愚かな行為なのかをひたすらに説かれるのです。

「理論としては正しいのかもしれない、でも受け入れられない。(あともういろいろヤバイし…)」

私としてはただこの感想に尽きちゃうのだけれど

「正しいとわかっていても受け入れられない、それが一番まずい状態。2×2=4という数式は間違いないことなのに、その答えが4ということ自体に疑問を持っていることと同じ。感情(真理を邪魔するもの≒マーラ)が邪魔して正しい判断ができないということは、今後のあなたの人生は絶対不幸になる。」

とずーっと言われてしまうわけ。
私はただ、「ごめんなさい、それでも無理なんです」と言うだけ。

こんなやり取りが1000回くらい続き…(盛った)

向こうも、その日に次の教室へすすむことを決意させるのを諦め、「またしばらく実践を続けたあとに状況を聞くから今はとにかく実践をがんばろう」と一声かけてくれその日は退出。危機一髪。
オベリスクの『ゴッドハンドクラッシャー』的な肉体への攻撃ではなく、初期の遊戯くんの如し、『罰★ゲーム!』的な精神攻撃がすごかったです。

なお上の教室へ行くと、今度はお金がかかります。余談。それにもいろいろ訳があるわけですが。

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そんな感じでもうそこからは講座は一旦ストップ。
一通り今の教室で学べることは学んだ(と先生が判断した)から。

そして私自身は辞める気しかなかったのですが、まあそんだけ言われるならもう一週間やってみるかと思い、また真理の実践を重ねるわけであります。

ただ真理に疑念を抱きながら続ける実践ほど意味のないものはないんですけどね。
もうこのあたりは正直、惰性です。

合宿から1週間経たないくらいで先生から連絡が入りました。

「会わせたい人がいる。toshiさんと気が合うと思うからもし良ければどう?」と。

また面白いことが始まりそうな気がする…。

(その湧き上がる好奇心、どないなっとんねん)

ぜひ会いたいですとお伝えし、約束の日になる。

その日の出会いが、その後の日々に多大な影響を与えることになろうとは。

第4編へ続く。

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