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全体主義の出現と中産階級の没落には関係があるとハイエクは説明した

オーストリア出身の経済学者、あるいは政治思想家として有名なフリードリヒ・ハイエク(1899~1992)は、著作『隷属への道(The Road to Serfdom)』(1944)で全体主義を生み出した政治過程について考察しています。

そこで注目されているのは、没落の危機に瀕した中産階級が目の前の問題を解決するため、政党を求める傾向にあるということでした。その傾向が全体主義を生み出す原動力になるとハイエクは論じています。

没落する中産階級は強い指導者の登場を望む

ハイエクは、全体主義(totalitarianism)を全体の利益を実現するため、個人の自由を制限する政治体制、あるいはそれを形成しようとする政治運動と考えていました。イタリアのムッソリーニが率いた国家ファシスト党、ヒトラーが率いたドイツの国家社会主義ドイツ労働者党は運動としての全体主義を推進した政党であり、また体制として全体主義を完成させた政党でもあります。

ハイエクはこのような政党の基盤が中産階級であることに注目しており、例えば事務員、学校教員、下級公務員、職能労働者のような職業構成が多いことを指摘しています(ハイエク、148頁)。一定の専門的な技能を持ち、あるいは学歴を持っているホワイトカラーであるため、産業労働者とは別の社会階級と見なされますが、当時のドイツはイタリアでは生活が厳しいケースが少なくありませんでした。

「彼らの多くは没落していく側の中産階級で、かつてよい暮らしを経験し、しばしばその時代の面影を残す住まいや家具などの環境に変わらず住み続けているだけに、この状況は苦痛に満ちたものであった」(同上、149頁)。

この層は政治的な利害にまとまりがない場合が多いのですが、しかし一つの明確な政治的な関心がありました。それは強い指導者、あるいは強い政党の出現を望むということであり、多種多様な集団の利害関係を討議し、調整する議会の存在意義に否定的だったことでした。

「こうして、人々の多くを魅了するようになったのは、「事を処理する」のに十分強力で断固とした指導者ないし政党が必要だという考えであった。ここでいう「強力」とは、単なる数字上の多数派を意味しない。そもそも国会の多数派が全く役立たないことこそ、人々が不満に思っていたのである。人々が求めていたのは、強固な支持を結集して、意図したことを何でも実現できてしまうような信頼のおける人物の出現であった」(177頁)

このような民衆の願いに答えるために出現したのが全体主義であり、その組織構造が軍隊のように階層的、規律的なものだったことが重要な意味を持っていると指摘しています(同上)。それは危機に直面した民衆が政治に求めるものであり、それを提供できる政党は選挙でも優位に立つことができたと説明されています。

全体主義政党は党員を統制し、政敵を攻撃する

ハイエクによれば、全体主義を目指す政党の典型的なアピールは自党が軍事的な規律を備えていることでした。つまり、党中央に対する絶対的な忠誠が党員には求められ、党内における思想や言論の自由も制限され、画一化されていました(同上、178頁)。

そのような政党の党員は同じような価値観を持つ人々で構成されるようになり、その結果として「低い道徳的・知性的水準を持った人々の集まり」になっていったとハイエクははっきり述べています(179頁)。

「言ってみれば、最大の人々を一致させられるのは一番低い分母である、ということである。つまり、ある人生観・価値観を他者に押しつけることができるほどに強力な、多人数のグループが必要とされるのであれば、それは決して、高度にバラエティに富んで洗練された趣味嗜好を持った人々から構成されるのではなく、悪い意味での「大衆」に属する人々、最も非独創的・非独立的で、自分たちの理想を数の力でごり押しすることも辞さないような人々によって構成されるだろう、ということである」(179-80頁)

さらに大衆的な基盤を形成する上で注意が払われたのは、「従順な、だまされやすい人々を根こそぎ支持者に抱き込むこと」だったともハイエクは指摘しています(180頁)。「物事をぼんやりと断片的にしか考えず、他人の考えに動かされやすい人々、あるいは、情熱や感情にたやすく駆られてしまう人々」が平党員として政党を構成し、その政党が中心となって全体主義が形成されていきます(同上)。

しかし、それだけでは十分ではありません。全体主義政党は求心力を保つため、外部に敵を置く必要があるためです。全体主義政党は建設的な政策を提案するようなことはしません。なぜなら、誰かを政敵と見なし、これを攻撃する方が、積極的に何らかの意見を形成するよりも、はるかに政治的に有利だからです。

「人々が、積極的な意義を持つ事柄よりも、敵を憎むとか自分たちより裕福な暮らしをしている人々を羨むとかいった、否定的な政治綱領のほうにはるかに容易に合意しやすいことは、人間性に関する一つの法則とさえ言えるように思われる」(180頁)

ここで中産階級から敵視されている富裕層が政治的な攻撃対象になりやすいともハイエクは述べています。これは一種のルサンチマンですが、そのような心理は誰にでも作用するものであるため、全体主義政党としては最大限に活用することができます。例えばソ連の全体主義では富農が敵視されましたが、ドイツではユダヤ人、財閥が敵視されることになったことをハイエクは次のように述べています。

「ドイツにおいて、「財閥」が敵として選ばれるようになるまでは、ユダヤ人が敵とされていたという事態は、ロシアにおいて「富農」が敵とされたのと同様、それらの運動すべてが、資本を持つ者に対する恨みに立脚するものであったことの結果である。(中略)ドイツにおいて反ユダヤ主義や反資本主義が、この商業活動への軽蔑という同じ根源から生まれてきたという事実は、現在までそこで何が起こってきたかを理解する上できわめて重要な点であり、残念ながら外国の観察者にはほとんど認識されていないことなのである」(181頁)

以上が典型的な全体主義政党のアプローチですが、ハイエクがここで描き出している政治過程はかなり一般化されており、イタリア、ドイツ、ソ連の例と厳密に合致する説明というわけではありません。

ただ、ハイエク自身もそのような議論を意図していたわけではありません。彼の目的は国が全体主義へと向かう典型的な政治過程を特定することにありました。既存の政治体制の枠組みで中産階級を救い出すことができなかったことが、全体主義を招いたというハイエクの議論は、平等や公正といった規範に政治体制を長期的に安定させる効果があることを示唆しているとも解釈できるので、現代の政治を考える上でも参考になると思います。

本稿では1992年版の『隷属への道』を参照、引用しましたが、2008年に『ハイエク全集』の一冊として出版されています。この著作に興味がある方はそちらを参考にしてみてください。現代政治思想の古典の一つです。


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