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2020年のヨハン・スクデ政治学賞受賞者カッツェンスタインの業績を紹介する

コーネル大学の教授ピーター・カッツェンスタイン(1945~現在)が2020年にヨハン・スクデ政治学賞を受賞したそうです。詳細は4月23日付のコーネル大学ウェブサイトで発表されています(Katzenstein wins 2020 Skytte Prize)。

あまり知られていないかもしれませんが、ヨハン・スクデ政治学賞は「政治学に対して最も価値ある貢献をしたと財団が認めた政治学者」に贈られる賞であり、これまでにもロバート・ダール(1915~2014)や、ロバート・パットナム(1940~現在)など世界的に有名な政治学者が受賞しています。

今回は、カッツェンスタインが政治学者として、どのような業績を残してきたのかを紹介してみたいと思います。

ヨーロッパ地域の研究から出発

カッツェンスタインは1945年2月17日に西ドイツのハンブルクで生まれました。スワースモア大学で学士号を、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで修士号を、ハーバード大学で博士号を取得しています。1973年からコーネル大学で教鞭をとっており、2008年から2009年まで歴史あるアメリカ政治学会(American Political Science Association, APSA)の会長を務めました。

比較政治学や国際政治学の分野で多くの著作を残していますが、その多くがドイツと関係しています。博士論文をもとにした最初の著作『切り離された友好国:1815年以降のオーストリアとドイツ(Disjoined Partners: Austria and Germany since 1815)』(1976)は、同じドイツ語の文化圏を共有してきたドイツとオーストリアの政治的統合がなかなか実現せず、またいったん統合されても持続することがなかった要因を考察した研究です。この研究でカッツェンスタインは文化・社会的な繋がりが深いとしても、必ずしも政治的統合が進むとは限らないとの説を提示しました。

その後、カッツェンスタインはヨーロッパ諸国の国際政治を軸にしながら、政治経済学の分野に研究領域を広げていきました。『コーポラティズムと変革:オーストリア、スイス、産業の政治(Corporatism and Change: Austria, Switzerland, and the Politics of Industry)』(1984)や、『世界市場における小国:ヨーロッパにおける産業政策(Small States in World Markets: Industrial Policy in Europe)』(1985)がその成果であり、いずれも産業政策の分析に取り組んでいます。

次の『西ドイツにおける政策と政治:半主権国家の成長(Policy and Politics in West Germany: the Growth of a Semisovereign State)』(1987)はそれまでとは異なる視点で書かれており、西ドイツの政治体制の特性を明らかにすることが目指されています。そのアプローチは政治経済学的というよりも、政治社会学的なものです。例えば、カッツェンスタインは西ドイツの政治制度は民主的であるものの、社会制度が集権的であるために、その影響は根強いものがあると判断し、(1)政党、(2)協調的な連邦(cooperative federalism)と(3)準公営の組織(para-public institutions)の3つが政策形成の要として特定しています。

日本、アメリカへと研究の幅を広げる

その後しばらくカッツェンスタインは単著を出していませんが、やがて新たな研究対象として日本に注目し、『文化と国防:戦後日本の警察と軍隊(Cultural Norms and National Security: Police and Military in Postwar Japan)』(1996)を出版しました。これは日本語、中国語にも翻訳されています。カッツェンスタインの主張をまとめると、日本の防衛に関する政策決定は社会の中に深く根差した平和主義の規範によって規制されているという議論です。法規範のレベルでも、社会規範のレベルでも、日本政府は実力行使に抑制的であることが指摘されています。これは国家の対外政策が軍事的な勢力関係や経済的な相互依存によって変化すると考える従来の説に挑むための新しい視点を提示するものでした。また、カッツェンスタインの研究の対象をヨーロッパから遠く離れた日本にまで広げた意味でも、これは重要な研究成果だったと言えるでしょう。

さらにカッツェンスタインの研究対象が広がったことを示す著作が『世界政治と地域主義:世界の上のアメリカ、ヨーロッパの中のドイツ、アジアの横の日本(A World of Regions: Asia and Europe in the American Imperium)』(2005)です。これも日本語の翻訳が出ています。米ソ冷戦が終わり、アメリカが覇権的地位を占めるようになったことを指摘するだけでなく、アメリカがグローバル化、国際化のプロセスを通じて、自国の影響力をさまざまな形態で行使できるような体制を形成していることを解明しようとしています。理論的にリアリズム、リベラリズム、コンストラクティビズムという国際政治学の異なる3つの枠組みを組み合わせながら議論を注意深く展開している点も注目されるところです。

近年では、カッツェンスタインも他の多くの政治学者と同じように、中国の急速な台頭に注目しています。『中国化と中国の台頭:東洋と西洋を超えた文明化の過程(Sinicization and the Rise of China: Civilizational Processes beyond East and West)』(2012)において提示されたカッツェンスタインの見解は、アメリカの政治学者サミュエル・ハンチントンが『文明の衝突(The Clash of Civilizations and the Remaking of World Order)』(1996)で示した世界観に多くの面で影響を受けているようであり、また中国の台頭が必ずしも新たな紛争の発生を引き起こさないとする「平和的台頭」仮説を擁護しています。2010年代であれば、この仮説にもかなり大きな議論の余地がありましたが、2020年代以降にこの仮説を擁護することは難しいかもしれません。

むすびにかえて

カッツェンスタインの研究業績を簡単に振り返りましたが、今回の受賞理由としては、歴史、文化、規範が経済だけでなく、国家の安全保障政策、そして世界の安全保障政策を形成していることへの理解を深めたことが挙げられているようです。

事実、カッツェンスタインの研究はどれも社会的・文化的要因に注意深い考察が加えられているため、そのことが理論的、数理的モデルに依拠する国際政治学の研究にはない成果をもたらしてきたことは、積極的に評価されるべきだと思います。

この記事をきっかけに、日本でより多くの人がヨハン・スクデ政治学賞の存在を知り、政治学に多少なりとも興味を持って頂ければ嬉しいです。

武内和人Twitterアカウント

参考文献・外部リンク

この記事で紹介した文献の書誌は以下の通りです。著者の名前は省略します。日本語の訳書は後に続けて記載しています。リンクは本文の方に設置しています。
Disjoined Partners: Austria and Germany since 1815 (Berkeley: University of California Press, 1976).
Small States in World Markets: Industrial Policy in Europe (Ithaca: Cornell University Press, 1985).
Corporatism and Change: Austria, Switzerland and the Politics of Industry (Ithaca: Cornell University Press, 1984).
Policy and Politics in West Germany: The Growth of a Semi-Sovereign State. (Philadelphia: Temple University Press, 1987).
Cultural Norms and National Security: Police and Military in Postwar Japan (Ithaca: Cornell University Press, 1996). 日本語訳( 有賀誠訳『文化と国防:戦後日本の警察と軍隊』日本経済評論社、2007年)
A World of Regions: Asia and Europe in the American Imperium (Ithaca, N.Y.: Cornell University Press, 2005). 日本語訳(光辻克馬、山影進訳『世界政治と地域主義:世界の上のアメリカ、ヨーロッパの中のドイツ、アジアの横の日本』書籍工房早山、2012年)
Sinicization and the Rise of China: Civilizational Processes beyond East and West (New York: Routledge, 2012).

ピーター・カッツェンスタインの個人ウェブサイトはこちらです。
Peter Katzenstein's website

ヨアン・スクデ政治学賞に関する詳細に関する情報はこちらで確認することができます。
Wikipedia「ヨハン・スクデ政治学賞」(日本語)
The Johan Skytte Prize公式HP(英語)


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