マガジンのカバー画像

歴史を学ぶ

187
歴史に関する記事をこちらにまとめています。
運営しているクリエイター

2022年3月の記事一覧

論文紹介 なぜ2014年にウクライナはクリミアを奪回しなかったのか?

2014年2月、ロシアはウクライナの領土だったクリミア半島に軍隊を送り込み、この地域を軍事占…

第一次世界大戦で化学兵器はどのように使用されたのか?

第一次世界大戦は化学兵器が初めて大規模かつ組織的に使用された戦争でした。その歴史について…

100

決戦ではなく持久戦によって敵と争う場合は消耗戦略が適している

19世紀から20世紀前半までは、決戦によって敵の軍隊を撃滅することが戦略にとって最も基本的な…

エリートを買収したヒトラーの金権政治『総統からの贈り物』の紹介

権力者が蓄えた富を使って仲間に忠誠を誓わせる手法は、政治の歴史において何ら目新しいもので…

1812年のナポレオンにモスクワ撤退を決意させた要因は何だったのか?

1812年6月24日、フランス皇帝ナポレオン一世が率いるフランス軍は、ネマン川を渡ってロシアに…

200

戦う決意を見くびられると、戦争のリスクが高まると論じた『戦争の起源と平和の維持』…

古代ギリシアの戦争史の研究で知られる歴史学者ドナルド・ケイガン(Donald Kagan)の『戦争の…

論文紹介 ロシアとウクライナの外交史を理解するには、リアリズムが使える

ロシアがウクライナに対して繰り返し圧力を加えてきたこと、そして2022年に武力攻撃に至った理由を説明するため、研究者はさまざまな理論を提案しています。その立場は大きく3通りに分かれているようです。一つ目の立場はウラジミール・プーチン大統領の思想、世界観、イデオロギーが対外政策に及ぼす影響を強調する立場であり、二つ目はロシアが非民主的な政治システムであることを強調する立場であり、三つ目はロシアの潜在的な攻撃を抑止できるだけの十分な防衛力がウクライナになかったことを強調する立場で

有料
200

独ソ戦を新たな研究成果で見直した『モスクワのための戦い』の紹介

1941年6月22日、ドイツがソ連に対する大規模な攻勢をとったことで、独ソ戦(1941~1945)が勃…