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それは「心地悪さ」を許容することなのかもしれない。多様性について思うこと。

平安伸銅にはヘイアンバリューというものがあります。
https://www.heianshindo.co.jp/about/corevalue/

業務をする上での行動指針となる大切な価値観を9つにまとめたものなのですが、その中でも、「自由闊達でいこう」「『違い』を大切にしよう」という言葉に表れているように、多様性は大切にしたいと思っている価値観です。

誰もが、自分の思う「私らしさ」を発揮できる社会であればと思っているし、つっぱり棒やラブリコ、ドローアラインといった可変性の高い、「私らしい暮らし」の実現をサポートできるようなアイテムで、そんな世界に貢献できればと思っています。

そして働くメンバー同士も「私らしく」自由で、その個性がかけ合わさることで新しい価値を生み出していきたい。

私たちは多数派の「当たり前」の中で暮らしている

私たちの社会は、多数派の「当たり前」で作られていて、多数派から外れた人の視点から見たら不自由なこともあるのではないかと思うのです。そして不自由とまではいかなくても、なんとなく不便さや違和感を感じているものを「当たり前」として許容してしまっているのではないかと。

たとえば、女性には個人差はあるものの、毎月体調や感情のゆらぎがあります。ただ、長らく「外で働くのは男性」とされてきた社会で確立された就業規則などのルールやオフィスの在り方はそういった女性のゆらぎがあることを前提に作られていないのではないでしょうか。女性が基本的なルールを確立していく立場だったら、「当たり前」のルールは全然違っていたのかもしれないと思います。(もちろん、その場合男性視点で足りない部分も出てくるのかもしれません)

Boomingという大阪府のベンチャー企業支援事業に採択されたかよこ。この時女性は私だけでした。

他にも、スニーカーにはほとんどの場合靴紐がついていて、なんとなくそれが「当たり前」と感じているけれど、何らかの事情で手先が自由に動かない人にとっては、靴紐を結ぶことは簡単ではなく、履きやすいスニーカーの選択肢はかなり狭まってしまう。

そんな風に、些細なことから根本的な社会構造まで、私たちは多数派の視点から「当たり前」「そういうものだから」となんとなく、それとして許容しているのではないでしょうか。もしかしたら、”必ずそうでないといけない理由”はないことの方が多いのでは?と思ったりしています。

どちらか、ではなく自由に選べる選択肢を

少数派を優先しようとか、対立構造にしたい訳ではなくて、私は、そこに選択肢があればいいなと思っています。

例えば、今夫婦別姓について議論されていますが、名前という大きなアイデンティティを変えるか変えないかはあくまでも当事者同士の問題で、それを自由に選べる「選択肢」が用意されていればなと思っています。
私個人も学生時代は「ささ」というニックネームで呼ばれていて、笹井という名字に自分らしさを感じていました。なので、結婚にあたって別姓という選択肢が無かったことは悲しいなと感じています。選択肢がない中でそれを声高に主張すると両家に関係がこじれてしまうのではないかという思いもあったので新しい名前を受け入れたのですが。

ランドセルの色は昔は女の子は赤、男の子は黒が「当たり前」だったけれど、好きな色を選択できるようになったように。「私はこうでありたい」「これは不自由だ」という思いを持った時、それを実現できる選択肢が柔軟に用意された世界であればいいなと思っています。
全ての靴から靴紐を無くすのではなく、靴紐のあるスニーカーと靴紐の無いスニーカーが同じくらいショーウィンドウに並ぶような世界が。


Boomingの修了式でベンチャー社長と戯れるかよこ。当時はあえてこういう服を着ていましたが、本当の私はギラギラもキラキラも苦手です。

大切なのは心地悪さを許容して、相手をリスペクトすること

ただ、そんな風にして選択肢が増えていくということは、裏を返せば自分にとって「当たり前」ではない、違和感のような、「心地悪い」と感じるも場面もたくさん出てくるのだと思います。夫婦別姓の話でも、同性が当たり前だと感じている人にとっては違和感を感じる話なのかもしれません。
何度も言うように、それが対立構造になったり、排他的になってはいけないと思っていて、それぞれが自分らしくあるためには、互いをリスペクトしながらその心地悪さがあることも理解して、許容していくことが必要なんじゃないかなと思っています。

誰もが、私は私と、互いに認め合いながら自分らしさを大切にできる社会であればいい。

ヘイアンバリューにもその願いを込めました。

「違いは強みです。異なる背景を持った人が集まることで、それぞれの特徴が掛け算となり、創造的なアイデアが生まれます。必ずしも「100%共感」はできなくても、異なる価値観を「理解」して、互いをリスペクトすることが平安伸銅らしさを生み出します。」

まずはわたしたちの会社から、そんな世界を作っていければと思います


直島でアートを楽しむかよこ。アートは違和感だらけ。

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