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あまりに腑に落ちすぎて、読み進めるのが辛かったヒルビリーの話1

トランプ現象を解読する書として有名な「ヒルビリーエレジー」を読み始めた。これはアメリカのラストベルトの話じゃない。私の生まれ故郷の話ではないか!と思えて、痛すぎて読み進めるのが辛かった。

周囲にドラッグ中毒者が溢れていたわけではない。フードスタンプで手に入れられるジャンクフードしか食べられない人もそんなには(というか、日本なので)いなかったと思う。ただ、私が通っていた小学校で、学問や教養を身につけることが将来の自分を支えてくれると知らされていた子どもなんて、ほぼいなかったと思う。頑張っていい大学に入って、世の中に貢献できる仕事がしたいなんて夢をみた子も、1000人も在籍していた中で数人だったろうし、そんな子は大抵変わり者扱いだった。

自宅に写真週刊誌や漫画雑誌以外の(漫画の単行本でさえ)置いてあった子どもも少数派で、そしてもれなく変人扱い。宿題以外のお勉強をする子は(ちなみに、宿題をするだけで優等生扱いで学級委員をやらされる)、ガリ勉と呼ばれた。それは蔑称である。地元の人が話すと言葉ではなく、書物の中に出てきた言葉(ちょっとした熟語に過ぎない)を使うと、なんか、使う言葉が難しいよね。変わってるよね。と評価される。

私は友達が少なかったし、家族も会話が多い方ではなくて、リアルより書物から得た単語が多かったので、人と話をするときはいつも緊張した。その単語をひらがなになおすとどう言えばいいやか考えたり、わざと文末を乱暴にしてみたり。

勉強ができることは価値ではなくて、モテるのは不良かスポーツができる子。女子も同様。もしかしたら、それは日本の多くの田舎で見られる共通の現象かもしれない。

都心から1時間程度の場所なので、いまもまめに帰省はするが、年々さびれていく、紛れもなく取り残された田舎である。それでも近所のおばさま方には「やっぱり田舎はいいでしょう? 東京みたいにゴミゴミしてなくて落ち着くわよね? いつ帰って家を継いであげるの?」と言われる。
ちなみに、そのおばさま方は東京に住んだこともないし、観光等で来たことも人生で数えるほどかと思う。東京はテレビ画面に映し出される渋谷のスクランブル交差点がほぼ全てだと思っている可能性さえある。

長くなりそうなので、続きはまた

#ヒルビリーエレジー #地方格差 #格差社会 #学歴格差  

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