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日本はもう超監視社会のディストピアかもしれない

こんにちはJagiです

あぁ、できれば生まれながらに善良な、いいひとに生まれたかったよ。ちなみに実家は金持ちではありません

人は生きていく過程で、誰しも大なり小なりイケナイことをしてしまう生き物だと思いっています(エッチな意味じゃないよ!)

もちろん自分が生きるために、生き物をいただくことのような摂理は悪いことではありません。私が今日お話しするレベルのイケナイことは、例えば、お弁当屋さんで無料の割りばしを、1個余分に持ち帰るようなレベルのことです

罪悪感というのは不思議で、悪いと思うために、知識や教養が必要で、それらが無いと、法的な拘束や、周辺の人間の怒りを感じたりしないと、そもそも悪いという感覚を持つことが出来ないのです

立場によっても変わります

子供は横断歩道では手を挙げたり、挨拶したりしないと怒られますが、大人は手を挙げてるほうが恥ずかしい感じです

このように罪とか悪というのはものすごい不安定で不確実なものでその時々によって、自分に与える影響が変わるものなのです

そんな罪とか悪とかの中で、比較的多数の人間が経験したことがあるであろう、今は誰の目にもとまらない、ちょっぴりイケナイことが、これから先どんどん許されなくなっていくと思います

これはやはり記録媒体が進化した監視社会の弊害で、最初は、バイトテロのようなものや、紅ショウガ直喰い男のようなわかりやすいアイコンを私刑に処していきますが、それらの流行が過ぎ去り、そのような愚行をする人がいなくなると、この罪のレベルを徐々に下げながら、快楽私刑の執行官が徘徊するようになります

自転車で歩道を走る人、歩きたばこする人、スーパーのカートを元の場所に戻さない人、ポケットティッシュ2個配る人、エレベーターの閉まるボタンを連打するひとなど、ある程度、他人の迷惑が見える化されてるものから、曖昧な物差しで測られた行き過ぎマナー違反のようなものまで、どんどんどんどん、大衆の裁判にかけられていきます

そんな今まで誰でもやっていたような、こういった小さい自分勝手な行動が、拡散し増幅され、私刑が執行され、あなたのアカウントにその結果が刻まれる

すべての嵐が過ぎ去るのを待つしか対抗する術はなく、「こんな些細なことで・・・」と、後悔してもデジタルタトゥーは消えないのです

今日はそんなディストピアになった世界をどのように生きていけばいいのかを考えて、未来の記事としてまとめてみましたので、ちょっとリアリティのあるフィクションとしてお楽しみください

超監視社会の解消、新技術M粒子の活用

AIの進化により、多くの労働が自動化され、人間は生活に必要な労働から解放されるようになりました。しかし、この技術的恩恵による自由が、予期せぬ副作用を生んでしまいました。

それは、世界から、共生の概念を薄れさせ、人々は自分勝手に振る舞うのが当たり前の超自由主義が世界を席巻するようになっていったのです

しかし、そんな世界中の流行の中で、日本だけは、その逆の超監視社会が形成され、市民は自分勝手な行動をする人々を町中で探し出し、記録し、ネット上で公開し、私刑を執行する文化が流行しました。

この日本だけの特異な状況は、人々を恐怖に陥れ
人々は街からその姿を消しました

この問題を解決するため、AI技術を活用した新たなアプローチが試みられました。その答えが「M粒子」の開発です。この革新的な技術は、M粒子を散布した空間内のあらゆる記録媒体の動作を不能にするというもので、この機能を利用し、市内に記録不可ゾーンを作りました

M粒子の導入は、初めての試みであり、その影響は計り知れないものでしたが、記録不可ゾーンが設定されると、人々は監視の目を恐れることなく外出できる場所として、記録不可ゾーンに集まり始めました

当初は、犯罪の横行も心配されましたが、セントラルの監視システムはM粒子の影響を受けず稼働したため、私刑目的の監視が消失し、人々の間に再び温かな交流が生まれたのです。

この変化は、街の活気を取り戻すきっかけとなり、社会全体に前向きな効果をもたらし人々は再び平穏な日々を手にしつつあります

しかし、記録媒体の制限には根強い反対も多く、最適な区分けの演算が現在も行われている状況です

いかがでしたでしょうか?

記録媒体の進化がもたらした弊害はたくさんあると思っています。

私はくっきりはっきりした世界より、曖昧さを許容する世界のほうが、生きやすく繫栄しやすいと考えていますし、世界はそうあってほしいと願っています(私的見解)

ではまた。


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