五十にして天命を知る

2024/1/10(水) note2回目

去年7月で五十歳になり、孔子の
「五十にして天命を知る」について考える。
というのは、この言葉を意識する前から何となく「自分は何をするために、何を為すために生きるのか」みたいなことを五十の誕生日以降考えることがちょくちょくあった。そして孔子の言葉を知る。
やっぱりそういうことに気付き、考え、意識するんだなと思った。
自分の天命。使命と考えてもいいかな、などと思い巡らせそして、思い至ったこと。
「名前」だ。
自分の名前。
私は自分の名前が好きだ。
そんなこと人に言うの恥ずかしいからあまり言ったことないが、音の響きも漢字も好き。そして名の通りになってるところも我ながら凄いな、なんて思ってる。親に感謝だな。
"健康な人になりますよう"という思いを込めて"健人(タケト)"
その名の通り大きな病気も怪我もなく、入院の経験もなく、仕事を始めて25年以上なるが病欠したことは一度もない。
"健康な人"を五十年達成したと思う。

これからは
"健康を与える人"
として生きていこう。
健康な人としての健人は達成した。
これからは「他者」に健康を与える人として健人を生きよう。
健人に与えられた天命は、他者に健康を与えることだと気付いた。
名の意味。タケトが背負うもの。
50歳からの人生、他者を健康にすることを天命として捉えて実践していきたいと思う。

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