強さと闘いを求める本能

息子がひたすら「僕の考えた強い武器」と「僕の考えたバトル」の話をしている。
ブロックをつなげて長い棒状のものを作って、カッコ良い(と彼が考える)ポーズをとる。仮面ライダーから引っ張ってきた名前に自分の考えた設定をつける。
お風呂に入れば、小さいソフビ人形同士で優勝決定戦をする。今日の準優勝はじゃがりこで、優勝はモルカーだった。尚、うちのじゃがりこは常勝である。子供がじゃがりこが好きなので。
虫が好きになったのも、テレビでヘラクレスオオカブト特集を見たのがきっかけだった。これもまさに世界一長いツノという武器を持つ甲虫同士のバトルだった。
うちの息子はわりと可愛らしい顔つきをしていると思うけど、中身は絵で描いたような男子だね、なんて話をしていた。

でも、振り返れば自分もあまり変わらない気がする。強さと戦いが好きだ。
最近は少年漫画やラノベを多めに読んでいるが、大体強さを鍛えて闘いに勝つ物語だ。
趣味の一つはランニングだが、完走を果たした後は「速さ」という数字で測れる強さを求めている。
仕事も、私個人も会社の組織も「利益」や「売上」といった指標を重視している。これだって強さの一種だ。競合やり高いシェアを狙うのは戦いの一種だろう。
もっと言えば、いま世界の悲劇の裏側にあるのも強さや闘いを求める本能かもしれない。これは安易な断言は避けるけど。

なぜ強さや闘いを求めるのかは、完全には言語化できない。
でも、その言葉に出来ない本能に色々なものが影響を受けているだろう。
息子を「男の子だなぁ」と思うのと同じぐらい、私も、世の中の大半の男子も、「男の子」なのだろう。ちょっとその単純さが悲しいくらい。

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