非日常感のないフルマラソン

今日、フルマラソンを走る。昨年11月に横浜マラソンを走ったのに続き、近年では二回目の大会だ。
前回の大会は、特別だった。一週間前から「今週末は大会に出る!」というモチベーションで過ごし、持ち物リストもしっかりと準備した。コロナ禍以降久々に会えた友人とは事前にやりとりをして、前日の天気予報にはやきもきさせられた。
今でも準備していた光景を漫画のコマのように思い返せるような特別さに溢れていた。
だが、今回は非日常感がない。自分でも拍子抜けするほど。

準備を怠った訳ではない。
練習はむしろ前回以上にしっかりした。30kmを1回、20kmを複数回走った。前よりスピードを意識して短い距離も走った。月間の走行距離自体は、身体が前より出来ている分少し長いはずだ。

ただ、すこし前に「別にこの大会に出なくても良いか」と思った瞬間はあった。
実は次の週末に引越を予定している。もともとマラソンの予定を先に入れていたが、仕事や貸主の希望の関係で3月末に入れる必要があった。
そして、最近、妻から「マラソン走って引越に影響出ないの?」という問いかけがあった。
確かに。ありえる。そう思った。
当然走ってから数日体はかなり重いし、怪我をして重い物を持てなくなったりすれば、引越作業にも差し支える。
その時感じたのは「別に、他の大会に振り替えてもいいか」だった。元々目標は年に1-2回フルマラソンが走れれば良い、だった。 5月末までの春のレース期にどこかの大会に出られれば、良い。この大会へのこだわりはない。

だが、その後少し長めのジョギングをしていて気が変わった。体は軽く、それなりのスピードで走れている。走り込んだ後で体力はあるけど、少し走る距離を短めにしていたので疲れは抜け始めている。
自然と身体が前に進む感覚。
夜風が頬に横切るのが気持ち良い。

最近、走るとき、自分の身体が何かの乗り物に騎乗しているように感じられる瞬間がある。身体の傾斜と、靴と脚の反発で自動的に前に進んでいく「生き物」。正しい姿勢とフォームを保てば、勝手に前に進んでいく。
それは自分自身だけど、自分と切り離された物でもある。どれだけ長く速く走れるかは、その「生き物」をどう鍛えてきたか次第。そこは自分の意思だけではどうにもならない。身体は自分自身のはずだけど、自分ではどうにもならない。その「生き物」を運転手として乗りこなす。そんな感覚。

その日、ジョギングをした時、その「生き物」はマラソンを走る準備ができていると思った。
だとしたら、「走らないのは勿体ない」。
そう思った。
妻とも話し、怪我には気をつける事を約束して今日の大会を迎えることになった。

今回の大会に非日常感がないのは、「慣れ」のせいだろう。
前回は10年弱ぶりの大会で、「走り切れるのか?」という不安と興奮があった。だが、今回は42.195kmを走りきることは新しいチャレンジではない。そこに新しい領域に踏み込む高揚感はない。
だが一方で、マラソンを走るという行為を、自分の一部にできていることへの静かな満足感はある。元々体力と健康維持が目的だ。むしろ、この習慣をいつまで続け、何歳まで今と同じようなエネルギーで日々を過ごせるかの方が本当にやりたい挑戦だ。
その意味では、マラソンは日常で良い。むしろ、日常にしていきたい。

突き詰めていくとすると、走りながら見つけた感覚を掘り下げていくのを楽しむものなのかもしれない。
道具やフォーム、練習で身体という「生き物」は確かに変わる。その感覚は、面白い。

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