所有とは、「自分が選んだ」という感覚

 引っ越してちょうど1週間。少し驚くほど早く「自分の家なのだな」という実感が生まれ始めている。すでに着慣れた服のように、家が体に馴染んでいる感覚がある。
 たとえば、仕事の関係でホテルに1週間程度滞在した経験はある。でも、その時には、今のような感覚はない。ホテルはホテルで、自分の家ではない。でも、「一週間だけ滞在した場所」という意味では同じだ。
 なぜ、こういう違いが出るのだろう?


 一番大きいのは、自分で選んで、作っている、という感覚なのだと思う。
 引っ越した翌日は段ボールが山積みされていた。その瞬間は、自分の家という感覚は全くわかなかった。その段ボールの山を崩し、そこから出てきた自分の物を整理し、自分の意図した所へ置いていく。そのプロセスで、購入した当初は「他人の家」だったものが「自分のモノ」という風に感じられるようになる。
 自分の馴染みがあるものを置いたから、というだけではないと思う。今回、家具もかなり買い替えた。それはある意味ホテルの家具と同じく、「馴染みのない自分の温度を感じられない新しいもの」だ。だが、それはここ三か月ぐらいかけて妻と自分とで選んだ物たちだ。それが理由なのか、驚くほど早く「自分の物」として感じられるようになっている。

 家族の中で、唯一、家にあまり馴染んでなさそうな人がいる。
 息子だ。
 家を移ってから、あまり食欲が振るわない。ご飯を残す量が増えて、これまでなかったような甘え方をしたりもしている。

 食欲については、あまりにいつもと違うのでいろいろ話した所、「椅子を前の家の物に戻してほしい」ということをリクエストされた。そして実際、その椅子を変えたところ、多少ながら食欲が戻った感覚がある。
 椅子を戻した時は、「椅子から降りやすい」と少し喜んでいた。確かに、もともとの椅子は2歳の時から使い続けているもので、子供が足を置ける足場があったりと幼児用に作られている。新しい椅子は大人用だ。ただ、レストランに行った時などは、普通の椅子でもまったく問題なく使えている。その意味では、やっぱり慣れという要素が多いように見える。

 場所が変わる、ということは息子にとってある種のストレスなんだ、と改めて気が付いた瞬間だった。


 自分で選んだ家に、自分の持ってきたあるいは買った物を、自分の置きたいように置く。そのプロセス全てが、所有している感覚を生んでいるのだと思う。
 その意味では、息子だけがほとんどのものを「選んで」いない。だから、慣れるのに少し時間がかかっているのかと思う。

 少し彼に何かを選ばせても良いのかもしれない、と書いていて思った。
 今度、一緒に育てる植物でも選びにいこうか。

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