還暦前の気付き ⑤ 清濁を併せ吞む

「還暦前の気付き」シリーズも、いよいよ第五回の最終回です。

既に還暦を迎えられた読者の中には、前回までで「ちょっと違うんじゃないかな?」って視点がございましたでしょうか?

又、還暦なんかまだまだ先の若者からは、「全然、ピンとこないんだけど・・・」との思いもあったのではないでしょうか?

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さて、今回の最終テーマは、『清濁併吞』(清濁併せ呑む)です。

普通(特に若い頃)なら、なるべくなら『濁っている水』は避けてしまうのは極めて自然なことです。しかし、実社会では、海の様に『清い水』と一緒に「濁っている水」までも受け入れる寛容さ・大らかさ(度量/器が大きい)を兼ね備えた方が、特にリーダーとしては大成すると中国前漢時代の歴史書「史記」に記されてます。

つまり、海の様に懐が深く、理解が広くなるために努力するのも、生物の生存の為にも人間の渡世の術としても重要な1つかと・・・。

敢えて、ここでは、文字通り「濁っている水」を呑む事の必要性に注目してみたいと思います。若い頃は、道徳的に汚い事は絶対にしてはいけないと教えられ、そう固く信じておりました。「決して嘘はついてはならぬ、嘘は泥棒のはじまりだ」も然りです。でも、人生でいろいろな経験を積む過程で、「嘘も方便」や、ものごと(大きな善行)をスムーズに運ぶ為には、小さな非行は許される場合があるという事を目の当たりにして参りました。

「方便」の語源である「ウパーヤ(upaya)」(サンスクリット語)は、「(目的に)近づく」という意味で、あとから漢字を当てたものだそうです。解脱(悟り)のために必要な智慧「=般若(はんにゃ)」を体得する手段として「方便」は欠かすことができないものとして位置付けれているそうです。また、仏が伝えようとする心理は形がないもの(無相)なのですが、それを人間が理解しやすくする為に、言語や絵画、仏像など目にみえる形(有相)にしたものが必要であった事から、真実でないが真実に近い「方便」が必要との「有相方便」が語源との説もあるそうです。

日本の鎌倉中期の説話集の「古今著聞集」にも似た意味の「人と屏風は直ぐには立たず」と言う諺があります。人の生き方も、理性ばかりに頼って、「正しい」と思う事を一途に強く執着すると立っておれなくなるもの、つまり、正直一本やりで過ごしていくと、人間関係は円滑にいかないばかりか、いろいろと障害をおこしてしまう喩です。

では、「正しい」あるいは「清い」とは一体なんでしょうか?これが曲者で、時間軸や視点次第で変わってきてしまうのです。そして、今まさに直面しているコロナ禍に人類はそれを思い知らされている様な気がします。コロナ以前は、面と向かって話すのが信用を勝ち得るベストな方法で、オンラインなんてとんでもないと幅広く信じられていましたが、この数カ月間で感染リスクを考えると正反対に・・・。視点も、人間の命を重視してロックダウンを持続するか、経済の命を重視してロックダウンを解除するかで正反対の「正論」となります。ましてや、現代社会の日進月歩の技術進歩のおかげで、昨日まで不可能と思われていたことが、どんどん今日から可能になってきております・・・。

つまり、朝、「正しい」と思って出した結論が、暮れには、真逆になる事、「朝令暮改」は、現在そしてこれからの未来では、「大いにあり」な時代なのです・・・。「正しい」と思って出した決断が将来「間違い」になってしまうのとは逆に、時代の変化を見越して決断を出した段階ではまだ「間違い」なのに、将来「正しい」となるであろう決断を敢えてするリーダーもいるでしょう。業務に不満を覚えて居た新入社員が成長した頃になって、やっと上司はあの様な言動を何故とっていたのか判り感謝する日がくる等・・・。ひと昔前の例では、戦争当時、世間では許されないにもかかわらず生徒に「徴兵制度をなんとか回避しろ」と強く勧めた先生の気持ちが、時代と共に、特に自分が親になって解ってきたり・・・。(また、反面教師からの気付きもあり得ます。)

結局、「正解」と言うものは、その時代の社会・文化の状況や個人の精神の成熟度などによっても大いに変わってしまうのです。よって、例え「回り道」の進路と思われ、周りから非難を浴びようとも、自分自身で熟考し、それらを中長期的な成長のプロセスとして、敢えて受け入れてみるのもありではないでしょうか?

ちょっと話があちらこちらに逸れてしまいましたが、その時は良かれと信じて清い水ばかりを呑んでいないで、自らの将来の飛躍を目指して、敢えて勇気のいる異質の濁った水も体内に流し込み自分の血となり骨肉としてしまう原体験こそがリベラルアーツ教育の目指すところなのでしょう。ウィズ/アフターコロナは、ますます課題だらけの世界で、現実を見て本質的に前進する際の苦渋の選択が必要不可欠になってきます。そのため、自らの人生のリーダーとして、例え『濁った』選択をして、その時「間違った」と思っても、それを糧として、将来かえってそれが『清い』道への「正しい」選択だったと思い、挑戦し続けられることが人生を「幸せ」と感じられるかどうかの分かれ目なのだろうと、60年近く生きた還暦前に気が付いた事なのです。

追記(重要):実に嬉しい事に、全力投球した5/14の人生初のオンライン講演会のアンコール依頼を頂きました。(日時は7/16(木) 8pm~で、詳細は下記httpを御参照)トーン/切り口は多少変えますが、原則、先月とほぼ同じ内容の予定です。しかし、前回は生憎、日程が合わなかった方やそもそも御存知でなかった方、早口過ぎたので、もう一度じっくり聴きたい方、そして特に、是非とも聴かせたい友人・知人がいらっしゃる方々は大歓迎です!!

(https://peatix.com/event/1529669)

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