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ホスト志望の少年に、人生で15分だけ邂逅した話

二度と会うことは無いだろうけれど、生き別れの孫のようにたまに思い出す人が居る。

震災が起きる前だったから、7〜8年前くらい。
東京でいくつかの展示を見て、高速バスで地元に帰ってきたところだった。早朝6時前。辺りはまだ暗かった。

狭苦しい車内でひと晩中寝付けず、私はひどく疲れていた。

バスを降りると、雨上がりの湿った空気が立ち込めていて、春先の風が冷たかった。
誘蛾灯にふらふら引き寄せられる虫のような気持ちでコンビニに寄り、暖かいお茶とおにぎりを買う。

私のスプリングコートの中は、夜行バス用のゆるい服装で、ほぼパジャマだった。顔もクレンジシートで拭き去った完全なすっぴん。できれば誰にも見られたくない格好だった。

家族に電話して、迎えを待つまでの時間、駅のベンチに腰かけて、ぼんやりとおにぎりを食べていた。そのとき。

「お姉さん、この辺に、靴屋ってあります?」

突然知らない人に声をかけられて、ぎょっと顔を上げた。若い男の子だった。ぎりぎり成人していないかもしれない。

服装は黒づくめで、じゃらじゃらしたチェーンと、攻撃的な意匠が全身をくるんでいた。

髪の毛は四方にとげとげに立っており、いつかプレイしたファイナルファンタジーのキャラクターを思い出した。メンズナックルの派手なコピーが頭をかすめる。

内向的な自分が普通に暮らしていたら、まず、会話をする機会もなさそうな人だ。あたりには私たち以外に人がおらず、無視することもできなかった。

「ABCマートなら、アーケードの中にありますけど…」

なるべく、事務的に返す。ガチガチに警戒していた。

答えながら、私は、おにぎりを食べる手を止めず「取り込み中感」を全身でかもし出すことを頑張っていた。できれば早目に立ち去ってほしかった。

「えっと。エービー、なんとかって、お兄系の靴とかあります?」

この人はABCマートを知らない。ていうか、お兄系って何だろう。変換がこれで合ってるのかも謎だ。となりに腰をかけて話を続けるので困惑した。迎えが早く来てほしかった。

でも、彼の身長が私とほとんど変わらなかったことと、10個は年下と思われる年齢、強そうな服装に似合わず、まんまるのほっぺたがあまりにあどけないこと、山形方面のイントネーションが牧歌的で、警戒心が少しだけゆるまった。最悪、すぐそばに交番もあった。

「お兄系…?すみません、分からないけど、多分無いと思います。」

「えー!まじすか。靴さどこで買ったらいいんだろ…。いや、俺きのう山形から出てきたばっかりでえ!」

そこから、彼は自分の話をぺらぺらと語った。

春から仙台の専門学校に通いはじめること。彼女と一緒に暮らすこと。大好きな彼女のために自分がたくさんバイトして、何の苦労もさせたくないこと。

昨日の夜、仙台に着いてうれしくてひと晩中歩いていたこと。定禅寺通りのけやきの数を途中まで数えてたけど、十字路のところで数が分からなくなったこと。お酒はまだ飲んだことが無いこと。家は米農家で、ブランド米のつや姫を作っていること。

これから始まる新生活への期待が、ほっぺたにぱんぱんにつまったリスのようで、なんだか微笑ましかった。私の単調な相槌を物ともせず、彼は嬉しげに話を膨らませる。

「明日バイトの面接なんすよ。うわ超緊張して来たやべえ。」

「バイトって、何するんですか?」

「ホストっす」

「なるほど…」

彼は、めちゃくちゃ頑張って、めちゃくちゃ稼ぐ。俺、向いてると思うんす。と、期待を込めて語るけれど、専門学校には、課題が多い。どう考えてもホストと兼業は難しい。半年経つまでに、クラスメイトが少しずつ減っていったことを思い出す。でもさっき会ったばかりの人間がアドバイスするのもおこがましいので、それ以上は何も言わなかった。

「ていうかお姉さん、めちゃめちゃ食うじゃないすか、おにぎり。それいいなあ。」

羨ましそうに私の鶏五目を見るので、なんとなくバツが悪くなり、コンビニ袋から手をつけていない、わかめおにぎりを出して渡した。

渡すなり、彼はぺりぺりビニールをはがして即、食べはじめた。嬉しそうにかぶりつく姿を見て、ほとんど反射的に、自動販売機方面へ立ち上がりかけた。

すぐに、初対面のよく知らない人のために、どうして私は飲み物を買おうとしてるんだろうと思い、座り直した。夜通し歩いていたという子に、出来たら暖かいお茶を買ってあげたかった。田舎のおばあちゃんみたいな、変な気持ちだった。

「お姉さん、ここ、何か汚れついてますよ。」
と心配するように、私の顔を指した。それは、汚れじゃなくって顔面のシミだ。手を伸ばして拭おうとさえするので、ふるまいの幼さに笑ってしまいそうになりながら、顔を避けた。従兄弟が幼児の頃を思い出していた。

すぐに私の迎えの家族が来て、別れた。正味15分の出来事だ。警戒していたようなことは何もなく、朝方心細くなって誰かと話したくなっただけみたいだった。電車代はあるのか、一瞬だけ聞こうとして、酷いみくびりだと思ってやめた。彼は別に困っていなかった。

あんまり大きく手をふるから「あのひとは何」と家族に聞かれて気まずかった。知らない人だよ。

正直なところ、警戒心なく他人の渡した食べ物をパクパク食べちゃうところも、他人の顔をてらいなく指さすところも、あんまりホストには向いてないと思うよ。

でもあの後、来たばっかりの街で大きな地震が来て、どんなに怖かっただろうと心配してしまうくらいには愛嬌がある人だった。丸いほっぺたが悲しく削げていないといいんだけど。靴は買えたのかな。

丸顔の未成年も、今はもうきっと完全に社会人だ。何をしていてもいいから、おいしいお米をたくさん食べて、元気に暮らしているといいな。この先会うことも無いひとだけれど。

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