夏を閉じたら、シチューを作ろう。
夏がゆっくりとすぼまっていく。
ひつじ雲をたっぷり睨んだ期間をくぐり抜け、軽い長そでが解禁されたら、いそいそとシチューをつくります。
シチューはいい。作るのも楽しければ、食べるときもうれしい。少しでも涼しくなったら「自分、シチュー、いいすか」と腕まくりしてしまう。
とろとろでぽってりした、白い液体をかき混ぜてるときの「今、料理をしている!」という気持ちがたのしい。自分が、料理カテゴリーのフリーイラストになったような気持ちになる。
気が向けば、小麦粉をバターで炒めるところからスタートすることもあるけれど、私はとにかくシチューの素をぱきっと割ることが好きだ。
心の中の「ねるねるねるね欲」のようなものが満たされる。
鍋の中で白いかたまりが、のっぺりと溶けていき、鍋の中が白くぬりつぶされるときの魔女気分。じゃがいもを破壊しないように鍋をかき混ぜるときの、ねこに向けるような優しい気持ち。
ぼーっとしながら作っても、そうそう失敗はしない簡単さで、料理をつくる気持ちをたっぷり味わえるから、シチューをつくるのが好きだ。
いざ、食べるときはいつだって、小さい頃に読んだ絵本の中で湯気をたてるあらゆる「スープ」が頭をかすめていく。
絵本の中のスープ状のものは、たいてい白っぽくて、そのせいかシチューには、物語の中から飛び出てきた食べ物という印象がずっとある。
はらぺこの動物が親切なひとにやっとわけてもらった、あつあつの一杯のスープや、鍋から溢れるほど作られた、大量のおかゆ。
どれもとろとろで、たっぷりとしていて、温かそう。たちどころに元気が出そうで、本当においしそう。
ふうふう口に運んで、じゅうぶんに柔らかくなった人参や、溶けかけたじゃがいもを頬張るとき、絵本の中で食べ物にやっとありつけた、野良熊の気持ちになっている。(命の恩人)とおもいながら食べてしまう。
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ちなみに、「シチューと一緒に出すおかず」に長年悩んでいたのですが、最近「厚揚げの、そぼろあんかけ」に落ち着きました。
厚揚げをグリルでぱりっと焼いたところに、甘辛く味つけた豚肉のそぼろを片栗粉でとろみをつけて、たっぷり載せたもの。ほどよくおかずにもなって、重すぎないからシチューをたっぷり食べられておすすめです。
肉たっぷりな気分じゃないときは、ねぎとしょうがと大根おろしをたっぷりのせて、ポン酢で味付けしたもの。かりかりの厚揚げが、しゅわっと汁気で大人しくなったところを、急いで食べます。