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【東大文一】田本英輔さんの合格体験記「北海道の公立高校から現役で。高校から初めて塾に行きました」

東京大学出身者を紹介する東大合格noteの第2回。今回は、金融関係のビジネスマンとしてバリバリ働きながら、麻雀プロ団体にも所属している田本英輔さんにお話を伺った。
田本さんは北海道帯広市出身の26歳。地方の優秀な高校生がどのように東大を目指し、文Ⅰ現役合格に至ったのか、その軌跡をたどってみよう。

第1回はこちら


テレビっ子で
アナウンサーに憧れた

 田本さんが東京の大学に行きたいと思ったのは、アナウンサーになってテレビに出たかったからだという。

「子供のころからテレビっ子で、テレビばかり見ていました。家もずっとテレビが付いている家庭で、それが当たり前でした。ワンクールのドラマを並行して10本見ていたこともあります。漫画とかアニメとかじゃなくて、ドラマやバラエティやニュース番組が好きでした。
 僕は物心ついた時からベネッセの『しまじろう』で勉強する癖がついていて、小学生の時はスイミングを一生懸命やっていたので、学校が終わってからばたばたするのが嫌で、朝に集中して勉強する癖が子供の時からついていました。6時30分ごろに起きて7時15分くらいから8時まで勉強してから学校に行く生活でした。
 最近、よしとされている『リビングルーム勉強法』がありますけど、それが当たり前でしたね。家族がいる空間でいっしょにテレビを見ながら勉強していました。
 もちろん朝の番組も見るんですけど、『ズームイン』とかを見てアナウンサーになりたいなあ、という気持ちを持ちました。アナウンサーになるんだったら東京に行かないとなれないだろうな、と思っていたのでなんとなく東京の大学に行きたいというあこがれは持っていましたね。
 両親は厳格で、3歳で補助輪なしの自転車に乗れるようになりましたし、地元ではみんながやるスケートも、子供のときに泣きながら練習してました。お行儀良くしなさいというしつけは厳しかったけど、勉強についてはあまり何も言わなかったと思います」

放課後、友人と塾に行くのが
とても楽しかった

 小学校・中学校では当然のように成績は常にトップ。特に塾に通う必要もなく高校に入学したが、そこで軽い疎外感を覚えた。

「高校生になった時、出身中学校のコミュニティとは別に、塾のコミュニティがあって、塾に行ったことのない僕はどこにも属すことができなくてちょっとショックを受けたんです。だから『塾に入りたい』と思いました。
帯広柏葉高校は進学校ですけど、どちらかというと北海道大学を目指している人が多くて、東大は1年に1人か2人入るかどうかという程度でした。
 でも僕はもともと東京の大学に行くつもりだったので、東進衛星予備校に入って、林修先生とか有名な講師の講義をビデオで見て勉強するようになりました。特待生の枠だったので授業料はかなり安かったと思います。といっても、そもそも塾の数が少ないので、あまり選択肢はなくて、東京の大学を目指すなら東進に入るしかないという環境でした」

高校でも卓球を続けていた田本さん。部活から塾へ行く生活はとても楽しかったようだ。

学校が終わってから友達と5人くらいで塾へ行って、それぞれ進路に合わせた授業を受けて、だいたい同じくらいの時間に終わってまた集まってコンビニとかで買ったご飯を食べて帰るという生活でしたね。その時間がすごく楽しかったです。地元に残った人も東京に出た人もいますけど、今でも仲良くしていますよ。
学校は自宅から5キロくらい離れたところで、20分ほど自転車をこいで通っていました。冬は雪が降るからバスか、親に自動車で送ってもらってました」

高校での成績は280人中、いつも1位から5位くらい。具体的に東大を目指し始めたのは高1の秋だった。

初めての東大模試で数学2点
泣きながら勉強した

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