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怪奇事件を占いで読み解く「幽木武彦の算命学で怪を斬る!」~連合赤軍・永田洋子と同士リンチ殺人事件【後編】

算命学とは、古代中国で生まれ、王家秘伝の軍略として伝承されてきた占術。恐ろしいほどの的中率をもつその占いは、生年月日から導く命式で霊感の有無、時には寿命までわかってしまうという。

本企画は、算命学の占い師・幽木武彦が怪奇な事件・事象・人物を宿命という観点から読み解いていこうという試みである。

今回扱うのは、昭和という時代を揺るがした大事件、1972年連合赤軍の同士リンチ殺人事件とその中心人物、女帝=永田洋子。彼女の持って生まれた宿命をつまびらかにした前編に引き続き、後編は運命の1972年の運勢を紐解いていく。前半を未読の方は、まずこちらよりご覧ください。

総括せよ!1972年、連合赤軍の狂気 永田洋子と同士リンチ殺人事件【後編】




 ということで、連合赤軍ナンバー2と言われた女性革命戦士、永田洋子にフォーカスする後編。

 前回は、連合赤軍とはなんぞやから始まり、時代にその名を刻む若者たちの極左革命集団が誕生するにいたった時代背景と、彼らが起こした事件の一部、その女帝として組織に君臨した永田洋子とはいったいどういう宿命を持つ女性だったのかといったことをかけ足で追ってみた。

 つづく今回は、そんな永田に襲いかかった運命の年――1972年の彼女の運勢について見てみたい。
 1971年に結成された連合赤軍が、迫りくる警察権力の手によって大きく揺さぶられ「山岳ベース事件」「あさま山荘事件」と呼ばれるような事件を引き起こして崩壊するにいたった1972年とは、女闘士・永田にとっていったいどういう年だったのだろう。

1972年の永田洋子

永田命式

 いつも説明することだが、これが生年月日を干支に直した「命式(宿命6干支)」なるもの。右から年干支、月干支、日干支で、永田洋子自身は狭義では日干「戊」となる。

 今回の話は、日干が「戊」で日支が「申」「子」「辰」のいずれかだという人は、人ごとではない可能性もある。
 すでに自分の命式をご存じで、日干支が「戊申」「戊子」「戊辰」のどれかというかたは、心してお読みいただきたい
 また、自分の命式を知らないというかたは、ネット上にある無料の算命学アプリ(できれば10年ごとに変化する「大運」まで分かるもの)をお使いになり、ご自分の命式を確認していただければ幸いである。

★参考サイト

 話をつづけよう。

 その年の運勢を見るときは、命式の宿命6干支に加え、10年に一度変わる「大運干支」(人によって違う)、その年の「年運干支」(万人共通)を加えた「五柱法」で見る。

 1972年の永田(27歳)の場合はこうだ。

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 いわゆる「9歳運」の永田は、9歳、19歳、29歳と、9歳を起点にして大運が変わっていく。
 そして、19歳のときから始まっていた第2旬の大運干支は「庚辰」。それに、その年の年運干支「壬子」が加わる。

 算命学で考察する干支の世界(どの干支も、裏に「五行=木火土金水」のいずれかを持っている)には、いろいろとルールがある。
 そのひとつが、ある十干とある十干、あるいは、ある十二支とある十二支がくっつくと、別のものに変化する(こともある)という決まりごとである。

 たとえば。

 十干で言うなら、永田の日干である「戊」は五行で言うと土性の干だ。
 だが、この「戊」が水性の「癸」とくっつくと「戊」は火性の「丙」に、「癸」もまた火性の「丁」に変わる。

 これを「干合」と言う。

 また十二支ならば、たとえば水性の「子」と土性の「丑」がくっつくと、本来は土性なはずの「丑」も水性に変わったりする。

 これは「支合」と呼ばれる。

 こうした理屈を理解していただかないと、今回の永田の運勢はよく分からなくなってしまう。ぜひ「ほう、そんなものかい」となんとなく理解の上、先にお進みいただきたい。

 そんな「干合」「支合」のほかに、似たようなもので「三合会局」というものがある。
 これは全部で4つあり――

①三合木局

「亥」(水)
「卯」(木)
「未」(土)

 この3つの十二支がくっつくと、すべて木性に変わる。
 また、この内2つがそろうものを「半会」と呼ぶ(以下同)。

②三合火局

「寅」(木)
「午」(火)
「戌」(土)

 3つがくっつくとすべて火性に変わる(三合火局)。

③三合金局

「巳」(火)
「酉」(金)
「丑」(土)

 3つがくっつくとすべて金性に変わる。

④三合水局

「申」(金)
「子」(水)
「辰」(土)

 3つがくっつくとすべて水性に変わる。

 この4つである。
 このことを前提にして、もう一度、永田洋子の1972年の運勢を見てほしい。

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 日支「申」、大運支「辰」、年運支「子」が、上で説明した三合会局のひとつ「三合水局」の組みあわせになっている。
 この3つはくっつくと、すべて水性に変わるのだった。

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 すると、どうなるか――。

 上でも言ったとおり、狭義で言うと永田自身は日干「戊」。つまり「山」である。
 ちなみに各十干が意味するものは、だいたいこんなイメージだ。

・甲 樹木
・乙 草花
・丙 太陽
・丁 たいまつ、ろうそく
・戊 山岳
・己 平野、田園
・庚 鋼鉄、戦うための刀
・辛 宝石、飾って愛でる刀
・壬 大海
・癸 雨

 つまり1972年の永田洋子は、自分自身である「山」の下に「申」「子」「辰」がそろったことで一気にすべてが水に変わり、言うなれば大洪水が発生している。

 山の足もとがグラグラし、大洪水が起きる――土砂くずれである。
 どっしりとかまえ、動かないはずの山に洪水が発生して土砂くずれが起き、思いがけず運勢に荒々しい変化が訪れて運命が一変する可能性が示唆されていたのである。

 こういう状態を「脚下崩壊」という。
 連合赤軍が崩壊のときを迎える1972年、その指導者の一人である永田洋子には「脚下崩壊=土砂くずれ」という激しい運勢変転の暗示が出ていたのだ。

 これは単なる偶然だろうか。
 まあ、そうかもしれない。だが偶然だとしても、ちょっと不気味である。

 いずれにしても、日干支が「戊申」「戊子」「戊辰」のいずれかだというかた。
 宿命のほかの部分(年支、月支)、大運、年運も含め、もしも三合水局が発生したら、そのときはくれぐれもご注意願いたい。
 大運との間に発生したら10年間、年運との間に発生したらその1年間は、慎重に進むべきときである。
 奇しくも算命学の暗示のとおりとなった永田洋子の運勢は、私たちにそんなことも教えてくれている。

獄死にいたるまでの永田

 日本中の人々をTVの前にくぎづけにさせた「あさま山荘事件」が発生したのは、1972年2月19日。
 だが連合赤軍をひきいる二人の最高幹部、森恒夫と永田洋子はその2日前、2月17日にすでに逮捕されていた。
 獄中の身となった永田は『十六の墓標』『氷解』といった書籍を出し、彼女なりの「総括」を試みる日々を送ったが、やがて脳腫瘍をわずらっていることが判明。
 1993年には死刑の判決が確定するものの、それ以前から病状は悪化の一途をたどり、晩年は寝たきりだったという。

 2011年2月5日、革命を夢見た女性戦士は、東京拘置所内で波瀾万丈の生涯を終えた。
 享年65歳だった。

 ちなみに、連合赤軍の元メンバーだった貴重な生き証人、植垣康博は永田のことを――

「瀬戸内寂聴さんも言っているけれど、チェーホフの『可愛い女』、まさにあれだったと思う。つまり、誰かの色に染まると、その人の理論をさも自分の理論のように言う。そしてまた染まる相手が変わると、今度はその人の理論が自分の理論になる。怪物だとかなんだとか、よく世間では言われるが、決してそんなことはない。ほんとうにふつうの女性だった」

 そう回顧している。

 社会を変革しようと夢見た末、たいせつな仲間たちを殺すような鬼畜な迷路へと踏みこんでいった革命戦士たちは、じつはどこにでもいるふつうの若者たちだったのかもしれない。

ー完ー

参考資料:
書籍『十六の墓標 炎と死の青春/永田洋子 上・下』(彩流社)
書籍『証言 連合赤軍/連合赤軍事件の全体像を残す会』(皓星社)
書籍『連合赤軍事件を読む年表/椎野礼仁』(彩流社)
書籍『連合赤軍事件 50年目の真相/別冊宝島編集部』
書籍『日本凶悪犯罪大全217/犯罪事件研究倶楽部』(イースト・プレス)
映画『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程/若松孝二監督』(若松プロダクション)
映画『光の雨/高橋伴明監督』(シネカノン)
TV『田原総一朗の遺言 永田洋子と連合赤軍』(ポニーキャニオン)

(ご注意)
本連載は実際に起きた犯罪事件を扱っており、様々な命式や人体図が出てきますが、それらの命式や人体図を持つ人がすなわち犯罪傾向にあるという意味では全くございません。持って生まれた宿命以上に取り巻く環境が重要であり、運勢は流動的なものです。逆にどんなに立派な宿命を持って生まれたとしても環境が悪ければ宿命は歪んでしまいます。持って生まれた宿命を生かすも殺すもその人次第(環境、生き方)であり、運命は変えられることを教えてくれるのもまた算命学であります。宿命から危機と傾向を知り、よりよく生きるための占術と捉えていただければ幸いです。

著者プロフィール

幽木武彦 Takehiko Yuuki

占術家、怪異蒐集家。算命学、九星気学などを使い、広大なネットのあちこちに占い師として出没。朝から夜中まで占い漬けになりつつ、お客様など、怖い話と縁が深そうな語り部を発掘しては奇妙な怪談に耳を傾ける日々を送る。トラウマ的な恐怖体験は23歳の冬。ある朝起きたら難病患者になっており、24時間で全身が麻痺して絶命しそうになったこと。退院までに、怖い病院で一年半を費やすホラーな青春を送る。中の人、結城武彦が運営しているのは「結城武彦/幽木武彦公式サイト」。





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