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「5年後も、僕は、生きています。②」 入院からガン消失まで」

「5年後も、僕は、生きています。②」

第2回「入院からガン消失まで」

前回書いた体験のことを前著「僕は、死なない。」では『サレンダー』と現わしていますが、

『サレンダー』とは「降参」の意味で、僕的には「エゴが大いなる存在、全体に降参する」ことと、捉えています。

そこにはエゴによるDoingやコントロールがなく、人生という全体の流れを信頼して身を任せる生き方のことです。

それまでの僕は自分の人生をコントロールしようと必死で生きていました。

人生という大きな川の流れを「自分」という小さなエゴで必死でコントロールしようとしていたのです。

そんなの、苦しいうえに、無理なのにね(笑)。

その生き方、プログラムが、見事にガン体験によって破壊されたわけです。

そしていま、サレンダーの生き方の方がよっぽど自分らしく、ラクで心地よく、さらにうまくいくことを実感しています。

 

僕の第2の誕生日とも言える、あの記念すべき2017年6月8日にサレンダーした僕は、すべてを受け入れ、何も考えず、思考ゼロに近い状態のまま、気持ちよく、リゾートに旅行する気分で、5日後の6月13日に東大病院に入院しました。

東大病院の食堂から見える不忍池やスカイツリーも最高の眺めでした。

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夜景も素晴らしかったです。

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僕は最高の気分で入院し、脳の放射線治療を経て、約ひと月後の結婚記念日7月10日に退院しました。

そして、退院後の10日後のCT検査で、僕のガンはほとんど消失していました。

(このあたりのいきさつは、前著「僕は、死なない」をお読みくださいね)

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ちょっと補足しますと、東大病院に入院してすぐ、僕のガン細胞を検査したところ、1週間後に希少な遺伝子が見つかったのです。

それはALK(アルク)融合遺伝子と呼ばれている遺伝子で、肺腺癌の患者では4%の人しかいないと言われる希少な遺伝子でした。

ちなみに最初の大学病院では「調べます」言ったまま、2か月半以上たっても結果報告がなかったので、僕にはこの遺伝子はなかったのだとあきらめていたものでした。

あとでこの病院が書いた書類を詳しく調べてみたら、この遺伝子の検査をしていなかったことが分かりました。

標準治療の範囲で最初に調べなければならない遺伝子なのですが、その検査をしないで治験を勧められたのでした。

僕を治験に回したかったのだと思いますが、本当のことは分かりません。

やはり病院は選ばなければいけませんね(笑)。

この遺伝子、アルクを持っている人はがんの増殖も速く、ガンはあっという間に大きくなり、転移も早いので、このアルクは肺腺癌の横綱遺伝子と言われていました。

しかしこのアルク融合遺伝子の働きをを抑える薬が開発されていたのです。

それが分子標的薬という抗がん剤の一種で、僕はこのアルクを抑える分子標的薬「アレセンサ」を今でも服用しています。

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この記事を読んでいるガンの宣告を受けたばかりの方がいらっしゃいましたら、ご自分のガンにおける「分子標的薬」を必ず調べて見て下さい。

病院やドクターによっては、教えてくれない可能性もありますから。

ドクターや病院の言うがままにならないで、ガン治療の最新情報はチェックしておくこと、これ大事です。

分子標的薬は他にもどんどん新しく開発され、僕のガンが見つかったころから随分と新薬も出てきています。

アレセンサの次の薬も出てきています。

他にも第4の治療と言われているノーベル賞を受賞した「免疫チェックポイント阻害薬」や「光免疫療法」など、

どんどん新しい治療法が開発されています。科学の進歩はすごいですね。

僕は身体をきれいにする「代替治療」と、これらの「標準治療」を自分なりに組み合わせるのがいいのかと個人的には感じています。

そして、この分子標的薬「アレセンサ」を飲み始め20日たってCTを撮ったところ、肺の原発ガンは八分の一程度になって、他に転移していたガンもほとんど写らないレベルにまで消え去っていたのです。

腫瘍マーカー(癌細胞が体内で活動する時に排出するタンパク質を取らえる数値)も劇的に下がっていました。

僕は「ガンは消える」という確信を持っていたので、その結果は「あたりまえのこと」を確認したにすぎませんでしたが。

その時、血液検査の肝臓数値が一時的に上がってアレセンサを1週間ほど断薬して様子を見ることになりましたが、僕に不安は一切ありませんでした。

 

一週間後の診察で、主治医の井上先生は血液検査の数値を見ながら、親切丁寧に説明してくれました。

 「アレセンサ、再開しましょう。ただし、量を半分にして、しばらく数値の様子を見てみましょう」

 「ありがとうございます。うれしいです。で、腫瘍マーカーとか他の数値はどうなってます?」

井上先生は血液検査が書かれた紙を僕の前に出すと、赤ボールペンでALP、CEA、KLー6と書かれていた部分の数値に赤丸をつけました。

「はい、腫瘍マーカーのCEAは月に1回しか採れません。前回20日に採っていますから、今回は採っていません。ですので、他のデータ数値で見てみますね」

「はい」

「骨と肝転移の指標として使っているALPは、6月は1293、前回7月20日は818、今回は536でした。

肺腺癌の指標として使っているKLー6も、6月は2541、前回1551、今回は1157と顕著に下がっています。

両方ともまだ基準値を超えていますが、このひと月半で順調に良くなっていると思います」

「えっと、基準値はどこ見るんでしたっけ?」

「あ、はい、数値の横の欄ですね」

井上先生はそう言うと、赤丸がついた数値の横をボールペンで指しました。

「ですからALPは基準値322のところ現在は536、KLー6は基準値500のところ1157です。この調子ですと、数ヶ月以内に基準値に入るでしょう」

「アレセンサ飲まなくても数値が下がっているのですね」

「まあ、お薬が相当良く、効き続いていると思われます。良かったですね、順調です」

井上先生の言葉を聞きながらも、僕はアレセンサだけの効果ではないんだけど…と思いました。

やはり心理的な転換、サレンダーの体験が僕の免疫力を飛躍的に上げたのを自分なりに感じていたのです。

しかし、それを東大の先生に納得して頂くのは無理というものでしょう。

井上先生はさらにこう言いました。

「えっと、それからデカドロンは終わりにしましょう」

「デカドロン?…、あ、ステロイドでしたよね」

「ええ。先日のCTで脳の腫れがほとんどなくなっていますので、もう飲まなくてもいいでしょう」

「そうなんですね、うれしいです」

「お薬というのはずっと飲み続けると、身体がそれを作る仕事をサボって機能しなくなってしまうのです。

ですから止められる時は早めに止めて、身体の機能を回復させた方がいいと思います」

「なるほど、そうなんですね」

 

僕の脳は放射線治療によって腫れていたので、その腫れを抑えるためのステロイド剤である「デカドロン」という薬を2017年の6月の入院当初から飲んでいました。

その薬を止めることが出来るということでした。

そうか、ステロイドを止めることができるんだ、よっしゃ、これでまた一歩前進だな。

僕は一歩一歩、少しずつ自分が元の健康な体に戻っていくことを感じて嬉しくなりました。

それから井上先生は体内酸素濃度を測ってから、聴診器で呼吸音を聞きました。

 「はい、問題ありません。それではランマークの注射をして今日は終わりです」

 「ランマーク…ああ、カルシウムの注射ですね」

 ランマークの注射とは、主にガンが骨に転移して骨が溶けてしまった人の骨を再生するための薬剤で、ひと月に一回皮下注射していました。

僕の骨は、ガンによる骨転移でボロボロになっていました。

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(黒くなっている部分が骨転移です)

「じゃ、次回は2週間後の8月10日に予約を入れておきまね。そのときまた肝臓の数値を計ってみて、正常値に入っていたら、アレセンサを通常の量にもどしましょう」

「わかりました。いつもありがとうございます」

 

いつもの精算時の大混雑を終えた後、僕は病院を後にしました。

東大病院では、精算に1時間近く待つことがざらでした。

精算を待ちながら、僕は思いました。

アレセンサがなくても、このまま治ってしまうんじゃないだろうか。

東大を出ると、少し湿った暖かい夏の風が、僕の回復を祝福しているように、さわやかに感じました。

そして1週間後の血液検査で、肝臓の数値も正常値に戻り、アレセンサも再び服用することになりました。

いま、僕は思います。

目の前にやって来る展開は、ほんとうに一歩一歩です。

それはジグザグしたり、上下したり、行ったり来たりしますが、

それに一喜一憂したりせずに、

その展開をひとつづ確認しながら、焦らず、慌てず、魂の計画を信頼することだと思います。

なにがどうあっても、結局は大丈夫なんですから。

第3回へ続く


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読んでいて、泣けてくる人が多いそうです。

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