人生は、ノー・コントロール(制御不能)

僕たちは、自分の人生をなんとか「心地よいものにしよう」とか「不安を感じないようにしよう」とかコントロールしようとしています。

僕たちはほとんどの時間を、人生のコントロールにつかっているのではないでしょうか?

快感情(心地よいもの)は、もっと感じたい、追い求めたい。

不快感情(心地よくない)ものは、感じたくない、遠ざけたい。

快感情に向かっていくエネルギーは「執着」となり、不快感情から遠ざかろうとするエネルギーは「逃避・抵抗」となります。

2016年9月1日、僕は肺癌ステージ4の宣告を受けました。

こんなこと、どう考えたって、コントロール外のことです。

想像すら、したことがありませんでした。

自分がガンになるなんて、1000%想定外でした。

どんな大震災があっても、僕だけは生き残るだろう、と考えているような人間でしたからね(笑)。

人生は、ノー・コントロール(制御不能)。

慌てた僕は、心の中に湧きあがった「死の恐怖」から遠ざかろうと、必死になりました。

「死」は見たくない。

「死」を感じたくない。

「死」を意識するなんて、まっぴらごめんだ。

いつも「生」だけをまっすぐに見つめ、目をそらすな!

って感じですね(笑)。

それは同時に「生」に対する執着でもありました。

「死にたくない」

「妻と一緒に白髪のおじいさん、おばあさんになりたい」

「孫を抱っこしたい」

でも、そんな僕の気持ちとは関係なく、状況は明らかに僕に対して「死」を告げていました。

ドクターは言いました。

「残念ですが、肺癌は癌の中でも難しいのです」

「この病気は、治りません」

「延命しか、やりようがありません」

ネットで調べると、1年生存率は3割以下、5年生存率は10%以下でした。

携帯を持つ手が、震えました。

頭の中に、どうやったら「生き残れるか?」という思考が湧き上がり、それ以外のことを、考えることが出来なくなりました。

そして、僕の心は緊急・戦闘状態になり、生き残るための「Doing(行動)」に取りつかれて行ったのです。

生き残るんだ

とにかく、考えて、対処して、行動するんだ!

今の状況を、コントロールして、改善して、うまく切り抜けろ!

常に常に、そんな心理状態で9か月間、過ごしました。

しかし9か月後にドクターから

「来週にでも、呼吸が止まるかもしれません」

という、どん詰まりまで追い詰められました。

そこで僕はやっと、それまで握りしめていた「コントロール」を手放したのです。

そう、それは僕の

「やれることは全てやったが、全部だめだった、無駄だった」

という完全なKO負けでした。

そして、KO負けした僕は

「何も、考えられない」

「何も、やることがない」

という「コントロールを手放す」状態になりました。

「俺がなんとかする!」

「俺がどうにかする!」

という、「俺」が、消滅した瞬間でもありました。

そう、そもそも僕たちは「宇宙・全体」の、ほんのちっこい一部にすぎません。

海で例えると、大海の波の、波がしらの、白いとこからあがっている、しぶきの一粒ってやつでしょうか(笑)。

そんなちっこい一粒が、大海をコントロールするなんて、不可能です。

でも、ちっこい一粒は、自分が世界の中心だと思っているので、宇宙・全体を自分の心地よいように、コントロールしようとします。

すると、当然ながら上手くいきません。

宇宙や全体の差し出す、目の前の出来事・展開と摩擦が生まれます。

それが「苦しみ」や「痛み」となるんですね。

僕は、ドクターから「来週死ぬかもよ」と言われて、ちっこい一粒がはじけ飛びました。

すると、不思議なことに、得も言われぬ「安心感」「爽快感」に包まれたのです。

何も考えられなくなったとき

思考が停止したとき

そこに初めて、ちっこい私(エゴ)を超えた、ほんとうの私とのアクセスが生まれるのだと思います。

人生は、制御不能です。

ノー・コントロールです。

まずそれを、知り、そして、覚悟すること。

そしてを受け入れ、それをありがたく受け取り、いまここに、丁寧にやれることをやっていく。

すると、宇宙・全体の流れと一体となって、予想もしないような出来事が、向こうからやって来る。

それは、ちっこい私(エゴ)の想像・想定をはるかに超えた展開・プレゼントだったりするのです。

自分を手放す、すると、宇宙が動き出す。

そういうことなんじゃないかと、思います。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?