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❖ゲーム形式に重荷を課すことなかれ❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2021年10月9日)

(長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を)

手法のマスターのため、ゲーム形式を用いるのは悪くない。しかし本質を理解させたいのにゲーム形式にして示すと楽しんで取り組むが、本質の理解に繋がっていない、本質の理解はゲームではなく、材料を受け取り内なる感覚で気づくこと。興味関心のためのゲーム構成はありかなしか、考える枠組みのみがゲームの場合は?ゲーム形式が持つ意味は?ゲームは、一定のルールやメカニズムを固定化し、その範疇において、その範疇を逸脱しない状態で、動き回るもの。そうして、その一定のルールやらメカニズムやらを使いこなすことができるようになる。その中に、考え方のスキルや解決方法が結びつけられていると、スキルや方法は磨かれる。ゲームは、スキルや方法という、思考の道具の使い方に慣れるのに適している。ゲーム形式で、興味関心が喚起されるとき、それはルールやメカニズムの下でスキルや方法が上手く発揮できていることの達成感や満足か。題材となっているテーマ自体への興味関心や問題意識という本質の理解との繋がりは希薄だろう。気づけば、テーマ自体が従になり、スキルや方法と結びついた達成感や満足が主となってしまっている。ゲーム形式の有効性は間違いなくある。しかし、それは万能ではない。あらゆる課題をクリアしてくれる最強の仕掛けではない。安直に、ゲーム形式に様々な無理難題を背負わせてはいけない。

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