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❖主権者は奴隷でもお客様でもない❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2021年11月1日)

(長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を)

戦後3番目の低さ。数ヶ月前は、国民は色々と思うところがあったように見えたが。蓋をあけてみると、なかなかの関心のなさ。緊急事態宣言は解除され、在宅勤務ではなくなり、日常が戻って、忙しくなった?投票どころではなくなった?しかし忘れてしまったのだろうか、色々な政策に反対だという世論の高まりがあっても、支持率が下がっても、それで直接的に政策を変えられないのが、この国が採用している仕組みであることを。だから、選挙の機会しかないことを。今は、イベントも去り、感染者も減って自粛緩和だから、数ヶ月前に感じていたことも、喉元すぎたということか。だが、また熱くて困った出来事が来たときに声を上げても、以前と同じこと。間接民主主義は、その都度、国民の思いを反映させられない。ということは、そのとき国民がいかに声を荒げても、政治をするものは強行策をとれるし、直接は止められない。そんなことの繰り返し。困ってから考える。泥縄。はっきりと問題が生じてからなら、誰でも何とかしようと思うもの。すぐ対処できる仕組みならそれでよい。だがそうではない。だから想像力は大切だし、目先や身の回りだけではない中長期的な広い視野も大切。どうせ変わらないから?そう思って、選挙だけでなく、普段の政治にも意識を向けないから、変わらないのでは?選挙周辺だけでなく、普段の政治を国民はしっかり見ているならば、選挙前の美辞麗句だけで誤魔化せないというプレッシャーが生まれてくる。それは瞬間的に政策を変えるプレッシャーにはならないかもしれないが、政治をする側にとって選挙前さえ上手くやれば良いわけではないというプレッシャーになっていく。選挙に関心がなく、普段も政治の動きではなくて、自分に分かりやすくマイナスが見えるものしか気にせず、そのマイナスへの衝動的で熱しやすく冷めやすい文句でしかないならば、選挙前のマジックに惑わされるだろうし、だからしっかり投票しようとも思わないだろう。それは代表者にとって、ありがたい状況。瞬間をどう切り抜けるかで片付くから。どうせ変わらないは、衝動的で単発的に政治と関わっているからかもしれない。過ぎた時間は戻せない。選挙の結果は出た。ならば、何か分かりやすいマイナスが起こってから、衝動的で単発的に反応するのではなく、理性的で継続的な目で政治の動きを監視して、主権者の健全なプレッシャーをかけることから始めるしかない。主権者は、代表者との関係で奴隷に帰する存在であってはならないのは当然だが、代表者との関係でお客様であってもいけない。良いサービスを単に受け取る立場ではない。代表者は、あくまでも自分たちの生き写し。代表者の不甲斐なさは、自分たちの不甲斐なさなのである。大切なのは、これから。これからの政治との向き合い方である。

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